正解でも不正解でもない選択の行方

久しぶりにドラマを観ている。

話題の「大豆田とわ子と三人の元夫」。次回の放送が待ち遠しいなんて、何年ぶりの感覚だろうか。

これまでドラマ部門では「カルテット」が私史上優勝作品だったけれど、どうやら超えそうだ。

舞台のような洒脱な会話劇、ファッションもインテリアも食べ物も音楽もいい。さすが、坂元脚本としかいいようがない。

最初はおしゃれな大人のコメディドラマかなと思っていたが、二部に入ったあたりからそうでもなくなってきた。

伊藤沙莉のナレーションが視聴者の感情をくまなく回収してくれて、モヤモヤしない。名言の連発は、目眩がするくらい心に刺さる。

親友のかごめちゃんが、社長職のむいてなさを嘆くとわ子にこんなことを言っていた。

「あなたみたいな人がいるっていうだけでね、あ、私も社長になれるって、小さい子がイメージできるんだよ、いるといないでは大違いなんだよ。それは、あなたがやらなきゃいけない仕事なの」

似たようなことを言われた時期がかつてあった。

前職で、当時女性で最年少の管理職になったときのこと。就任時、たくさんの女性後輩やパート社員の女性たちから、なぜか物陰でこっそり期待の言葉をかけられた。

「あなたみたいな人がいてくれるだけで励みになる」

これからはこの人たちのためにも何かと戦い、頑張らなくてはいけないと勝手に思った。それから5年、私なりには全力で頑張った。

けれども、いろいろな事情が重なって、時間の捻出にどうしても無理が出てきて、結果として会社を辞めた。

その後、私がしなくてはならないことは2年かけてすべて片付き、幼い頃からの夢だった本の仕事を始めることができた。

私の選択は、あのとき間違っていなかったと自信を持って言える。

それでも時々、心をよぎる。

一瞬でも私を信じて少し期待してくれた人たちを、その場に置いてきてしまったのではないかと。

その人たちの記憶に、私はもうないかもしれないし、往々にして言った当事者にはこちらが受け取るほどの深い真意はなかったりもする。

会社というものは、誰かがいなくなれば、それはそれでちゃんとまわるもの。そういうものだと私は知っている。

けれども時々、数ヶ月に一回くらい心許なさがスッとよぎる。

とわ子は社長として退任を迫られても、自分からは今のところひかない。かごめちゃんの言葉が呪いであり、ブレーキになっているから。

あと数回で違う展開も予想されるが、とわ子はどんな選択をし、いかなる結末となるのか、ドラマとはいえ興味深い。

正解も不正解もない物事というものは、この世の中に山のようにあるけれど、そんな中で自分らしい人生をいかにして選んでいくのか。

少しだけ、架空の世界の中に指標を見つけたくなる私がいるのも事実だ。



ラジオ版「眠れない夜は本とラジオ」はこちら


“季節の本屋さん”における、よりよい本の選定に使わせていただきます。