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毒親と母の日 ①【母の日の贈り物を要求するマニュピレーター】

「義」って何??

ふとしたことから、これまでは現実的な情報収集にしか使っていなかったツイッターで「義への愚痴」というようなジャンルのつぶやきを読むことになりました。

最初は「義って何のこと?」とわからなかったのですが、SNS界隈では、若い人は姑や舅のことを義父・義母から「義」と短縮して呼ぶようになっているようです。(オバちゃん、知りませんでした!笑)

本来、愚痴を垂れ流しているようなツイートはあまり好きではなかったのですが、「悪魔みたいな女こと鯖缶。」というインパクトのあるハンドルネームの人が気になって読み始めたところ、まるでドラマのようなストーリーがそこには展開されていました。

もともとは「鯖缶」と名乗っていたこの方は、姑から「息子が悪魔みたいな女に毒された!」という台詞を吐かれ、それ以来自分のハンドルネームに付け加えたとのことでした。

「悪魔みたいな女」に毒された息子

過干渉&支配系の毒親あるあるですが、鯖缶さんの夫も、最初はがっつりマザコンと呼んでよい状態だったので、鯖缶さんがなぜ母親のことを嫌がるのか理解できないようでした。

しかし、お二人に初めての子どもが生まれて、孫フィーバーが始まってしまった母親の行動の異常さと、諦めずになぜ自分が抵抗を感じるかを伝え続けた鯖缶さんの努力によって、夫さんは母親の呪縛が解け、「お母さんの息子」ではなく、「夫」であり「父」として生きる真の「鯖缶さんの伴侶」へと変わったのでした。(これを、姑さんは「息子が悪魔のような女に毒された!」と言ったのです)

その後もさまざまな出来事があり、姑さんの奇行で警察を呼ばれたりするようなことも起きていたのに、その姑さんは母の日の贈り物がなかったことに対してLINEしてきたそうです。謎すぎです(笑)

↓以下は、姑から夫に送られたLINEを、鯖缶さんがまとめて画像にしたものです。☆鯖缶さんのツイッターはこちら⇒ https://twitter.com/saba_yori_ika

毒親からのメッセージ(鯖缶さんのケース)

この内容には、私でも開いた口がふさがりませんでした。この姑さんは、とことん自分中心で、大人になった息子も生まれた孫も、みな自分の所有物であるような錯覚を持っているようです。

愛情深く面倒見のよい親?!

DVやネグレクトをする毒親とは違って、過干渉&コントロール系の毒親は「愛情深く面倒見のよい親」というふうに誤解されることがあります。ここまでひどくはなくても、よく似た事が多くの家庭で起こっているのでないでしょうか。そうでなければ、嫁姑の確執などというものは、たぶん存在しないと思うのです。

多くの場合は、親孝行という名の下に「こちらから支配されにいっている子ども」と、それを意識的または無意識的に「従順さを要求している親」との共依存が起こっています。それは根深く、多くは本人たちにも気づかれていません。

そして、そういう状態にある子どもは、身体が大人になっていても、親との関係性においてはずっと子どものままで、多分どこかで生き辛さを感じていることでしょう。

そしてまた、彼らは結婚しても、真に健全な夫婦関係を築くことは難しいといえます。なぜなら、親と共依存をおこしている人は、自立した大人にはなっていないからです。結婚生活とは、自立した大人同士が関係性を築くことでしか成り立たないからです。

義理の家族で気づく「毒親問題」

姑や舅との確執は、もともとバイブレーションが違う人が、結婚によってその機能不全の家に入らされることで(本当はとうの昔に家制度はなくなっているので「家に入る」という概念はおかしいのですが)、「おかしい」「合わない」ということに比較的早く気づきます。

しかし、生まれた時からそこにいる人にとっては、「実家」や「実の親」の支配に気づくことは至難の業です。ある意味、何かの宗教団体によって洗脳されているのとほぼ同じだと言ってもよいかもしれません。

この「洗脳」は「正しいこと」として親子で綿々と受け継がれ、それに疑問を持った人が、自分で真実に気づく、もしくは伴侶に洗脳を解かれるまで、それがまるで世の中のスタンダードであるかのような感覚で存在し続けます。自分の家のルールが世界のルールだと信じています。

ツイッターを覗いてみると、「義(父母)」への呪いのような愚痴を垂れ流しているアカウントは山のように存在しています。また、それを理解してくれない伴侶への愚痴も垂れ流されています。そしてその結末は、洗脳が溶けない伴侶との離婚か、もしくは親との絶縁という二択です。

いいえ、実際には、お茶を濁して絶縁も離婚もしない夫婦の方が圧倒的に多いことでしょう。実際の問題は毒親問題にあることに気づかないので、伴侶への愚痴は永遠に止まりません。夫婦の間に吹いている冷たい風を押し隠している中年・老年の仮面夫婦に至る道が、第三の選択肢と言えるかもしれません。

鯖缶さんの場合は、実の親ではなく姑だったので、その異様さに気づくことが容易だったのですが、これが実の親だったら、それを「おかしい」と定義することは難しかっただろうと思います。(実際、鯖缶さんのお義姉さんは、いまだに母親と共依存の関係にあるように見受けられます)

私の嫁姑問題

かくいう私は、姑の考えと自分が合わないことに気づくのは割と早かったのですが、夫がマザコンであったことに気づくのも遅かったし、姑よりもっと毒親だった実母からの支配に気づくのは更に遅れました。

最初は姑に対しても、実母にしていたように、一生懸命気に入ってもらえるようにあらゆることに努力をしましたし、夫はしていなかった記念日などの贈り物にも、とても気を遣いました。しかし、二女が生まれたときに、病院に見舞いにきた姑から開口一番「次は男の子をがんばらなきゃね!」と言われた時の違和感から始まり、だんだん言葉の端々にちりばめられる嫌味や、姑の信念を押し付けてくることへの抵抗感が増していったのでした。

そのころの私は、その愚痴を吐く場所を持っておらず、つい夫にそれを語ってしまっては、彼に逆切れされて⇒私が謝る・・ということを繰り返していました。夫のことは大好きなのだけど、姑と離れるためには離婚するしかないのか?!とまで、ずいぶん悩んだものでした。

現在は、舅姑はもう亡くなって随分経つことと、あれほど可愛がられてマザコンと呼んでよい状態だった夫から「親なんていないほうが楽に決まっている」という衝撃の告白を聞かされたことから、私の中でのわだかまりは解けています。逆切れしていた夫も、実のところ親の前でいい子でいることは「がんばっていた」ことであり、実際には親が重かったのだなと、ある意味驚ろかされました。

自分の認知のゆがみ

私が今回、鯖缶さんのツイートについてこうして書いているのは、実は私にとって衝撃の気づきが訪れたからなのです。毒親が良いとか悪いとかの話というより、自分の認知のゆがみがどれほど深いものであったかに、ここにきてようやく気づいたというお話なのです。

長くなったので、その気づきについては②に続きます。