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人が戦う理由?

歴史を見ると人々はとても長い間戦ってきたわけですが、人が戦う理由って何なんでしょう?
動物が戦う理由って、きっととてもシンプルで、「もっと食べ物が欲しい」とか「あのメスと一緒になりたい」とか「もっと自分の仲間のテリトリーを広げたい」とかだと思います。
じゃぁ人間が戦う理由も同じ様な理由なのでしょうか?
実は私、人間が戦う理由も動物とあまり変わらないのかな〜なんて何となく思っていたのですが、どうやらそうでもない様です。

今日聞いていたpodcastで、私の大好きな歴史学者Yuval Harariさんが話していたのですが、「人々はストーリーのために戦う」らしいです。
これはどういうことかというと、例えばパレスチナ人とイスラエル人は領土について戦っているとニュースで流れていますよね。でもこれ、本当でしょうか?パレスチナ人も充分な領土や食べ物があります
何が”問題”かというと、人が集まって集団になるとき、そのグループで信じられているストーリーがあります。そのストーリーの中には、「XX民族が私たちの民族から奪った」や「私たちの信仰している宗教が正しい」といった様なものが含まれます。それぞれの集団で異なったストーリーを持ちますから、当然ながら互いのストーリーに同意することはできません。そして私たちはそのストーリーを守るために戦うといっていました。

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でもこのストーリーって、大体の場合フィクションなんですよね。きっと部分的には本当に起きたことなのかもしれないのですが。。。
人は物語を作るときに実際に起こった現象(”点”)を、感情などを入れてストーリー(”線”)にします。だから、その線にする作業のときに、知らずと色々なことが変わってきてしまう。まして、話し手と聞き手の間で益々その話は変わっていってしまう。
元々フェイクな話を作ろうと意図した訳ではないのに、自然とフィクションになっていってしまうんですよね。そんなストーリーのために戦うって、何だか複雑な気持ちになります。

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更に、そのストーリーにはそれをベースに通用する「何が良くて、何が悪い」と言った”道徳的規範”があります。きっと”道徳的規範”の多くは、その集団で伝えられているストーリーをベースとしたフィクションだと思います。
私達の社会の中で、真の”道徳”を「国の法律や宗教に正しく従うこと」だと思っている人が大勢います。ですが、ここで言う国の法律や宗教は”道徳的規範”、つまりフィクションなのです。

よく私達は”道徳”を持つ人間になりたいが故に、この国の法律や宗教だとかの法則を守ることに必死になります。この理由として、上にも述べた通り、”道徳”が「国の法律や宗教に正しく従うこと」だと理解されているからだと思います。でも真の”道徳”はフィクションではなく、苦しみを減らすことと言った、よりシンプルなものなのではないでしょうか?


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