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ZOZOvsユニクロの裏で起きていること

今、ファッション業界の話題といえば、ZOZOかユニクロが中心になっています。昨年発表されたZOZOスーツは大きな話題を呼び、それに対してユニクロの柳井さんの挑発するようなコメントに大きな盛り上がりを見せていました。

私は仕事柄、日本や海外の工場に行く機会が多く、現場の状況を把握している立場からすると少し違和感を感じたことがあります。

システムの発達とアナログな現場のギャップ

最近の業界紙のトピックスのひとつにテクノロジーな3D採寸が挙げられます。ZOZOスーツの打ち出しもスマフォで詳細な体型データが計測され既製服に似合わない人のニーズが解決されるというものでした。

他のスーツ専門店や大手アパレルなどでも似たようなトピックスが打ち上げられユーザーの利便性を打ち出すのに躍起になっている感があります。

私はそれ自体は否定しません。現代人の生活スタイルが進化する中で、テクノロジーによって服の売り方や見せ方が進化していくことは当然だと思っています。

しかし、マスメディアも大々的に取り上げ、あたかも服作りが革新的に変わるかのような報道には違和感を感じていました。実際、私の知っている会社にもZOZOの担当者が訪れており、なんとなくですが構想は理解していたのです。しかし現場を知るものからすれば「そんなに簡単にはできないよな」と言うのが感想でした。それは2つの大事な視点が抜け落ちていると感じたからです。

私は10年前からオーダービジネスに携わっています。その大変さは身をもって経験しており、それを広げていくことの難しさも理解しています。

オーダー服は連携が要
私は当初、ZOZOスーツの構想を知ったとき、どこかの大型工場を買収して自社工場としてグループ化してやっていくのかと思っていました。革新的なオーダービジネスを展開するのであれば、必ずシステムと工場の現場で働く人達との日々の連携が重要なポイントになると思ったからです。

オーダーの大変さは、仮縫い付きの何十万のフルオーダーであれば別なのでしょうが、通常のイージーオーダーやパターンオーダーなどは人が時間をかけて細かく計測したとしてもそれは数値面で合意できただけであって感情面の合意ではないということです。例えばパンツの股下寸法でもはき方はそれぞれで、ジャストではきたい人、クッションさせたい人などそれぞれ好みが違います。それを数値だけで合意させるのは難しいのです。対面販売でもむずかしいものをネットだけで完結してユーザーの満足度が上がるのかという点について疑問を感じていました。

実際私の知り合いもZOZOスーツを購入していましたが、やはりパンツの股下丈やジャケットの着心地などで満足できていないようでした。正直言って煽るだけ煽ったと言う点からすれば期待はずれであったと思います。今後、ZOZOの現場でものづくりに携わる人達が、どう前澤氏にこのことを理解させ進化させていくのかに注目しています。

ZOZOの生産体制を受け入れるためには大規模な設備投資が必要
もうひとつの点は受け皿になる工場についてです。ZOZOスーツのオペレーションでは、工場側も受注の受け皿にするためのシステムを構築しなければならなくなり金銭的負担も大きくなるのではないかということでした。実際私の知り合いの会社もスーツではありませんがその点でZOZOとの取引が実現にいたらなかった事実があります。

今回、ZOZOスーツを生産しているのは欧米向けの生産も行う中国有数の大型工場であり、その工場自体が積極的に大きな投資をしてシステムを構築しています。もちろんZOZOだけのためではないにしても、それは当然オーダーを期待しての先行投資でもあるはずです。それが実際販売計画が未達であるという現状ですから、計画数量を期待していた工場側の落胆も気になっています。

どんなに華やかなパフォーマンスがあっても縫い上げるのは人間
また華やかなマスコミ向けのパフォーマンスと違って工場の現場はまだまだ地味でアナログな作業の連続です。私は工場の現場に行くといつも頭が下がるのですが、1着のスーツを縫い上げるためにたくさんのパーツを分業制で仕上げ、何百人もの人の手が関わっているのです。

縫製の現場で働く人たちはパフォーマンスとは無縁で黙々とミシンを踏み、プレスをし、ただひたすらマジメに仕事をしているだけなのです。物事には光と影があり、影の部分は表には出ません。「どんなにシステムが進化しても服は自動で縫われているのではない。一人ひとりが縫っているんだ!」ということを私は声に大にしてみなさんに知ってもらいたいと思っています。

工場経営者にとって大切なのは継続的な仕事
工場経営の本音は、一時の打ち上げ花火のような数字ではなく、地味でもいいから年間コンスタントに発注が欲しいということです。このことは長年いろいろな工場の経営者と接してみてわかることでもあり、日本の工場も中国の工場もその点については同じなのです。目立つけれども発注を保証してくれない会社よりも、派手さはないけれどかならず毎月300着発注してくれる会社のほうが断然ありがたい。そして、ZOZOが計画枚数に至らなかったことはご存知のとおりです。

前澤氏が従来のファッションビジネスのあり方を否定し、未来を創造するとぶち上げるのであれば、ユーザーだけに目を向けるのでなく日陰になりがちな生産者側も幸せになるような事業を構築することを望んでいます。それが既存のシステムを変えることになりそれこそが本物の改革者ではないかと思っているからです。

ユニクロの光と陰になる過酷な工場の現場

もう一方の雄・ユニクロに関しては、どんな工場で生産しているかは知っていますが、ZOZOの場合と違って直接その工場の現場には行った事がありませんので断定的なことは言えません。しかし、やはりここにも光と影があると思っています。

低価格・大量生産をささえる過酷な労働現場
あれだけ大量の生産量を考えれば工場側にとってもユニクロの仕事をやることは大きなメリットがあると思います。しかし、その反面リスクもあります。実際、昨年の10月9日にユニクロから商品生産を委託されていたインドネシアの下請工場が倒産し約4000人の従業員に退職金が支払われないまま解雇された件で、元従業員2人と支援団体が霞が関の記者クラブで会見を開いています。工場が倒産した責任の一端はユニクロにあるとして、退職金の支払いに関する話し合いに応じるようもとめたという内容でした。

元従業員の主張としては、工場全体の生産量の45%をユニクロが占めていたが、2014年10月に取り引きを打ち切られて、それが原因で2015年4月に倒産したということでした。

ユニクロとの取り引きのもと、非常に高い水準の製品クオリティがもとめられたほか、組合をつくることも禁止されていたという。そうした状況で、労働者の最低賃金が守られなくなり、しかも残業時間が長くなるなど、労働環境が悪化していったという主張でした。

この一例だけでなく、過去には2015年1月にも香港のNGO団体がユニクロの商品を生産する中国工場2社の「地獄のように危険な労働環境」について記者会見して糾弾することもありました。

ユニクロに直接的な責任があるかどうかは判断が分かれますが、どうして労働環境が悪くなるかについてはちゃんとしたロジックがあります。ユニクロのような低価格な商品は、当然工場に支払う縫製工賃も安くなり、工場側は工賃は安いがたくさん数量があるから仕事を受けることになります。

工場の経営としては1日に何枚つくれたかが利益の源となり、経営者はできるだけ1日にたくさん作ろうとします。この事が長時間の過酷な労働環境を生み出すことになるのです。

あくまで工場側で働く人たちの声であることを差し引いたとしても、これらの事からわかるように低価格で高品質、服はユニクロで十分という価値観が広がる中で苦しむ人がいるのも現実なのです。

中国工場の人件費上昇にともない、ユニクロは利益を上げるために賃金の安い東南アジアへ生産拠点のシフトをしています。ここで人道的な問題がまた起こる可能性もあります。

数年前、GAPなどのアメリカ企業が生産している東南アジアの工場が、子供などを働かせている非人道的な労働環境であるとしてアメリカ国内で大きな人権問題になったことがありました。しかし、アメリカに比べて他国の人権問題に関心がうすい日本では消費者にその意識が低く、知らない人が多いのが現実なのです。

我々ユーザーが今後考えるべきこと

品質の良い商品が安く買えることは、私も含めユーザーにとっては素晴らしいことです。生活者が豊かさを実感できない今、ユニクロの貢献度を否定するつもりもありません。しかし私たちがそのメリットを享受する裏で中国や東南アジアの工場で働く人たちの人権が侵害されている現実も、しっかり受け止める必要があると思っています。

私は前回のnoteで「メイドインジャパン」における日本の工場で働く人達の現実について書きました。一介のデザイナーがなぜそれほど工場にこだわるのかという点で疑問を持たれる方もいるでしょうが、それには私の歴史があります。

31年前、大学を卒業して入社したアパレルメーカーには、島根県と広島県に自社工場がありました。私が担当していたイタリアのライセンスブランドの生産は全て自社工場でおこなっており、年に2回イタリアからデザイナーとモデリストが来日して1週間程、工場の現場で働く人達も含めて毎日サンプルや量産の製品を前にディスカッションをしていたのです。

私と工場の人達は、イタリアから来たモデリストとデザイナーを囲んで何時間も洋服のことについて語り合いました。皆勉強熱心で、イタリアの技術を少しでも盗むため、時間を忘れて夢中になって議論していました。一般大学卒だった私にとっては何もかもが新鮮で充実した時間でした。私と工場の人達は、時が経つにつれデザイナーと生産者という関係ではなく、人としてお互いが信頼しあえる同志のような間柄になっていました。

しかしバブルの崩壊後、本体アパレル事業の業績の悪化により不採算部門の自社工場は真っ先に閉鎖することになってしまいます。私は今でも覚えています。純朴で真摯にモノづくりに向き合っていた人たちが、さびしそうに一人ひとり去っていく姿を・・・・

浪花節と思われるかもしれませんが、私は無力で何もしてあげられなかった後悔、そのときの想いがあるため、どうしても人ごとのように思えないのです。

今、私にできることは限られています。お付き合いがある工場と真摯に向き合うこと、noteを通して知り合う人達と連携して何らかのプロジェクトをはじめること。そしてファッションの影の部分をみなさんに伝えていくことで一人でも多くの人に現実を知ってもらうことだと思っています。

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