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神社参拝に思うこと。

日本の神社には2000年代から2010年代の所謂神社ブームや御朱印人気を過ぎても、なお年始や七五三シーズンなどでもないのに人でごった返しているところがよくある。最近は年始もそこらへんの神社でさえ大賑わいであるが。
しかしどの神社もスピリチュアリズムに興味ある人(所謂スピ系含む)や、そこまでいかなくとも日々「先祖に感謝」だのと敢えてSNSで発言したり、観光でもないのに神社参拝(近所のひっそりした神社ではなく決まって観光地や大手の神社ばかり)を報告したりするマイルドなスピ系一歩手前の人々、手水の取り方と二礼二拍手一礼以外はそれまであまりマナーにうるさく言われてこなかった神社参拝に、ドレスコードだの賽銭の額だの鳥居をくぐる前の一礼だのと変なマナーを言い出す自称「マナー講師」*1 などなどを客層にして商売気丸出しである。勿論、参拝者の中には単純にご利益や「神社萌え」*2 狙いも含めた観光を目的とした人もまだまだいるようだが、殊にスピリチュアルな何かを期待して来る人が増えており、そこに各社も反応しているような気がしてならない。私はそこに得体の知れない不気味さや不安ばかりを感じてしまう。
*1 えてしてこういう自称マナー講師は経歴が元・航空会社の客室乗務員とか、着慣れてもいない着物をさも普段着のように見せようと着ている人が多い。これが煮詰まると先述の「先祖に感謝」的なスピリチュアリズムに傾倒することもある。
*2 何でも萌え化するこの現代日本にそういう人種がいないわけはないだろう。

自分が見てきた中で一番露骨だったのはS県のM神社である。
何だか10年近く前に「ある女性フィギュアスケーターがここで強力な護符を受けて肌身離さずつけていたら、いつかの五輪でメダルを獲得した」だのといった噂が流れ、公共交通もあまり充実しておらず自家用車でのアクセスもあまり良いとは言えない立地なのに、なんとそれから一時期は参拝客がその護符を求めて、電車やバスだけでなくマイカーまで使って押しかけてくる事態になった。そこで彼らの一部がよく近隣の道路で渋滞を起こすこともよくあったために、その神社も彼女が持っていた護符の販売をやめたとかなんとか…という曰く付きとも言えるエピソードもある。
筆者も3回ほど訪れたことがあるが、境内に護符やらお札などを売る窓口だけでなく、グッズショップやら温泉兼喫茶店のような信徒休憩所(神仏習合の時代には宿坊だったが廃仏毀釈によりこのような休憩所に改められたとのこと)やらがあり、商売っ気満々なことこの上ない。それでもなおいつ来ても人でごった返している。
もともとこの神社には関東を中心とした日本各地に参拝者の集団が存在しており、昔から積極的に参拝や寄進を行ってきたという伝統がある。しかしそれにしても最近はそれらに参加もしていない「新参者」の参拝客の方が多いのではないかという賑わいぶりである。
なお忠告しておくが、この神社には休日、特に天気の良い連休の日などは避けて、平日に休みを取って行くことをお勧めする。直接行ける公共交通は某鉄道駅から出ているバスくらいしかないが、それでも休日は自家用車で渋滞して行きの途中でバスを降りて歩いた方が早く着くだの、帰りも最寄りの鉄道駅へのバスがなかなか来ないだのということがとにかく多すぎる。

その分明治神宮や靖國神社は「明確なコンセプト」がある分不安を抱きにくい。先述の神社のような、スピリチュアリティに依拠して国家神道の背景を感じさせない「ふんわり」したナショナリズムではなく、そこには19世紀以降の日本の確たる国家神道や愛国主義の姿を感じ取ることができるからだ。それゆえ「『ウヨク的』なものや戦争賛美はちょっと気がひけるなあ」という人が参拝者から大幅にフィルタリングされるが、ある種の宗教や信仰の形態、また政教分離など国家とそれらの関わりについてゆっくり考える余裕はまだ作れるのだ。
それでもなおミリタリールックなどを見て「右翼的な若者が…」と言ったり*3 桜の花を「右翼フラワー」と言ったりするとまではいかなくとも、「ふんわり」したナショナリズムと神社人気の関連性やそれらの行く末を思うに、日本の世相の見通しが暗い気がしてならない。
*3 15年近く前に2ちゃんねるで散々馬鹿にされていたが、今思うとあながち杞憂ではなかったようだ。

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