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優しい人は別に優しいわけじゃないから辞めても大丈夫


いい人や優しい人
と呼ばれてる人は


ただただ
相手の期待に応えることが
得意な人ではないかと思う。


つまり


相手にとって都合の良い人のことを
世間では「いい人」「優しい人」
と呼んでるのではないだろうか。


この人は
私の求めるものをくれる人だ…


この人は
私の期待を裏切らない…


自分の価値観から
はみ出さない人間こそ正解である。


そう判断した時に
その相手を「いい人」認定して
いい人であることを期待し出す。


最近思うのは
いい人とか優しい人という
判断すら意味がないというか


人間はみんな優しさもあり
冷たさも持った生き物なので


優しい人がタイプです!
みたいな言葉の意味が
どうも理解できなくなって
きています。


世間的に言われる優しさは
相手に尽くし、相手を満たし
相手を心地よくしてあげること

だと思われてるように感じます。


先日見たドラマの3話で
パーソナリティー障害の女の子が
精神科医の先生に手紙を書いてきた
シーンがありました ↓


孤独感の強い女の子は
自分を理解してくれそうな相手
を見つけたことが嬉しくて


相手を喜ばせようと手紙を書き
相手との距離を縮めようと
してたように感じました。



相手を喜ばせることで
自分のことを気に入ってもらい


相手に必要とされたい
自分のことを理解して欲しい


切り離されないように
相手の領域にズカズカ入り込み
相手とズブズブの関係性になりたい



そういう風に私には見えました。


今までの私は


きっと相手は
わ〜!嬉しい!ありがとう!!!
みたいな返事を期待してるのかなぁ
と察して


嬉しくもないのに
わ〜嬉しい!ありがとう!とか言って
相手の気持ちを満たそうと
してきたと思います。


相手を傷つけまいと思っての
優しい行動なんかじゃなくて


傷つけたことによって私が嫌われ
相手が離れてしまうのが怖いからです。


それがとても怖いので
自分のために嘘をついたでしょう。


すると
相手は受け入れてもらえた!
と感じて嬉しくなり


いらないプレゼントをくれたり
私の領域に入り込んであれこれ
口出しをしたりして


自分のスペースを侵害する
境界線のない関係性になり



おそらく重たくなった私は
急に相手を切ったりするでしょうね。


実は私はこうして切られた経験も
相手を切った経験もあります。


なのでパーソナリティ障害を
他人事だとは思えないんですね。


精神科医のヨワイ先生は
もらった手紙にお礼を言い
一通り目を通した後に
別の話題を女の子に投げかけます。


それは一見クールにも見え
女の子が期待していたような
反応ではありませんでした。


えっ!先生、嬉しくないの?


そう言った女の子は
先生は冷たくて自分をバカにしてる
と感じて怒って帰ってしまうのです。


手紙を喜んで受け取り
いつでも連絡してきてね!と



友達みたいな関係になることを
その子は望んでたのかもしれません。


しかし


切り離されたように感じている
この女の子の寂しさを埋めることが



パーソナリティ障害を治療する
ことにはならないことを
先生は知っていました。


その子自身が自分で自分を認め
自分の足で歩けるようになること


これがゴールだからです。


相手を自分の領域に入れず
境界線をきっちり引いたことで


相手の孤独を埋める役割を
引き受けなかった。


だけど、見捨てたわけじゃない。


一見冷たいように見える
先生の在り方がどれだけ
愛のあるものか


何かをしてもらうこと
何かをしてあげること


これが愛だと思ってる時には
気づかなかったと思います。


してあげる愛もあれば
してあげない愛もある。


だからこそ
相手の期待に応え続ける人が
必ずしも優しい人だとは思わないのです。


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