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映画感想文『独裁者と小さな孫』(あるいは『懺悔』との比較) *ネタバレ注意

(昔どっかに書いた記事の再掲)

映画『独裁者と小さな孫』(The President, 2014年)を観た。
監督モフセン・マフマルバフはゼロ年代のアフガン訪問時にできた原案を「アラブの春」を機に脚本を練り直したらしい。道理で革命に乗じた民衆の暴走や登場人物のセリフなどにポピュリズム批判がちょこちょこ出てきたわけだ。
ただマフマルバフの出身国であるイランという国の位置上(もちろん監督は主人公の元ネタに旧イラン帝国皇帝も挙げている)、そしてなおかつ製作されたグルジア(現ジョージア)という国の経歴上、近隣の旧ソ連諸国の独裁政権と政変も元ネタとして盛り込まれたのかなあと推測できた。(特に出てくる大統領の娘たちはアゼルバイジャンのアリエフ家やウズベキスタンのカリモフ家の妻子のパロディなのかな?)
「アラブの春」以前に2003年には当のグルジアでも野党(当時)の抗議運動によるシェワルナゼ政権崩壊という「バラ革命」が起こっており、ウクライナの「オレンジ革命」(2004年)、キルギスの「チューリップ革命」(2005年)、旧ソ連ではないが中東のレバノンの「杉の革命」(2006年)と合わせて「色の革命」と呼ばれた。ただどうもこれらと例の「アラブの春」や、マフマルバフの出身国イランでの大統領選挙に対する抗議運動(2009年)らを関連づけて話すのが陰謀論系の論説しかないのが不思議なのよね(確かに「色の革命」はバックにジョージ・ソロスのOSIがあったというけど)。ただマフマルバフとしてはそれらも念頭にあったのかなぁ、と。
あとイランに対するグルジア人の反応は概ねよろしくない(日本でいえば韓国との関係みたいなもの?)と聞いたので、それに対してもどうだったのかとふと疑問には思った。

物語は架空の国を舞台にしたいわゆる逃走劇ではあるのだけど、さっき書いた背景による政変に伴うポピュリズム批判のメッセージが強かった。革命が起これば新政権に寝返り、民間人にまで略奪や強姦といった狼藉を働く兵士。民主化と前政権大統領の始末について議論する元政治犯たち。
それに対して主人公の独裁者は逃亡生活で人間臭さを醸し出すようになり、その孫は子供特有の純真さとわがままでいっぱい。どちらがヒューマニストなのかってやつでしょうね。

そういえば「独裁」「家族」などといった共通のテーマを扱ったソ連時代のグルジア映画(この映画の制作国と同じだ…)『懺悔』(«Покаяние», 1984年)を10年近く前に観たけど、ペレストロイカの時期にソ連本国で製作・公開されたという分作品の重みはかなりあった。そのぶん正直最初、本作がもしその作品と似た様な話だったら時代背景や内容を考えるとやや時代遅れかもしれないという予想があった。
でもまんまといい意味で裏切られました。『懺悔』に登場する独裁者の孫はある程度成長して分別もついており、ラストでは死んだ祖父や父の所業に憤慨する。そして1980年代にはソ連のペレストロイカとは別に「衛星国」を中心とした東欧諸国の革命や中国の天安門事件といった社会主義諸国の民衆の運動はあったものの(ルーマニアではそれこそまさにチャウシェスク処刑があった!)、あくまで抑圧された人々の表象はマスではなくて一人の墓荒らしの女に集約されている。
でも本作では先述の通り孫は無邪気でまだ視野も狭く、祖父の所業に疑問を持つ言動をも見せず、自分の身に降りかかる非常事態にブーたれながらも現実を受け入れている(状況を通じてイニシエーション=成長を見せたりはしない)。そして「アラブの春」のリビア政変でカダフィ大佐の首を狙う暴徒たちのように、祖父と孫を付け狙う民衆たちが生々しく描かれている。そういう時代背景に基づく差異が観られたのは面白かった。

こうしたいい意味で期待はずれの作品に出会えるのは幸せですね。いやあ映画ってほんといいもんですね(CV: 水野晴郎)。

追記: 劇中の政治犯の一人(吟遊詩人?)がブラト・オクジャヴァの作品みたいなのを歌っていたけど、全部オリジナルスコアだったんだね。(どうも観るにも地域柄のバイアスがかかってしまう)

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