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"アート(作品)に値段を付ける"ということの難しさと、私なりに考えたこと その2

前回の続き。まだ読んでない人は、まず先に前回の内容を読んでいただきたいです^^

6年前に音楽活動を始めてからずっと不思議に思っていたけど、最近は見て見ぬふりしていたこのトピック。なぜ今更また向き合って、この記事を書き始めたかというと、

私のオリジナル曲の「ポラリス*」という楽曲を音楽配信することになったんですが、この曲こそまさに、私の中で最も値段がつけられなかった曲なんです。

音楽配信では価格設定の上限が1曲250円までと決まっていて、この子だけはこんな値段で人身売買してたまるかー!(涙)というような感覚になってしまい、今まで頑なに音楽配信することを避けていたのですが・・・

これも平成から令和に時代が変わったせいなのでしょうか?(←なんでもかんでも令和のせいにするなw)

最近はどんなに抗っても

「この歌を本当に必要としてくれる人の元へ、一斉に飛び立たせよ!!!!」

という啓示のようなものが鳴り止まないわけです。

"よーし、もうわかったよ!!じゃあ中途半端な値段で配信するくらいなら、もういっそ無料で配信するわ!!!!"と決めて、いざ配信しようとしたら、

今度は逆に、0円という価格では配信できないとのことで、

ズコーーーーーーーーッ!!!!(笑)

えー・・・
結果・・・
普通に配信する形になってしまいましたが(^^;)

でもこのプロセスを改めて踏んだことで、

たとえこの大事な歌を0円で売ったとしても、この歌の価値ゼロだということにはならない。その無限の価値は到底、数字に置き換えられるわけがない。その計り知れない価値を知っているからこそ、もう自分のエゴを手放しても大丈夫なんだという安心感に包まれた。

ならば、そこに付けている数字(金額)は、子供の頃おままごとをしていたときに、適当に付けた値段みたいなもので、売り手と買い手のコミュニケーションを作るためのものにすぎない・・・という感覚になったのです。

そのとき、東南アジアのマーケットで、現地の人と交渉しながら買い物を楽しんでいたとき、「値段なんてあってないようなもんなんだな」と感じたことを思い出した。基本的に、東南アジアのマーケットは値札がついてない。だからいちいち指を差して、「これいくら?」と聞かなければならない。「いくらなら買う?」というやり取りが始まり、コミュニケーションが生まれて、結果的に、観光客が満足する値段と、現地の人も貧しい暮らしが楽になる値段が成立し、両方がハッピーになって終わる。(あとからボッタくられたと気づくときもあるけどねwそれもまた旅の醍醐味。)

きっとこの先も、アートを産み続けていくことと、生きていくために値段を付けることの狭間で、悩んだり、揺れたりすることがあるかもしれない。

でもそのときは、この感覚をいつでも思い出したいと想い、備忘録も兼ねてこの記事を書きました。同じくアートを作る同志の皆さんの中で、疑問を抱いていた人がいたら、ひとつのヒントにもなればいいなと思います。(皆さんの考え方も、コメント等で教えてくれたら嬉しいです!)

そして、この記事を書く事で、改めて私がこの歌を作った理由・・・

「五月病」なんて言葉が生まれてしまうほど、繊細で頑張り屋さんの日本人の皆様にこの曲が届いて欲しいという純粋で強い想いを再認識することができました。

私を悩ませ、素晴らしい気づきを与えてくれた問題児(いい意味で)の「ポラリス*」ですが、この曲を作ったときのことや、そこに込めた想いを、次の記事では少し語らせてもらいたいと思うので、よかったら引き続きお読みください^^


「ポラリス*」はItunesやGoogle Playなどの音楽配信ストアで
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 以下よりお好きな方法でダウンロードできます。




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