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根拠なき信頼で子育てが楽しい

最近、娘(1歳9ヶ月)がちゃんと「選択」できるようになってきた。

娘には0歳の頃からおもちゃや服、おやつなんかを選んでもらっていた。
だけど、片方を選んでも次の瞬間にはもう片方を選んだり、
選ばなかった方を下げると「あー」という表情をしたり手を伸ばしたりしていた。
もしくは、「どっちがいい?」と聞かれて
「とりあえずどっちかに手を伸ばしたものの、やっぱりどっちも嫌」とか。(服選びでよくあった)

つまり、選ばせる格好をとっていたけれども、実際のところ娘は選べてなかった。
ただ目に映ったものに反応していただけ。
(選択肢の中によっぽど好きなものがあるか、よっぽど嫌いなものがある時は別だけど)

そんな娘が最近はしっかり選んで、自分が選んだものはちゃんと着たり食べたりし、選ばなかった方を下げても何も反応しなくなった。
服を着ること自体嫌がっている時でさえも、自分で選んだものはサッと着る。

…なんか成長を感じる。

ちゃんと意志を持って何かを選び、その選択に責任を持てるようになってきた…ように見える。


「成長したな」と思うと同時に、「意外と遅かったな」とも思う。
発達の教科書的にはこれくらいの時期で良いはずなんだけど、
いかんせんずり這いができるようになった生後4ヶ月から
おもちゃとか選択肢を目の前に出して「選んでもらう」という形をとっていただけに、もっと早く「選ぶ」ができるようになるのではと、頭のどこかで思ってた。

もしかするとそうした積み重ねがあって、娘は「選択する」ということができるようになったのかもしれないし、
もしかすると私が今までやってきた「選択してもらう」という行為は全くもって無意味だったのかもしれない。


もし私のやってきたことが全くもって無意味だったのだとしたら…




それってすごくおもしろくて楽しい!!!



子どもと接していて楽しいと思う瞬間の一つに
「私のちっぽけな考えや先入観を子どもが壊してくれること」というのがある。

ずーっとやってきたことが、もしかして無意味だったかもしれないだなんて、とっても痛快。笑っちゃう。
また一つデータが手に入って、おもしろいことを知れたなと思う。
こういうの好き。

こうしたらどうなるんだろう、ああしたらどうなるかなっていう実験的なのが楽しい。
「あんだけ一生懸命やってたのに…!!!」とはならない。
多分娘に対して「この子はある程度どう育ててもちゃんと育つし、幸せになれるだろう」という根拠なき自信ならぬ「根拠なき信頼」を寄せているからだと思う。
その信頼があるからこそ、「こういう接し方どうかな?」「こういう関わり方やってみよう」と気軽にできるんだと思う。
娘に対する見立てが当たっても楽しいし、外れても楽しい。

根拠なき信頼は本当に根拠がないんだろうか。
ふわっとしているけど、娘がどうこうよりも私と周りの状態よるところが大きいかも知れない。

まずは私自身が今結構幸せであること。
家族が好きで、仕事が好きで、自分のこともそこそこ好き。(たまに不満いっぱいになることもあるけど…概ね好きになりつつある)
色々ありつつも今現在幸せに生きてるので、娘もなんやかんやあってもきっと幸せな人生になるだろうと思える。

次に…なかなかの「毒親育ち」やハードモードな家庭環境でもそれを乗り越えて、すごく幸せそうに生きている人が知り合いに何人かいること。
付き合いの長い人達なので、彼女達が苦しんでいる時代から知っている。
苦しんで、いろいろな方法で向き合って、そして今は自信に満ち溢れていてすごく幸せそうに暮らしている。そのビフォーアフターを知っているので、必ずしも「親の育て方が悪かった=その人の人生がダメになる」ではないことを見せてもらえた。
本当に素敵な友達を持ったなと思う。
素敵な生き方を見せてくれてありがとう。


子育てに正解はないと思うのだけど、娘への「(たいした)根拠なき信頼」で関わると子育てが楽しいので、これからも出来る限りそんな感じでいきたい。

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