音楽と英語という言語を習得して生きやすくなった話
小さい頃から、自分が感じていることや
考えていることを伝えるための言葉が、
この世界にない・・・
と感じることが多かった。
今でもブログとかnoteを書いていると、
書きたいことが多すぎて、辛くなることがある。
日々、感じているもの、気づきが
多すぎて、追いつかない。
「追いつかないなら、最初から走りたくない・・・」
といったゼロ百思考の強い私は、
このスイッチが入ってしまうと
もういっそ、書きたくなくなる。笑
的確に表現できないものなら、書きたくない。上辺の言葉に感じてしまい、自分で後で読み返して萎えるから。
そんな性分なので、更新にムラがあるのが我ながら惜しい弱点。。。笑
日本語は繊細な言い回しがたくさんあるから救われていた部分もあるだろう。
しかし同時に、遠まわしな表現があるからこそ思考が複雑になってシンプルに世界や物事を見れず、苦しかったという自覚もある。
『始めに言葉ありき』
という聖書の一番最初の一節があるけれど、私は本当にそうだよな、と思う。
自分の知っている言葉が、認識するもの、この世界を作っていくんだな、と思う。
だからこそ、言葉にないものを
この世界で見つけてしまったとき
迷子になったような気持ちになる。
あの迷子のときの心細さ、途方にくれて
泣きたくなる気持ち・・・
伝えたいことが伝えられない
って本当に苦しい。
大人になっても
地団駄踏んで泣き喚きたいくらい
この言いたくても言えない、
伝えたくても伝わらない
詰まっている感覚というのを
とにかく開放したくて
音楽という別の言語を借りた
英語という別の言語を借りた
そして少しずつ自分の表現の幅を増やした
だいぶ生きやすくなってきたし
日本語でも自分の言いたいことを
表現することができるようになってきた
私ははっきり自分の意見をいうのが苦手だった。
苦手だったというより、前述のように
自分の感じていることが日本語で表現できる
領域を超えていただけだったのだけど、
私は口下手なんだと思い込んでいた。
そのうち口下手だと思い込んでいたから、
自信が持てず、本当に上手く喋れなくなって
いってしまった、というがする。
でも音楽は詩的な表現や、メロディー、リズムが、話し言葉だけでは
キャッチできないものを掬い取って、聴く人に届けてくれる気がした。
生の感情を加工せず、そのまま直接相手に届けられる気がした。
英語については、英語という言語に含まれる
シンプルな構造やその言葉の裏に染み付いた国民性が
私の思考や感情をシンプルにしてくれたり、
口に出すことの勇気というか勢いを与えてくれた。
『始めに言葉ありき』
きっと色んな言語(表現)を学ぶということは、
その数ほど世界を知ることができるということだ。
どんどん、生きやすく、生きていこう。
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