見出し画像

共に生きるまちの実現に学生や大学は何ができるのだろうか?

スタッフの矢部です。先日、エンパブリックスタジオの「“共に生きるまち”の実現に学生や大学は何ができるのだろう? ~文京学院大学まちづくり研究センター(まちラボ)の古市太郎さんと考えよう」に参加し、感じたことをレポートします!

本イベントは、文京区でコミュニティデザインに関わる先生方による対話イベントの第2弾です(第1弾は跡見女子大学の土居先生の会でした)。
ここでは「学生と地域」が取り上げられていますが、学生が地域に関わる時というのは、これまでそのコミュニティ活動に関わっていない人が、新しく関わり始める時の状況と似ています。そのため、今回の対話から出てくる視点は、学生と地域だけでなく、新しい人がコミュニティに関わる時のヒントとしてみていくこともできます。


話題提供者の古市先生は、社会哲学者であり、文京学院大学まちづくり交流センター(まちラボ)」のセンター長です。ご自身も文京区で学習支援の活動をされており、地域の課題解決を図るための協働の拠点「フミコム」の設立にも関わっています。 
まちラボでは、学生を地域に送り出し、そこを起点に地域の課題解決に一緒に取組むことを行っています。

これらの活動に、古市先生がどういう思いで取り組まれてきたのかを聴く中で、浮かび上がってきたキーワードは、「代替不可の関係づくり」

学生を地域に送り出すことでできていく、替えのきかない人同士の関係づくり「代替不可の関係づくり」が相互にもたらすことはどんなことでしょうか?

サービスの外部化と代替不可の関係づくり

代替不可の関係が必要であると古市先生が考えているその根底には、地域における「サービスの外部化」に対する懸念があります。

かつては、自分たちや地域のつながりの中で助け合ったり解決してきたことが、お金を出してサービスとして買ってしまっている現代。

例えば、お葬式も昔はご近所で助け合って出していたものが今は葬儀屋さんに頼むといったことです。

そうした「外部化」は何が課題かというと、
・地域の中の困りごとに自分たちが自ら取り組むという意識が持てないこと、さらに、
・何か見返りがないと助けたり助けられたりができないと思ってしまうことです。

本当に困った時にも、お金がないから、こちらが与えるものがないから、助けてと言えない。
ちょっと聞く、ちょっと声をかけることで解決できることが、
サービスの外部化の定着により、遠回りになってしまっていることです。
それが「共に生きるまちづくり」のネックになっているのではということです。

また、一方で、社会経済全体で、個の力が求められる時代であるとともに、それを追い求めすぎたために、逆につながりもまた求められるという複雑な時代ともなっています。

こういう時代の中で、学生に地域での経験を通して
「サービスの外部化じゃない体験」をしてもらいたいというのが古市先生の考えです。

「サービスを買う」ということは、お金の契約であるためサービスが提供されれば「誰でもいい」という関係でしかありません。
気楽な関係であり、面倒はないので、そういった方向に走りがちです。

しかし、学生が地域の人と一緒にプロジェクトに取り組み関係を作っていくと、色々とぶつかりながらも、○さんと○さんという関係ができ、それは、もう他の人には代えられない関係となっていきます。

こうした存在となる経験をすることが、学生にとって、その場ではピンとこなくても、10年後、20年後、地域の関りを持つ必要性が出てきたときに、
また、個だけでは解決できない課題に直面した時に、助けてといえる、助けてと言ってもらえる存在になれるのではと考えています。
こうした「サービスの外部化じゃない体験」が、共生社会における一員として生きることにつながっていくというのです。

地域が学生とともに、地域課題解決やまちづくりに取り組む意味は?

一方で、参加者の方から、学生を地域で受け入れることについて
「代替不可能なもの同士のやりとり・軋轢・葛藤を経験することが地域にとってどういう変化を生むのか、どうして必要なのか?」という質問がありました。
確かに、ある意味手間のかかる「学生を受け入れるということ」は、地域にどんないいことがあるんだろうと思いますよね。

それについては、
地域側もサービスの外部化に慣れているところに、未知なる代替不可の学生と一緒にやり取りや軋轢を経験することで、

  • 「学生」が地域の課題を自分たちのことだと気付くことできる。

  • 軋轢や葛藤を乗り越えてやり取りし、お互いに模索しながら課題解決の方法を模索していくことで、こうしたやり方を地域のやり方として積み上げていくことできる。

  • 地域の人も、自分たちの文脈にない「他者」のことを考えるきっかけ、地域の当たり前にきづくきっかけになる。

とのこと。
ある意味、地域の人にとっても、
言葉は悪いですが「入ってきちゃった替えのきかない自分たちとは違う存在」と一緒に何かを成し遂げるのが訓練になり、
そのことが新しいまちづりや地域課題解決の主体者となっていくことにつながっていくのでは。ということでした。

学生時代に地域に入った経験のある参加者の方から

「地域と繋がることによって、
『役に立つ人間にならなきゃ』とか
『スキルを身につけなきゃ』
それだけじゃないんだなって思えたのがよかったと思います。
人としての生き方・幸せ観が広がったことが成長と感じました」

と言った声もありました。まさに「サービスの外部化じゃないもの」を体験することは、相互の視野や価値観を広げるといった意味もあるのではないでしょうか。

新しいつながりづくりのために

私自身は、千代田区のプロジェクトの中で「幸せ」視点のライフデザイン ー2万人アンケートが描く生き方・暮らし方の羅針盤ー」の著書である宮木 由貴子さんが、「筋トレをして筋肉をつけるときにはある程度体に負荷をかける。人とのつながりも同じであり、負荷がかかることもあると考えたらいいのではないか」とおっしゃっていたのを思い出しました。

エンパブリック代表広石からも、
❝新自由主義の中に契約関係だけじゃないものがあり、損得じゃない助け合い❞が必要とされているが、頭でわかっていてもなかなかできないこともある。
地域の中で、いろんな試行錯誤やトレーニングが必要で、これを積み重ねていくことで、よりサスティナブルな地域になるのでは」というコメントがありました。

学生が地域に入ることで、入った側も受け入れた側も、関係づくりをトレーニングしていく。
新しいつながりづくりが改めて求められている時代において、学生や新しい人が地域に関わる意味にもなってくるのではと、なんとなく思っていたことを、改めて整理して考えることができました!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?