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世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?(山口周 著、光文社新書、2017年)

最近、自分の人生における羅針盤のようなものが欲しくて、ヒントになりそうな本を選んで読むようになっている気がするのですが、この本もその基準で選んだ1冊だと思います。
いまの自分は、社会人として自分の人生をどう生きるか、人によってそれぞれ答えが異なるものに自分なりの正解を持っておきたいけれど、それが見つからずに不安な状況にいるように感じています。もっぱら最近はこの先の時間の大半を過ごす「仕事」に対して向き合う時間が長くなりました。

この本の中で自分の印象に残った一節が下記です。

わかりやすいシステムを一種のゲームとして与えられ、それを上手にこなせばどんどん年収も地位も上がっていくというとき、システムに適応し、言うなればハムスターのようにカラカラとシステムの歯車を回している自分を、より高い次元から俯瞰的に眺める。そのようなメタ認知の能力を獲得し、自分の「有り様」について、システム内の評価とは別のモノサシで評価するためにも「美意識」が求められる、ということです(176)

現在のシステムに適応することで報酬が増える構造に生きている私たちにとって、自分の人生の多くの時間を、システムに適応するために費やすように(費やさざるを得なく)なっていると思います。
著者も言及しているように、このことによって人間性が破壊される「疎外」という問題が発生しています。
この本では、「疎外」が発生する構造的問題を孕んでいる社会において、問題提起する価値観として、「美意識」が取り上げられているのだと理解しました。

また、最近私が読んだ「暇と退屈の倫理学」という本の中では、「疎外」について下記のように記載されていました。

一般に疎外とは、人間が本来の姿を喪失した非人間状態のことを指す。
人間が誰かに蝕まれるのではなく、人間が自分で自分を蝕むのが消費社会における疎外であるのだ(170-171)
「暇と退屈の倫理学」(國分功一郎,2011)

つまり、「疎外」とは、奴隷状態のように働かされるなど、他者から蝕まれるだけでなく、概念を消費することで満足することができなくなっている状態のこと(自分で自分を蝕んでいる)に対しても発生している現象なのだと思います。

本書でいう「美意識」は概念的なもので、言葉で説明するのは難しいです。
ただ「美意識」を鍛えることで「疎外」の状態に陥ることを防ぎ、人間らしく生きることができる。そんなヒントを得ることができました。
本書でいう「美意識」を自分なりに探ってみます。

(以下、読書メモ)

①理論的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある
②世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある
③システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している

これまでのような「分析」「論理」「理性」に軸足をおいた経営、いわば「サイエンス重視の意思決定」では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできない(14)

① 理論的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある
1. 正解のコモディティ化
2. 分析的・論理的情報処理スキルの「方法論としての限界」
問題を構成する因子が増加し、かつその関係が動的に複雑に変化するようになるとこの問題解決アプローチは機能しません(16)
論理や理性を最大限に用いても、はっきりしない問題については、意思決定のモードを使い分ける必要がある(39)
「アート」個別の現象から抽象概念へと昇華させる「帰納」
「サイエンス」抽象概念を積み重ねて個別の状況へと適用する「演繹」
「クラフト」両者を繋ぎながら現実的な検証をする(53)
アカウンタビリティの格差という問題が必ず発生し、アートは必ずサイエンスとクラフトに劣後する(65)
エッセンスを視覚的に表現すればデザインになり、そのエッセンスを文章で表現すればコピーになり、そのエッセンスを経営の文脈で表現すればビジョンや戦略ということになります(78)

② 世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある
全ての消費ビジネスがファッション化しつつある(18)
モノの消費というのは機能的便益を手に入れるための交換という側面が弱くなり、自己実現のための記号の獲得という側面が強くなっていた(103)
デザインとテクノロジーというのは、サイエンスの力によって容易、かつ徹底的にコピーすることが可能(119)
ストーリーや世界観はコピーできません(120)
この二つを、いわば天然資源のように豊富に持っているのが「日本」という国(121)

③ システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している
明文化された法律だけを拠り所にして判断を行うという考え方、いわゆる実定法主義は、結果として大きく倫理を踏み外すことになる恐れがあり、非常に危険です(19)
自分の内側に確固として持っている「真・善・美」を判断する美意識の方が、よほど基準として間違いがありません(134)
救済されない「恥」への恐れから、「狭い世間の掟」に盲目的に従わざるを得ないために発生しているのがコンプライアンス違反(149)
自分が所属している「狭い世間の掟」を見抜けるだけの異文化体験を持つ(150)
目の前でまかり通っているルールや評価基準を「相対化できる知性」を持つ(151)

セルフアウェアネスとはつまり、自分の状況認識、自分の強みや弱み、自分の価値観や志向性など、自分の内側にあるものに気づく力のこと(161)
高度な意思決定の能力は、はるかに直感的・感性的なものであり、絵画や音楽を「美しいと感じる」のと同じように、私たちは意思決定しているのかもしれない(164)

実際の社会は不条理と不合理に満ちており、そこでは「清濁併せ呑む」バランス感覚が必要になります(170)
わかりやすいシステムを一種のゲームとして与えられ、それを上手にこなせばどんどん年収も地位も上がっていくというとき、システムに適応し、言うなればハムスターのようにカラカラとシステムの歯車を回している自分を、より高い次元から俯瞰的に眺める。そのようなメタ認知の能力を獲得し、自分の「有り様」について、システム内の評価とは別のモノサシで評価するためにも「美意識」が求められる、ということです(176)
「誠実性」のコンピテンシーを高い水準で発揮している人は、外部から与えられたルールや規則ではなく、自分の中にある基準に照らして、難しい判断をしています(178)

芸術的な素養としての「美意識」を鍛えられている人は、科学的な領域でも高い知的パフォーマンスを上げている(215)
「見る力」を鍛えるために、さかんに実施されているのがVTS(Visual Thinking Startegy)
1. 何が描かれていますか?
2. 絵の中で何が起きていて、これから何が起きるのでしょうか?
3. どのような感情や感覚が、自分の中に生まれていますか?(218-219)
私たちの持つパターン認識は、毎日の繰り返しを、エネルギーを省力化して効率的に過ごすには大変大きな武器なのですが、その一方で「変化を捉える、変化を起こす」には大変重い足かせになっているんです(228)
その過程で「花の姿や色の美しい感じ」を受け止める感性は駆動されません。だから「言葉の邪魔の入らぬ花の美しい感じ」を持ち続けることが重要なのです(230)

現代を生きるビジネスパーソンにとって、「哲学から得られる学び」には、
1. コンテンツからの学び(内容そのもの)
2. プロセスからの学び(気づきと思考の過程)
3. モードからの学び(哲学者自身の世界や社会への向き合い方や姿勢)
(231-232)
その哲学者が生きた時代において支配的だった考え方について、その哲学者がどのように疑いの目を差し向け、考えたかというプロセス(236)
哲学を学ぶことで、「無批判にシステムを受け入れる」という「悪」に、人生を絡めとられることを防げる(237)

文学というのは同じ問いを物語の体裁をとって考察してきた(240)
リーダーシップと「詩」には非常に強力な結節点がある。
両者ともに「レトリック(修辞)が命である」(242)
「人のこころを動かす」表現にはいつも優れたメタファーが含まれています(246)

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