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ダミアンハースト桜展

久しぶりに美術館に足を運びました。国立美術館のダミアンハースト桜展。自分のためだけに出かけるのが苦手で、他の用事と組み合わせないと外出しない出不精です。終わった展示の話をするのはナンセンスかもしれませんが、言語化してみようと思ったので記録します。

展示会概要
イギリスを代表する現代作家であるダミアン・ハーストは、30年以上にわたるキャリアの中で、絵画、彫刻、インスタレーションと様々な手法を用い、芸術、宗教、科学、そして生や死といったテーマを深く考察してきました。最新作である〈桜〉のシリーズでは、19世紀のポスト印象派や20世紀のアクション・ペインティングといった西洋絵画史の成果を独自に解釈し、色彩豊かでダイナミックな風景画を完成させました。それはまた、1980 年代後半以降、継続的に抽象絵画を制作してきた作家にとっては、色彩や絵画空間に対する探究の大きな成果でもあります。大きいものでは縦5 メートル、横7メートルを超える画面に描かれた風景は、儚くも鮮やかに咲き誇る桜並木の下に身を置いた時のように、私たちを幻想的な世界に誘います。
2021年、カルティエ現代美術財団は本シリーズを世界で初めて紹介し、高く評価されました。この度、春には満開の桜がお客様をお迎えする国立新美術館に、国内で初めてのハーストの大規模な個展が巡回します。本展覧会のために、107点から成る〈桜〉のシリーズから作家自身が24点の大型絵画を選び、展示空間を作り上げます。コロナ禍で閉塞感を抱いていた多くの人々に絵画表現の魅力を存分に楽しんでいただける機会になれば幸いです。

https://www.nact.jp/exhibition_special/2022/damienhirst/

SNSをうまく活用している展示はアトラクションのような人混みで、いわゆる美術館として思い描くイメージとは少し乖離しています。どちらが良い悪いではなく。私はミーハー的に話題の展示を「見る・撮る・共有する」の三段階で美術体験を消費することもありますし、展示を眺めて想像して調べて考えて思い返して……と取り留めもなく自身の中に消化することもあります。行った曜日なのか心持ちなのか、桜展は静けさを楽しむ展示でした。平日の雨の午後でした。

国立美術館は駅直結なので(乃木坂駅)、雨に濡れなくて良いです。びたびた水を垂らしながら傘を持って歩きたくないと思っていたので、大雨のなか折り畳み傘を選びましたが、鍵付きの傘置き場がありました。入口であれを見るたびに、そういえばそうだったと思います。


展示を見るにあたって、調べてから行く時と情報を避けて行く時がありますが、今回はざっとHPを見てから向かいました。公式で美術史家によるダミアン・ハーストへのインタビュー動画(約25分)があるのですが、見てから鑑賞したことでより楽しめました。ちなみに会場でも同じ動画を見ることができました。作品解説にとどまらず、キャリアを経て変化した絵画への心境を窺えて面白かったです。絵画や画家への否定と憧れ、野心と弱気について語る姿には人間みを感じました。

桜の題材はハーストの母の絵が原点らしく、攻撃的な作品のつもりが「恋をしているのか」と聞かれたというエピソードに笑ってしまいました。ただ私はこの動画で制作風景を先に見たからか、力強く投げられた絵具の表現に力強さを感じました。鑑賞中、キャンバスの上部や側面にまで飛び散った絵具にエネルギーを見たような感覚でした。「春代表です、新生活の象徴です」というような桜に、正直なところ私は苦手意識を持っていて。年を重ねてようやく桜の美しさを受け入れられるようになってきたところなのですが(我ながら暗い)、今回の強い桜は好きでした。

また、抽象と具象、ロックダウンの影響、「チラ見の要素」と「リスクという幻想」、作品のスケール等々興味深い話ばかり。動物をホルマリン漬けにして作品にするようなアーティストでも迷いや逃げがあったのかと驚き、それを言葉にする所に魅力を感じました。「無限の可能性が怖かった」、「今回は夢中で描いた」とかなかなか口にできない率直さだなと。理解の追いつかない作品の制作者でも、誰しもが抱えるような葛藤をしてきたというのは意外で、少しの親近感をもって作品を眺めました。

作品に限らず身近な人にも、この人には世界がどう見えているのだろう、と思うことがよくあります。今回で言うと桜。カラフルで大胆な色使いで表現されています。「赤を足せ」、「赤だけを足すな」そんな指示を飛ばす上司が身近にいたらちょっと嫌ですが、「ルールを作って壊す」ための行動を具体化するとそうなるのでしょうか。以前NHKの番組でKingGnuの常田大希さんも「破壊と構築」について話していたのがふと思い出されました。

アーティストが話す言葉として、中でも印象的だった部分です。


独創性は必要ないと気づいて俺は自由になれた。そもそも独創的になるのは不可能だ。こんな多面的な世界で誰もオリジナルにはなれない。あらゆる刺激を浴びて自分の中で組み合わせるしかない。

カルティエ現代美術財団によるドキュメンタリー・フィルム

自分の切り口で感じたものを組み合わせていくしかない、というのは救いになるなと励まされました。普段何かをゼロから作る場面は私にはそうそうないですが、完全に新しいものを生み出す可能性って今の時代どのくらい残されているのかと思う時があります。ただ、掛けあわせたり真似したりするにも引き出しは多いに越したことはないので、何かと勉強が必要ですが。

展示は全24作で結構大きいのですが(最小で274×183㎝)、2018~2019年にかけて制作されていて、アーティストの体力に驚きました。全て桜の作品ですが24作それぞれが当然違っていて、タイトルと作品がどう結びつくのか考えながら近づいたり遠ざかったりしながら見ていました。花の色、枝や葉、空の余白感によってパッと認識する雰囲気が変わるものですね。一口にピンク、赤、と言っても幅がありました。

空いている展示は、ぼんやり座って鑑賞できるので好きです。美術館でじっとしている他の人たちが何を考えているのか気になります。美術に詳しくて考察しているのでしょうか。集中して見ているつもりがいつの間にか、こんな風に色を置いて化粧をしたら強いピンクになるかなとか考えていました。あとは刺繍にはまっているので、フレンチノットでハーストの桜を模したら気が遠くなるなとか。外国人やスーツ姿の男性、学生、夫婦や子供連れなど色々な人がいたので今何考えているんだろうな~、あの人おしゃれだな~とか。おしゃれと言えばインタビュー動画の話に戻りますが、制作中絵具まみれのハーストが、動画終盤、おそらく(どう見ても)桜ファッションで自身初のパリでの展示を訪れるのが可愛らしかったです。個展、面白かったです。

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