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法と文化

文化って、いい響きですよね。英語にするとカルチャー。XXカルチャー、とかよく言うけど、文化ってそう簡単に作られる(作れる)ものでは無いと思います。意図的に作ろうと思っても、そこには少なくとも何かしらのコミュニティーが存在していないといけないし、そのコミュニティーの中でやんわりみんなが文化だと感じている雰囲気を作り出さなければならない。

例えば、何かに挑戦しようとした人がいた時に(パン屋さんを始める!とか)
、そのコミュニティーの中で発信したら、みんなで応援する雰囲気が出来上がっていたとすると、そのコミュニティーには「応援文化」が根付いている、と言えると思います。

どこからともなく発生することもあるし、発端を辿れば例えば誰かの挑戦は応援するようにしてください、という「ルール」がそのコミュニティーにあったのかもしれない。いずれにせよ、文化が出来上がった時に、ルールという存在はかなり薄くなっていて、なんなら知らない人もいて、ルールを凌駕するのが文化なのかな〜と感じています。

ルールを意識せずとも守られるようになったらそれを文化と呼んでいいのか?と考えると、文化は実はルールで作ることができる、と言う方程式が成り立ちます。

ルールは決まりごと。国のルールといえば法律。つまり国単位でみると、法律のもとに文化ができあがる、っていうこともあるのか?と考えると、あながち間違いではないのかなとも思います。法律とはいわゆる制限のことです。制限があると人はクリエィティブになると言われていますので、制限(法律)があるから独自の文化が形成されていく、っていう流れは必ず存在します。

小さなコミュニティでも、まずはうまくルールを作れば、いつしかそこに文化が生まれてくるっていうのがあるんだろうと考えて、文化は意図的に作れる!という結論としたいと思います笑

とまあ、こんな思考になった理由を最後に。毎日Voicyという音声プラットフォームで音声配信を聞いています。いつも聴くパーソナリティーの中に、佐々木俊尚さんがいるのですが、彼はジャーナリストというだけあって、話の展開が端的で変な寄り道や広告が一切なく、伝えたい内容だけを端的に発信してくれるのでこちらも短時間で聴きたい情報にありつけるところがすごく魅力的だと感じています。

昨日のvoicyで、「あの子もトランスジェンダーになった」というアメリカで発売されている書籍の日本語訳書籍の出版がKADKAWAから発売中止になったという話についての配信の中で、以下のようなことを語っていました。そこから、ふと思い立っての「法と文化」という題材でした。

「表現の自由の権利を確保した上で、その上で批判し、否定すればいい。批判は本を出させない、とか喋る権利を奪う、のではなく、文化として行うべき。法で規制するのではなく、例えばそういう本を読んでいることを恥ずかしいと言ったような文化で否定(議論)すべきだと思う」

Voicy 2023年12月9日放送 佐々木俊尚

佐々木さんのVoicyはたくさんの気づきがあるので皆様もよければぜひ。

それではまた。



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