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回顧録「コロナ時代の私」9 間違えて厳しく規制しちゃったといわれても…

(なんだかんだ言いながらやっぱり続きます)

イタリアのクリスマス~年末年始の一連の厳しい規制は、1月6日のエピファニア(公現祭)でひとまず終わった。この日はキリストが誕生したことを知った東方の三博士がキリストのいるベツレヘムに到着し、祝福をした日で休みになる。イタリアではベファーナという魔女がやってきて、いい子には靴下にお菓子、悪い子には炭を入れると言われている。炭と言っても子供がもらうのはそれに似せた砂糖菓子で、これも美味しいので、私は子供の頃「別に悪い子でもいいや」と心穏やかに過ごしたものだ。大人になってからは、この日を境にお正月ムードが終わる悲しい日となったわけだが、今年の場合は厳しい規制が終わる日、という久々にちょっと嬉しい1月6日となった。

その後もミラノはそのままやや厳しめの規制が続いていたのだが、1月末ごろに、なんでも報告した感染者数が間違っていたとかで、ミラノのあるロンバルディア州はいきなりイエローゾーンに昇格した。イエローゾーンになれば、18時まで飲食店もオープンするので、ランチやアペリティーボ(食前酒)は楽しめると言うことになり、この差は大きい。それにしても、店を開けられるかどうかにはたくさんの人々の生活がかかっているのに、「数の間違いでした~」では済まないと思うのだが、こういう突っ込みどころ満載のところで、意外と突っ込まないのがイタリア人。

そのまま2月は結構よい感じで進んできたのだが、イギリスで発見された変異株はイタリアにも刻一刻と迫っていた。この変異株による感染者の増大で、3月頭にはミラノは再びオレンジゾーンに降格。そしてダークオレンジと言われる、レッドまで行かないがオレンジよりは規制の強いゾーンへと転落していく。店はオープンしているが、飲食店は再び閉鎖に。

変異株は確かに恐ろしい、だがもはやウィルスの恐怖は周りには感じられない。街には人が溢れていて、皆が普通の生活をしているように見えた。人々は家に籠ることはもちろん、ウィルスに恐怖心を感じることさえも飽きていた。この現実そのものに、みんなが疲れていた。

つづく

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