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秀吉の置き土産「400年の長い道」②

秀吉軍が日本に帰る時、
連れていかれた朝鮮人達が
その後みじめな暮らしをしたかというと
一概にそういうわけでもないようです。



記録に残っているような人たちは、
その場その場で頭を働かせ機転を利かせ
身体を動かし、地域の人たちの為に尽くしたりした。
そういう人達は地域でずっとずっと尊敬され敬われている。
すごい!かっこ良い!
こんな人たちがいたんだ。
知らないなんてもったいない!
この本を読んでからいつもそう思っていた。


だからこの本「400年の長い道」が出版されて、
色んな人に会うその中で



強気を装ってるわけじゃなくて
本気で思うから、、ただ言った。


「買って損はないです!
絶対読んで!人にも勧めて!
勧めた人に感謝されるから!
二冊買って人にも贈って!」


「日本人は大人しい」というイメージが強くて、
(特に女性は)
私は今まで「こんな日本人がいるんだね」と
数え切れない位韓国人に言われました。
ほとんどが誉め言葉のニュアンスを帯びていたと思います。



強気でさえあれば、
全てが上手くいくとは思いませんが
「いいものはいい」
ここは何度言っても、良いと思います。
熱い人が韓国人は好きで
出来る事なら力になってあげたいって人も。



この推薦文を書いてくださった方は
各方面に力を持ってる方らしいのですが。

私はそんなことは知らなくて、ただ
「日本の九州の山奥に連れていかれた
朝鮮の熊川の女性がですね!!」
本に書いてある内容を熱く喋ったのです。
(言いたいから!)
どうもそれが心の琴線に触れたらしく、、、



色んな出版社を紹介してくださり
その中の一社と手を繋げたというわけです。

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推薦文 
400年の長い道 ~日本各地に残る被慮人の痕跡を辿りたい~

                 文化遺産国民信託理事長 金宗圭


晩秋のある日、全羅北道コチャンから
「この本を出版したい」と三省出版博物館を尋ねてきた夫婦がいた。


夫は韓国人で妻の方は日本人だった。
その女性がこの本「400年の長い道」の翻訳者だ。
結婚生活も20年を超え三人の子供達もすっかり大きくなったという。
一生懸命、そして楽しく暮らしているように見えた。


日本の村山総理が韓国を訪問した際、当博物館にも立ち寄った。その時村山首相に見せたのと同じコースで、この二人を案内した。見学コースの最終地点は館の屋上で、良く晴れたその日は山の頂までよく見えた。


翻訳者の女性ははっきりしたものおじせぬ性格で、いわゆる韓国人のイメージする「日本女性像」とは違っていた。


彼女が言う「この内容は朝鮮人の歴史です。韓国語で翻訳されてないのはおかしい」には同意する所があった。


冬前にそうして出会い、春が過ぎる前の今、出版の知らせを伝え聞いた事が実に喜ばしい。


この本を難しく考えず一度ゆるりと読まれることをお勧めする。

これ程多くの朝鮮人が壬辰倭乱の際に強制的に連れていかれ生きた事を知れば日本という国を見る目が違ってくる。日本が原住民だけで構成された国ではなく、韓半島と緊密な関係を持ちながら時期別に多くの移住が繰り返されて来た事を知れば。伽耶と百済の滅亡時にも数十万人の韓半島人が日本に渡っている。朝鮮の文化が日本に多くの影響を与えたのは事実だ。


韓国人が日本らしさを感じている日本の城郭の瓦にさえ、壬辰倭乱の際に捕まった瓦工の技術があったという非常に興味深い内容が本書には含まれている。



当時連れていかれた朝鮮人の末裔達は、今も日本で小豆餅を祭祀に捧げたりどんぐりの実を集めてムッを作ったりしている。また、未だ朝鮮式のわらじや農村で使うしょいこのチゲ、昔風の唐辛子粉を使わぬキムチ等が日本の片隅に残っている。


彼らは朝鮮の生活の一部を日本に持ち込んだ。この本はそんな朝鮮人の生活史を浮き彫りにしている。


400年もの月日が過ぎたというのに、その痕跡が日本に残っているというのだから我らの祖先達の強靭な生活力の前には、自ずから頭が下がる。


壬辰倭乱当時多くの朝鮮人達が望まぬまま故郷を離れて生きるという人生を送らざるを得なかった事は我々の悲しい歴史である。

記録に残らず日本で亡くなった多くの朝鮮人の冥福を祈るばかりである。


この本の第6章に、秀吉の肖像画を修復した譲天という僧侶が登場する。彼は父と共に壬辰倭乱で日本に連れてこられた被慮人2世であり、父を継いで仏門に入った。彼は住職として赴任した寺で偶然古ぼけた秀吉の肖像画を見つけた。

当時すでに秀吉側の人間から権力は消えていた。
破損した肖像画を抱えて譲天は京都に向かい修復した。


その肖像画が後に秀吉の代表的な肖像画となり、日本の歴史教科書で使われるようになったという話だ。


譲天和尚の話に深い感銘を受けた。「秀吉の朝鮮出兵が無ければ、父が日本に連れて来られるという悲運もなかった。しかしまたそれが無ければ、これほどまでにありがたい仏門に出会う事もなかった。その意味では悲喜半々である」

たしかに幸運と不運は瞬間瞬間で簡単に判断できるものではない。
人生万事塞翁が馬。


「400年の長い道」の著者である在日朝鮮人尹達世氏がこの紀行文を書いたのは1980年代前半だという。その当時我々韓国人が日本をどれほど強大な国だと認識していた事だろうか。しかし400年どころか40年過ぎた今日本はどうであろうか。森羅万象諸行無常。


過ぎた歴史を忘却する事は出来ないが、
後孫達にはより良い韓日関係の未来を残したい。

最も近い国日本、我々は歴史から何を学ぶべきなのか。被慮人達の健剛な生を見て欲しい。先祖である彼らを尊敬する他はない。

幾多の思いが頭をよぎるが、この本を読むとただ日本各地に残る被慮人の痕跡を辿りたいという思いが湧く。

難しく考えず、一度読んでみて欲しい。

              2022年5月 三省出版博物館 金宗圭
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この本を翻訳した事で、色んな人から
感謝の言葉を頂きました。


戦争の中で異国に
連れていかれた方々を想うとたまらないです。
言葉も出来ない国に
親兄弟とももう会えないかもしれない。
還れない、今いる土地で頑張るしかない。



私は結婚で韓国に来ているので
別に強制連行されたわけではありません。
結婚前に三年位は韓国語の勉強をしました。
毎年帰省しています。
でもやっぱり海外での生活は大変です。
洗濯機の中のパンツです。あれ~。


16世紀に日本に連れていかれ暮らしてきた
当時の朝鮮人の方々には尊敬の念しかありません。
(数万人以上です)


それをもっと沢山の人達の手に知ってほしかった。
そして、それは朝鮮人の話なので
韓国人達に知ってほしい。
韓国語で翻訳されてないのはおかしいと
強く強く思った。
こんなに日本語出来る韓国人いるのに何でっ?

そう思う人がやればいい
→はい、そうなりました笑




秀吉の置き土産「400年の長い道」①の方に書きましたが
私の実家にはその当時の朝鮮人の墓二基がありまして。
私の先祖が連れてきたようです。
決して罪滅ぼし、ではありませんが、
この本を翻訳する事になったのは
もう「サダメ」かな、、
そこは逆らうまいという気持ちになりました。



「400年の長い道」が西日本の事例で、
「400年の長い道続編」は東日本の事例なのです。



現在「400年の長い道ー続編」出版の準備中です。
翻訳原稿は去年のうちに出来ています。
(実は去年の年末の出版予定で進行していた。
事情が変わるのは良くある事)



どういう形になるかわかりませんが、
一作目がそうであったように、
きっと二作目も相応しい場所を見つけて
飛んでいくのだと思っています。



韓国で私だけが抱いているには
話のスケールが大きすぎてですね。
降ろさせてほしい、本の形に。




映画「カリオストロの城」のラストで
ルパンがクラリスに言いました。
「まさに人類の宝ってやつさ、
俺のポケットには大きすぎらあ」
そんな気持ちです。


ありがとうございました。

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