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ふけいざい

ネットの一部を見る限りでは、某国在住や「その国が好き」と言い張る日本人には、彼の国の君主一家を少しでも批判すると自国の皇室に対する侮辱行為と捉え、当地の「不敬罪」(正確にはそれにあたる刑法)を現地人でもないのに持ち出して「お前は反日だ!」と言い張る人がなぜかいるようだ。かのファミリーに対する国民の求心力が目に見えて落ちているというここ数年はそうでもなさげだが、一時期は本当に目を背けたくなるものだった。
これは5ちゃんねるだけではない。YouTubeやTwitterにもそういう理解に苦しむ投稿をする人々はわんさかいる。
同じアジアで君主がおり、文化的な均質性が高くて英語よりも自国の国語の方が通じやすく、植民地時代を切り抜けて独立を守り(…というのは後者では解像度の低い歴史理解にすぎないし、他にもアジアで独立を保った国家は近代・現代の形態を問わずまだあったが)、第二次大戦中には枢軸国に冷戦時代には自由主義陣営にそれぞれ組み込まれ、かつ一神教徒ではなく仏教徒が(日本ではそう言えるかは微妙だが)マジョリティになっている国同士…と無理にでも共通点を多く見出そうとすればできる国同士だからこそ、勝手に「弟分」と日本人側が思っているのだろう。だからこんな公私混同したことが言えるのだろうか。
あるいは昨年正月のNHK『100分deナショナリズム』の稲垣吾郎の言葉ではないが「大きなものがあると頼りたくなっちゃう」人たち故、(実際は一部の左派を除きそうでもないが)日本国内では否定されがちだと思い込んでいる自身の皇室支持を、他国の君主一家に対する支持を引き合いに出して正当化しようとしているのだろう。

で、彼の国も君主制に対して改革を突きつける声が大きくなっているように、個人的には日本の皇室もどこかで改革を迫られるときが来るのではないかと考えている。古くは上皇と上皇后(当時は皇太子と皇太子妃)の結婚、そして現在の眞子女史の婚姻騒動もそのターニングポイントと言えるのではなかろうか。(なお冒頭のファミリーはその父の皇嗣殿下と懇意なことで知られている)
彼女の夫や姑をめぐる後ろ暗い噂は絶えないが、それでも結婚への反対を「国民の総意」とするようなー言うなれば「お気持ちを伝えたいがばかり主語をバカでかくしたような」主張ばかりがメディアからされ続けるのはどんなものかと思ってしまう。

余談だが、私は昔から日本の皇室をめぐるメディアの報道や市街のゴシップに対して、どうも曖昧さと違和感を感じ続けている。
ワイドショーや女性誌では年がら年中「関係者」からの又聞きで構成された皇室関連の憶測記事が載せられているのに、肝心の皇室のあり方他真面目な話をしようとすると「神聖にして侵すべからず」という明治期からGHQによる改革以前さながらのルールが暗黙の下適用され、「政治的」=センシティブな話題として退けられてしまう。こんな曖昧さも「日本らしさ」の一つなのかもしれないのだろうけど、かつてはイギリス王室のように皇室をとことん世俗的存在として(風刺のネタとしても使うくらい)扱うか、さもなくば戦前の日本か冒頭の某国のように厳しい不敬罪を設けるべきでは…と考えていたこともあった。
あと、むかし皇太子妃時代の現皇后について書いた豪州人が日本で大バッシングを受けたことがあったが、あれは彼が英国王室、とくに彼女と比較されるダイアナ元王太子妃を見てきて、皇太子妃にも彼女に対する接し方が許されると思っていたが故の悲劇だと思っている。

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