何気ない日常こそ価値がある

ドイツに住んでいた時の記事を見つけた。これ本当に私が書いたの?って思うくらい驚いた。この記事を見つけて読んだ時、ネガティブだったので感情の振り幅が大きい自分にビックリしたんだよね。

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許可がでて20日ぶりの外出、こどもたちを幼稚園・学校へ送りにいく。今日は金曜日、いつものようにWochen Marktと言われる週末の青空市場があった。(市場では新鮮な野菜・肉・パン・チーズ・たまごなどが売っている)

信号を待っている時、5歳の息子が「音がする」といった。

ほんとうだ。車・電車の音、通学するこどもたちの声、こんなにも音があふれていたなんて。。。20日間ステイホームをしていたわたちたちにとって、外はまるで別世界のよう。わたしにとっては少々刺激が強いと感じたけれど、これが日常なのだ。

・朝起きられること 
・ごはんを食べられること
・トイレに行けること
・家事ができること
・なんの問題もなく呼吸ができること
・自由に身体を動かせること 
・健康でいること 
・眠れること 

なんてことない日常が実はとてもすばらしいことを改めて知った。世界中で流行しているコロナに感染し、今までにない苦しみを味わった。。

病気になると弱気になったり、心細くなったり、健康のありがたみを思い出す。しかし、病気にならなくても、この何気ない日常生活がすばらしいということに気がつくことは誰にでもできる。

ふだん当たり前にしていることを、当たり前と流すこなく、その当たり前に自分で価値をつければいい。要はひとつ、ひとつすることに感動すればいいのだ。感動できなくてもうよい。感動するフリでいい。このフリこそハッピー時間を生み出す。

朝起きた 
すばらしい! 
電車に乗って無事に目的地についた
イエーイ!

当たり前の行動にすばらしい!ヤッター!嬉しい!なんでもいいので、ひと言付け加えるだけで、自分をハッピーにすることができる。一見バカバカしく見えるけど、効果絶大。

そしてもうひとつすばらしいこと。それは「自分」。「わたしはすばらしい」と自分で言ってしまおう。いやいや、それを言うと苦しい自分がいるかもしれない。それも自分。それはとても自然なこと。

見たくない自分がいたっていいじゃないか
自分の嫌いなところを見つけてしまって、落ち込んでいる自分がいたっていいじゃないか
イライラしたっていいじゃないか

みんな同じ。どんなに素敵なひとだって、同じ感情を持っている。そう感じることは自分だけが特別なことではない。

話がそれてしまった。でも伝えたかったから書いた。てか、自分に言っているな、コレ。

フツーの日常生活はすばらしい。そのことに目をむけるか向けないかは自分次第。やっぱり物の見方次第で見える世界はかわるんだなあ。

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そうだよね、自分次第なんだ。
次回は名古屋生活について書いてみるかな。


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