社会課題の解決に行動デザインが必要な理由
イノベーションの機会としての社会課題
社会課題を機会として捉え、新規事業を創出するスタートアップや、大企業のイノベーション組織が増えています。多くの企業が社会課題の解決、イノベーション、SDGs(国連の持続可能な開発目標)などのビジョンを掲げてビジネスを推進しています。例えば、"社会課題 ビジネス"で検索すると、たくさんの日系メーカーのホームページがヒットします。
また、事業開発側だけでなく、投資サイドにも「インパクト投資」と呼ばれる社会的事業を行う企業や組織に投資する波がきています。社会的成果と財務的リターンの両立を目指すファンドが増えています。インパクト投資は、有名なESG投資(環境・社会・企業統治の頭文字)と比べて、実社会に与える影響度(インパクト)を「数値」で計測・可視化される点で、これまで以上に大きな注目を集めています。
社会への「インパクト」の考え方をビジネスデザイン(新規事業の構想)に取り入れる手法については、以前のnoteで紹介させていただきました。
社会課題の解決は「ビジネスの源泉」
このように近年注目を集めている社会課題起点の事業創出ですが、社会課題と聞くと、どこか他人事のように感じる人が多いと思います。「慈善事業をやってるんじゃないんだから」、「一部のNPOとかの人が考えることじゃないの」といったように、社会課題は、事業とは全く関係ないものであり、我々の日常生活から遠く離れたことのように感じてしまいます。
しかし、そもそもビジネスは社会の「不」を解決することで生まれるケースが多いと考えられています。「不」とは、不平・不満・不安・不便といった私達が日常で抱える課題であり、多くの人がその「不」を抱えているほど、解決することへのニーズがあるという考え方です。もちろん、不を解決する以外にも、趣味型の事業もありますが、大きな機会の1つとして考えられています。
出典:シルバー産業新聞
「不」の解決による事業の構想については、リクルートの思想にもあると聞いたことがあります。リクルートの事業開発に関する書籍で、「不」を解決することでアイデアを作るというメソッドが紹介されています。
また、有名なジョブ理論(ジョブとは顧客が解決したい本当の課題のこと。例として、顧客はドリルではなく穴が欲しい。)は、本質的なニーズを捉えるためには、表面的な不平・不満の背後にあるジョブを見抜く事が重要だと説明しています。つまり、社会が抱える「不」は、直接ニーズになるわけではないとしても、必ず、顧客が抱えるニーズに繋がっています。
社会課題と聞くと、特別な話のように聞こえますが、実はずっと以前から、社会の「不」を解決すること自体がビジネスチャンスを捉えることだったと考えられます。
社会課題解決型ビジネスの成功事例
それでも近年、SDGsやインパクト投資といった概念や、社会起業家が注目されているのは、地球環境や社会に対するビジョンを大きく掲げ、ビジネスを成功させている事例が多く見られるようになったからだと感じています。
社会事業という文脈で、最も頻繁に引用される事例は、アウトドアブランドのパタゴニアだと思います。パタゴニアの環境への取り組みは、ブランディングとしての位置付けだけではなく、サプライチェーン全体のなかで、サプライヤーの選定、使用する材質の選択など、ほとんど全ての意思決定がサステイナビリティ(持続可能性)の視点から行われていると言われています。
DON'T BUY THIS JACKET(このジャケットを買わないで)というキャンペーンは象徴的でした。自社製品を含め、地球への影響(CO2排出量など)の観点で全ての人が「消費する量を減らして欲しい」というメッセージです。
ブランディングだけでなく、パタゴニアの製品は長く使い続けられるようにデザインされていたり、修理や中古の販売の仕組みが整えられています。WORN WEARというプラットフォームでは、修理マニュアルを提供し、自前のソーイグキットを持っていれば、多くの商品を自分でリサイクルができるようにしています。また、日本では実施してないと思いますが、他の国のパタゴニアでは、修理をするパタゴニアの移動式の車が修理する製品を回収するキャンペーンも実施していました。
留学中に受講した「サステイナブルデザイン」での課題
このように、ビジョン、ブランド、製品、サプライチェーン、メンテナンス全てに、サステイナビリティ(持続可能性)の思想が現れています。これによって、商品を購入する消費者もその思想を感じ取り、また、働く従業員もそのストーリーに誇りをもっているように感じます。
例えば、先々週の記事に、前CEOのRose MarcarioさんがFacebookがフェイクニュースに加担していると意見し、Facebookを広告利用することをやめたというニュースがありました。
このように、社会的に良いこと(Social Good)を追求している姿勢やストーリーがDNAとして、トップから、従業員、使用される材質、製造されるプロダクトと、一貫して埋め込まれており、社会的企業としてのロールモデルとして注目を浴び続けています。
パタゴニアは一例でしかありませんが、このように、社会事業、社会起業というのは、社会にとって良いことをする「思想」が全ての事業活動に組み込まれており、このような事例は増え続けています。
社会課題と人間の行動の密接な関係
社会課題解決と人間の行動デザインがどのように結びついているのか考えて見たいと思います。具体的に3つの例で考えてみたいと思います。
1. 地球温暖化をテーマに考えてみます。
温暖化ガス排出源としては、牛肉(畜産分野の約80%)が1つの大きい要因と言われています。北欧等のサステナビリティへの感度が高い国では、地球のために牛肉を食べない選択をする人も大勢います。言ってみれば、温暖化ガスの排出を削減するためには、大きな排出源である牛肉を食すという「行動」を控えたり、やめたりすることは大きな効果があります。
2. 糖尿病などの生活習慣病について考えてみます。
世界で第二位の糖尿病体国であるインドでは、国際糖尿病連合によると、中国に次いで7700万人もの糖尿病患者がいると言われています。インドの食生活は、カレーやコメ、チャパティなど、油や炭水化物中心の食生活をしています。また、夜の9時や10時に夕食をとる家庭が多いなど、食習慣が糖尿病となる大きな理由となっています。つまり、人間の「行動習慣」が健康を害する原因です。
3.猛威をふるっているコロナウィルスについて考えてみます。
ウィルス自体は人間がどうすることもできない問題ではありますが、コロナが感染拡大するかどうかは、3密を避けるといった私たちの行動と密接に関わっています。経済誌エコノミストの記事に、アメリカの一部人は、コロナパーティーを開いたり、マスクをつけることは恥ずかしいことだと考えるなど今求められている行動をとることができていないと語り、感染が広がるかどうかは、ニューノーマルな行動習慣に変えていけるかどうかが肝だと伝えていました。
このように、社会課題という大きな単位の現象も、ミクロに見ていければ、その多くは私たちの文化、習慣、行動を変えることで、改善していく機会があるのではないでしょうか。皆さんは、どんな社会課題を思い浮かべますか?考えてみると、多くの社会課題が、私たちの行動や習慣と関係しているのではないでしょうか。
人間の行動を導く「行動デザイン」とは
では、人間の行動と密接に関連している社会課題を解決するためには、どのようなアプローチが効果的なのでしょうか。記事のテーマでもある「行動デザイン」によって、人々の行動に働きかけていくことが重要です。先ほどの3つの例をもう1度考えてみると、
地球温暖化の例では、
「どうすれば、われわれは、牛肉中心の食文化から、野菜中心の食文化へと変えていくことができるのだろうか?」という問いであったり、
糖尿病の例では、
「どうすれば、糖分や油分を多く含む食材ではなく、ヘルシーな食生活へと変えていくことができるのだろうか?」という問いであったり、
コロナの例では、
「どうすれば、マスクをつけることが恥ずかしいと考えているアメリカの若者が、マスクを着用することが習慣化するのだろうか?」といった問いがあると思います。
これらはすべて、人間の行動や習慣に何らかの方法で働きかけることによって、変えていくことができれば、社会課題解決に結びつくと考えられます。
人間の行動や習慣について、心理学、行動科学、行動経済学といった分野では研究が進んでおり、それらの知見を活用して、行動変容(行動を変える)を実現するためのアプローチとして、行動デザインという分野があります。
こちらの書籍は2020年6月に日本語版が出版されたものです。本書から行動変容デザインの定義を引用します。
いわゆるプロダクトデザインは、よいプロダクト、つまり、よく機能し、人が使いたいと思うプロダクトのつくり方に関わるが、行動変容デザインは、よいプロダクトであると同時に、行動に働きかけるプロダクトのつくり方を対象とする。行動変容デザインの目標とは、人が何かをしやすくすること、それも、これまでやりたいと思っていたのにできなかった行動をできるようにすることだ。
行動変容デザインとは、直接、人間の行動を変えることではなく、人がやりたいと思っていることや望ましいことを「しやすくする」デザインのことだと言えます。そのために、環境に働きかけたり、情報を提示して、思考に働きかけたり、様々な工夫によって、人間の行動を支援します。
この記事では、具体的な行動デザインの中身には踏み込みませんが、行動デザインのベースとなっている最も有名な行動モデル(Fogg Behavior Model)を紹介します。スタンフォード大学のB.J.Fogg教授という行動デザインの研究の第1人者が提供するモデルで、Instagramを生み出したマイク・クリーガー氏も彼のコースを受講していたそうです。
非常にシンプルなもので、人間が行動するためには、Prompts(きっかけや合図)、Ability(充分に簡単だという能力)、Motivation(やる動機)の3つが必要で、逆言えば、この3つがなければ行動しないというモデルです。AbilityとMotivatioが図の緑線を超えれば、行動が発生すると考えます。
例えば、インスタグラムの場合、スマホ画面で通知が来たり(Prompts)、簡単な操作でストーリーを投稿できたり(Ability)、趣味のある人の投稿を見たり、いいねをもらったりといった報酬(Motivation)が設計されています。こういった行動を促す仕組みがデザインされています。
Fogg Behavior Modelはあくまでも1例ですが、行動経済学で有名なナッジ(強制ではなく自発的に望ましい行動を選択する仕掛け)であったり、ゲーミフィケーションといった、人間の心理や行動に関する様々な知見を、総合的に活用して、行動デザインは行われます。
行動デザインのプロセスは
1.人間の心の働きが行動の決定にどう作用するか「理解」
2.変えるべき(創り手が変えたい、ユーザーが変えたい)行動を「探索」
3.設定した行動に向けて、プロダクトを「デザイン」
4.測定と分析に基づいて、プロダクトの効果を「改善」
という4つの段階で、意図する行動が実行されるか否か(ターゲットアクションが実現されるか)を基準に設定します。
具体的な行動デザインの手法については、上述の書籍やオンライン講座などで学ぶことができます。こびーさんのnoteも勉強になります。
社会課題 x 行動デザインの事例紹介
事例を紹介したいと思います。
そもそもこの記事を書こうと思ったのは、留学中に「ケニアの食の安全」をテーマに社会課題を解決するビジネスデザインを経験したり、今も心の健康といった社会課題を起点とする事業を開発する経験がきっかけでした。良いプロダクトを作るだけでなく、どれだけ、社会へポジティブな影響(インパクト)を与えられるかの視点から、行動デザインにたどり着きました。
社会課題を起点とするビジネスと行動デザインは、先進国含め様々なケースが考えられますが、今回は私が留学時に実施した「ケニアの食の安全」に関する事例をご紹介します。
ケニアの食の安全を改善するビジネスデザインの概要
【社会課題】
ケニアでカビ毒を含む食材(牛乳やトウモロコシ等)が蔓延し、発達障害やガンの早期発現の原因と考えられていること。
【クライアントの悩み】
クライアントであるフィンランドの国立資源研究所は、カビ毒の原因物質等、科学的な原因は解明できたものの、カビ毒を含む食材の蔓延はとめることができず、社会事業によって解決したいと考えていた。
【取り組み】
ケニア現地でのサプライチェーン全体における問題構造の理解、ユーザーの価値観や行動習慣の理解に基づく、解決策(デジタルプロダクト)の提案
プロジェクトでの写真
日本では食の安全と聞いてもイメージしにくいですが、ケニアの例では、トウモロコシを育て、収穫する際に、雨ざらしになってしまい、充分に乾燥することができず、カビてしまうことがあります。その湿気によって、アフラトキシンと呼ばれるカビ毒の一種が発現し、発ガン性や子供も発達障害にもなりうる有害物質を気づかずに食べてしまうケースがたくさんありました。
サプライチェーン全体を考えてみると、図にあるような問題がありました。
・農家:食の安全に無関心、安全な食べ物の生産方法の知識がない
・バイヤー:買い付け時に、食の「質」を検査してない
・お店:汚染された食べ物を知らずに販売する
・家庭:見た目では分からないため、汚染された食べ物に気づかず食べる
例えば、農家が安全な食の生産方法の知識がないという問題に注目すると、発ガン性のあるトウモロコシ(見た目にもカビが生えている)を家畜のエサとして使用していました。その家畜は、発ガン性のある食べ物を摂取し体内に蓄積しているらしく、そのミルクを人間が飲むと、高濃度の発ガン性物質を摂取することになります。
プロダクトを通じて、導きたい行動(ターゲットアクション)は「安全な食を生産する知識に基づいて、トウモコロシやミルクを生産すること」だと、定義することができます。
例として、先ほど紹介したB.J.FoggのBehavior Modelを考えて、プロダクトのアイデアを発想してみると、
Prompts:カビ毒が発生してそうなトウモロコシを見たときにすぐに捨てたいと思うよう、収穫時期に合図を送る必要があるだろうか?
Ability:安全な食べ物を生産することを簡単にするためには、まず、知識を啓蒙(教育)するプロダクトが必要ではないか?
Motivation:安全な食べ物を生産することにインセンティブ(報酬)がないことから、安全な食べ物が高い値段に売れる仕組みが提供できないか?
といったソリューションのタネが出てきます。
これらのソリューションのタネを活用して、例えば、農作物の生産者が「安全な食を育てる知識が得られ」、消費者が「安全な食べ物がどれなのか」といった情報を得られるプラットフォーム(アプリケーション)というサービスが考えられます。
紹介した思考プロセスそのものを実際に辿ったわけではありませんが、ユーザーのターゲットアクションを決める、行動ジャーニーを作ってみる、行動デザインのTIPS(行動モデルやナッジ等)を参照して、ソリューションを発想していくなど、行動デザインのプロセスを活用することによって、事業を通じて成し遂げたい社会課題の解決に繋がるプロダクトデザインを進めることができます。ビジネスモデルのデザインであったり、仕組みを考えることは別途、並行して考えていく必要があります。
まとめ
社会課題を捉えることは、新規事業やイノベーションの機会になること、そして、その社会課題を解決していくためには、人間の行動の理解とデザインが欠かせないということについて書きました。社会課題と聞くと、慈善事業のイメージがあったり、私には関係ないといった印象があるかもしれませんが、そもそも社会の「不」を解決することはずっと以前からビジネスを生み出す源泉であったと考えています。社会の「不」と密接に結びついているミクロな顧客ニーズを捉え、そのニーズを満たすプロダクトをデザインするためには、行動経済学や心理学を応用した「行動デザイン」が必ず必要になってくると思います。
参考になれば嬉しいです。
Photo by Simon Shim on Unsplash
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