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ホームレスの方々支援(またまた、支援されている私)

今日は教会のホームレス支援プロジェクトに参加した。プロジェクトといっても、毎週教会として取り組んでいるものだ。

背景としては、Glass Doorというロンドンをベースとしているクリスチャンのチャリティ団体がロンドンにある教会の協力を経て、ホームレスの方を支援している。私たちの教会St. Peter Notting Hillは毎週火曜日が担当となっており、火曜日の夜ホームレスの方へ夕ご飯を準備し、その後シェルターとして教会を解放する。暖房が整備されているので、ホームレスの方々は安全な場所で眠ることができる。

私はBedfordでもこの「Wellbeing」を担当していたため、ホームレスの方々にお茶や食べ物を提供したり、おしゃべりすることをとても楽しんでいた。今日はSt. Peterでの1日目だったが、「えみ、そんなに働かないでよ。私たちが働いていないように見えるじゃん!」と冗談を言われるほどだった。笑

私もご飯を食べていなかったため、ホームレスの方々とおしゃべりを楽しみながら晩御飯を楽しんだ。今日のご飯は、スープ、パン、メインディッシュは牛肉のパイ、そしてデザートにカスターとソースのかかったパイだ。美味しかった、というのはいうまでもない。

助けられるのは私のほう

私は自分の席を代わりながら色々なホームレスの方々と話した。

Levinとは最初に彼とイギリス国内の話をした。「ケンブリッジはいいよ。2、3年くらいそこで寝てた。」「でも、ロンドンの方が一番いい。暮らしの質とか。」というので、私が「そうかなあ。そんなにお金を稼いでもねえ」というと、彼も続けて、あれやこれやと話してくれた。普通に、楽しかった。私が心を開いて話すと、彼らも心を開いて話してくれる。それが友達みたいで、普通に嬉しかった。

Levin私が今、住み込みのベビーシッターをしていて、今週末で終わり、新しい仕事を探していると伝えると、Levinは「『Indeed』から仕事を探して、どんどんCVを投げるといいよ。すると色々なところか面接の電話が来るようになるから」と教えてくれた。他にも丁寧に仕事探しのプラットフォームを教えてくれた。

私は丁寧に「助けてくれて、本当にありがとう」を言った。

いつも思うのは、私は「支援をしにきた」はずなのに、また助けられていると。
(復旦大学留学日記、出稼ぎ労働者の方々との交流をぜひご覧ください)

私はお茶と食事を提供すること、食事とお喋りを存分に楽しんだ。

私が一人の男性の横に座った時、彼は私に言った。「僕は片目が見えなくなってしまったんだ。CT検査を受けた結果はまだ来ないんだ」
「I am so sorry to hear that」
そして、私は「あなたのために祈ってもいいですか?」と言った。そして、食事の後教会のメンバーで祈ることになった。

食事の後、みんなが教会にシートを敷いて寝床を作り終わった頃、私たち教会のメンバーは彼を囲み、彼の左目の視力が元に戻るようにイエス様の御名で祈った。

皆の手が彼のもとに向けられている。私はその祈りの強さに思わず後退りした。祈りの力は強い。神様の力が一人一人の手から伝わっていた。祈りの後、彼は、ありがとう、ありがとう、と何度も皆にお礼を言っていた。そして私に「ありがとう。あなたのおかげだよ。」と言った。私は、「私ではなくて、神様(の力)です。」と言った。

帰ろうとしてコートを着た頃、食事の時に話していた男の方が挨拶にわざわざドアのところまで来てくれた。DJをしていてダンスもできたという男性。日本のヒップホップダンサーのシンゴという男性とルームシェアもしていたそうだ。そんな彼が「さっき祈っていたね。」という。
私は、「うん。As a Christian, all we can do is just PRAY.」と答えた。
「また来週もここに来たら、えみはいるの?」
「うん!いると思う!」
「じゃあまた」
「じゃあまた」
私たちは、友達になっていた。

ドアのところでこのプロジェクトの責任者の方から引き止められた。
「えみ、あなたは神様から特別なCallingをされているよ。」
私はそんな、大袈裟な、、、と思いながら、「なぜ?」というと、
「これまで何年もこのプロジェクトをしてきたけれど、ここで誰かのために祈ったのは初めてだよ。あなたは今日初めてこのボランティアに来て、それを実現させた。」
私は驚いた。なぜならこの日、Belindaという女性にも
「えみが教会の遠足(Weekend Awayで)証をした時、ホールが静まり返った。あなたの証に皆が神様の愛を感じたのよ」って言ってくださり、私もその反応に驚いたのだ。
神様が特別に私を遣わせているというのだ。

私は、「そ、そんな。。。」という反応だった。でも、心の中では、神様はきっと私に大きな期待をしてくれているだろうと信じていた。だから、こんな二人から言われた時、思わず神様の臨在を手に取るように感じたのだ。私は教会に神様のために仕えにきた。のに、自分が大変楽しんで帰るところだったが、帰る前に教会のメンバーにこんな証を言われると、なんだか私も怖気付いて、そして責任を感じるようになった。人々のために、教会のためにもっと尽くさなければ。そう思えてしかたなかった。

火曜日の夜、それは忘れられない教会でのボランティアの夜となった。


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