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今日という日は誰かの生きたかった1日かもしれない

衝撃の校内放送

「私1人分を生きているわけではない」
「生かされているこの命で
 誰かの生きたかった分まで生きよう」


私の中にその想いがあります
その理由・・・
遡って40年前
高校生の時の出来事


夏の1日ボランティア活動
いくつも選択先がある中で
私は養護学校を選びました


その日、ほんの数時間訪れた
「養護学校の草取り作業」
での出来事でした


草取り作業を終えようとする頃
突然校内放送が流れます
「〇〇まいちゃん、
 本日お亡くなりになりました
 ご冥福をお祈りします」
その放送に固まりました。


ここに来る日、
この時間に示し合わせたような
校内放送。


「まいちゃんだ(;ω;)
 私が来るの、待っててくれてたんだ」

校内放送と私

養護学校での私

そこは私が小学校3年生の時に
私は膝を悪くして手術をした為、
養護学校が併設されている病院で
1ヶ月半入院した場所。


入院部屋を同じくするのは
様々な病気を抱えた子供達。
入院期間の長い彼女たちにとって
外から入ってきた私は
新鮮だったようで


私が変顔したら、
キャッキャと皆喜ぶ
嬉しくて、走り回って、
皆を笑わせてました。


誰と話しても受け入れてくれる
人と関わることを
はじめて楽しく感じた場所です


その中でも特に仲良かった車いすの
「まいちゃん」という
色白で小さな女の子
同じ学年なので学校でも一緒
部屋に戻っても一緒💖


何ともいえない
彼女の優しさと笑顔は
その存在だけで
私の安心感でした

退院の日に
後ろ髪をひかれる思いで
「また会いにくるからね😊」
と彼女と約束して
笑顔で別れましたが
結局、その後会いに行くことは
ありませんでした。


どうしてるだろう?
は、ずっと心にありながら・・・
退院して10年後に会えない再会。

ずっと友達

命からのメッセージ

彼女が病気により
17才という若さで
命を終えたこと
「私の分まで生きてね」

そう伝えられた気がしています。。。


1日でも1分でも違っていたら、
届くことの無かった
彼女からのお別れの言葉


彼女の分まで笑顔で生きたい
当たり前に生きているようで
そうでない


今日の一日も誰かの生きたかった一日

貴方の一日が
笑顔でありますように😊💖

あたりまえではない空

フォロー、スキ喜んで
お待ちしています
今日も出逢いに感謝😊💖🙏

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