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誰かひとりは最後の砦に

上の子どもが学校へ行かなくなったのは、小学校3年生のころ。当時の担任の先生は、毎日お手紙をポストに入れてくれたけど、学校へ来るように促したりということはあまりなかったように思う。

4年生になって少しやる気が出て行けるようになったが、宿題がをしたくないので「やりません」と言っていたり、授業中に少しぼーっとしていても大目に見てもらったり、週のうち何度も休んだりしていた。

先生が何度かお電話をくださる方で、方針が相容れなくて何度も議論になった。

「ずっとそうやって、やりたくないことをやらせないままでいいとは僕は思いません」

「我慢することも大事で、頑張るから自信が付くのではないですか」

「身近なお母さんが『やらなくていい』ということで、ずっとそのままでいくんですか」

みたいなことを最終的には言われる。

その時に気持ちが揺らいだりはするのだけど、考えていたのは、「私まで学校に行ってほしい、と強く言ったら、それでも『行きたくない』という結論になった子どもはどうなってしまうのだろうか」ということ。

親が強く「行ってほしい」と思っていたとして、それに逆らって休むのは結構なエネルギーがいる。罪悪感もあるし、自己評価も下がる。「親の期待に沿えない自分」みたいになってしまう。

行きたくなくても「行きたくない」と言いづらくなる。言えないから、逃げるようになる。そうやって、「学校へ行きなさい」と言う親戚とはもう会いたくない、と言われる経験は何度もあった。それが親だったら、子どもはどこへ逃げればいいのだろうか。

もしかしたら、将来社会へ出るためには「今から社会へ出たほうがいいよ」「自立するためには必要だよ」と言ってくれる人が必要なのかもしれない。でも、私はひとりしかいないのだ。私がそれをやってしまったら、彼らがどうにもならなくなった時に安らげる場所はどこになるのか。

だから私は「そういうことも必要かもしれませんが、先生たちや周りの人が学校へ促してくれるのもあり、私は『どんなことがあっても味方だよ』という最後の砦になるしかないと思っています」と話していた。(それでも、なかなかわかってもらえなかったけど)

ひとりでは子育てができないので、いろんな大人に接してほしいとは思う。そして一番近い私は、「どんなあなたでも愛しているよ」と言い続けるしかないのだと思う。それ以外の選択をしたら、彼らは何を拠り所にすればいいのだろう。

いくつかの物語には、何もかも許してくれるおばあちゃんが登場したりする。そこで主人公は精神の安定を得る。そういう人がいれば、親が子どもに高い期待を寄せるタイプだったり、あれやれこれやれと指図するタイプでもいいのかもしれない(私も全然厳しくない、というわけでもないのだけど)。だけど、そうでないのなら、彼らの苦しい状況を受け止められる場所は絶対に必要なのだ。

そんなわけで、彼らの味方になりたいなと思っているし、これからもその力を育みたいなと思っている。

最後に告知になりますが、もう少しお付き合いください。

やっぱりうまくできないこともあるし、ガミガミしてしまうこともあるので、これからもずっと味方になるための力を育てたい。そんなワークショップを企画しています。気になる人はちょっと覗いてみてください。

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栃尾江美(とっちー)
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