「エンパス」「ADHD」などの分類の話から、月光仮面が生きにくいという話

日本はエニアグラムのタイプ6社会で、
タイプ6的なことの一つに、階層感覚や分類感覚があります。
人をカテゴリー分けする感覚です。


前回、「エンパス」について書きながら、ふと思ったのですが、
タイプ6日本人にとって、分類に当てはまらない何者でも無い状態というのは、もしかすると辛いのかも知れません(未分類な自分にストレスを感じてしまう)。
それで、その混沌とした状態を避けるべく、自分を何者かに分類したがる。
他人に対しても分類できたほうが落ち着くから、他人も分類したがる。
だから、HSPだとか、エンパスだとか、ギフテッドだとか、2Eだとか、アスペルガーだとか、注意欠陥多動性障害(ADHD)だとか、
そういった言葉が、分類を希求する人の間で、流通していく(下世話な言葉であるDQNなどもその一種だと思われ)。
中には、どれにも当てはまらない人がいて、その混沌とした不安定さを嫌がり、何らかの名前を欲しがったりする。名付けようとする。
タイプ6日本のレベルが落ちて、未知や混沌を極度に嫌った結果、このような動きがより強まっている。

なんというか、症状はあって、病気みたいなんだけども、病名が分らないのを嫌がるような。
アンケートで、国籍、職業、性別、住所をしっかり書けというような。
自分(や他人)を分類わけして説明しなくては、居場所が無いような。


今の日本はレベルが落ちて、未知や混沌を極度に嫌い、個人個人の説明を強く求めている気がします。
何かの犯人逮捕に協力した人がいたとして、「あっし?あっしのことですか?名乗るほどの者じゃあ、ござんせん」は、今や許されない社会であるという。「ど~この誰だか知らないけれど」は、今や許されない社会であるという。いくら「正~義の味方よ、良い人よ~」と言っても許されない社会であるという。「疾風(はやて)のように去って行く」と、疾風のように追いかけられ、問い詰められるという。

つまり、正義の味方で良い人でも、未知や混沌をもった人は犯罪者扱いになるという。
「仮面を取れ」、「名を名乗れ」。

再度繰り返して言いいます。
今の日本はレベルが落ちて、未知や混沌を極度に嫌い、自身の説明を強く求めているという。

そういったものが、冒頭の話を含め、いろいろな形として現れているのだという。


参考
エニアグラムのワークショップでは自分を思いっ切り出してください

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