私の名前を呼んで

仕事柄、ニュースレター的な不特定多数宛のメールを毎日沢山いただく。それらへの対応の仕方は①タイトルや送信先から判断してメール自体開けない②メールは開けてみるが最初の何行かを読んで削除する③興味がある内容なのでとりあえず全部読む④全部読んだ上、送り主にコンタクトする…という感じだ。実際に仕事に必要なものだけが④まで行くが、そうでないものがほとんどで、大部分は①か②である。

そんな中、最近毎日曜日に送られてくる、とある写真のコースへのお誘いのPRメールがある。それはまず「Ciao Emma(こんにちは、エンマ)」と始まるのだ。大抵のニュースレターは、呼びかけもなく「この度、●●の新作をご紹介できることを嬉しく思います。云々」といきなり本題に入る。よくても「Buongiorno(おはようございます)」、または「Gentili Sig.ri(親愛なる皆様)」ぐらいの呼びかけしかない。一斉配信なのだから、仕方ないことだが。

でもこの写真コースのメールは違う。最初にこれが届いた時に、私はとりあえずメールを開けてみた。その書き出しが「Ciao Emma」となっているので、「え、誰? 私この人知ってる?」となり、そのまま読み進めてしまった。そうするとこのメールはまるで私だけに語り掛けているかのようだ。例えば、「私、もうちょっと広い仕事場が欲しいと思って今週引っ越しをしたの。そのために不動産屋を回っていて思ったのだけれど、不動産屋が出している部屋の写真ってちっとも素敵ではないのよね。お部屋の写真はちょっとした秘訣でもっと素敵に撮れるはず。あなたも素敵なインテリア写真を撮ってみたいと思わない?」という感じで始まる。
そしてどうしたら写真が上手に撮れるようになるのか、という秘訣を例と共にかなり色々説明してくれている。最後までは説明しないものの、かなり長いさわりなので、すっかり夢中になって読んでしまう。そして「もっと知りたい人はこちらまで」という感じになる。

そこで私は一つのことに気が付いた。名前である。自分を「あなた」とか「お客様」とか、または「奥さん」とか「すみません」ではなく、名前で呼んでくれる人に人間は反応しないはずはない。「ありがとう」だけではなく、「ありがとう、笑舞さん」と言われれば、役に立った感満載になる。一方、否定するときでも「いや、僕はそうじゃないと思うんですよ、笑舞さん」と言われれば、「私の意見はわかってくれているけど、彼もきっと違う考えがあるのね~」と否定されている事実もかなりポジティブに受け止めてしまうものである。

イタリアでは、お役所のオバサンは大抵、恐ろしいほど愛想がなく、レジのキャッシャーでさえ横柄で「ありがとうございました」の一言もないが、私は最近、名札をしている人にはなるべく「ありがとう、パオラ」とか「すみません、ジョヴァンニ」とか名前を付けて何か言うようにしている。それによって私の人生はだいぶ生きやすくなっている。

映画「プラダを着た悪魔」で、有名編集長がアシスタントに名前のあんちょこもたせて脇でフォローさせるシーンがあったが、次の問題は名前をどうやって知るか、またはちゃんと覚えるか、なのである。

( thanks_sariさんのイラストを使わせていただきました。ありがとうございます。もとい、「ありがとうございます、thanks_sariさん」)


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