日本の問題が解決しない理由

 聞き書きエピソードを用いながら書いていきます。

 ある職場、パソコンのソフトウェアを売る前にチェックしている部門での話。
(職場に来て間もない)タイプ6「いま、たまたま、ソフトウェアでバグを見つけました。」
職場の人A「ありがとうございます。ありがとうございます。よく見つけてくれました。報告のための文書を書いてください。」
タイプ6「どう書けばいいんですか?」
職場の人A「とりあえず、どういう操作をしてたら、バグになったか書いてください。」
タイプ6「覚えていないんですけど。」
職場の人A「だったら、思い出しながら試行錯誤してください。」
タイプ6「え!?」「試行錯誤!?」タイプ6の顔色が変わる。
職場の人A「見つけたのは、タイプ6さんだけです。よろしくお願いします。」
しばらくたつと、こう言い出す。
タイプ6「あれは、ウィンドウズのバグじゃないですかね。」

 あるプログラム教室での話。
生徒さんA「あれ。習ったことと違う結果が出ています。」
タイプ6の先生「何かの勘違いじゃないんですか?」
生徒さんA「これ、おかしいですよね。」
タイプ6の先生 不審な動きを自分でも確めて、どうもおかしいと分かってくる。すると、今度は、本を詳しく見始める。このおかしな動きが本に書いていないか探し出そうとする(通常のタイプ6のいわゆる、「聖典に頼る」動作)。
タイプ6の先生 それでも、分からない。本当にこれはおかしいのだと理解する。表情が曇る。
そして・・・、
タイプ6の先生 「気にしなくていいです。」「これはプログラムの試験で言えば、配点も少ないところです。」「これに、あまり深く関わる必要は無いです。」「それよりも他の重要なところを勉強してください。」


 タイプ6は混沌が嫌いです。タイプ6は自ら混沌に関わることが嫌いです。混沌はストレスです。
 例に出した、これら2つの状況はタイプ6にとっては混沌です。ストレスなのです。
 そこで、
 始めの話のタイプ6の人は「ウィンドウズのバグ」ということにして、混沌に関わらないようにしています。
 次の話のタイプ6の人は「気にしなくていいです。」と言って、混沌に関わらないようにしています。

 このタイプ6は日本人の国民性でもあります。
 そう考えると、これらの話は、なかなか参考になる話となります。

 日本人もこういったように、今ある問題点を見ないようにしています。

 元々、我々日本人は、試験のときには、「難しい問題は後回し」で生きてきています。実生活でも国政でも「難しい問題は後回し」で生きてきました。

 今までそうやってきて、「難しい問題」が日本に山積みで残ることになりました。どれも難問です。そしてこれらの難問は厄介なことに、タイプ6が嫌いな「答えの無い問題」「正解が分からない問題」です。つまり、混沌です。ストレスです。

 そうなると、タイプ6日本人はストレスから逃れるために、こう言い始めます。「あれは、問題では無いのではないでしょうかね。」「気にしなくていいです。」タイプ6日本人は、そう言いさえすれば、逃げられると思っています(ホントに?)。

※ タイプ6日本人論書いてます


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