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書は「弱さ」だらけ

この記事、11年前のものですが、すごく面白かったのでご紹介します。

糸井重里さんと武田双雲さんの対談です。

このなかで、ちょっと心に引っかかった部分。

※以下、「」は11年前の若き武田双雲氏が語った言葉。(内容を一部抜粋)

「でも、こんなふうに『書』はすごいと言いつつ、『書』が『活字』にまったく勝てない部分を、ぼくは、すなおに認めてるんです。」
「活字って、これ以上ないってくらい『削ぎ落とされてる』でしょう。」

「人間の書く文字の『くさみ』なんかも含めて、いろんなものを、落としてますよね。」

「それって強烈なんです。弱さがない。無機的、ロボット的な強靭さというか。」

それに対して、書は、

「弱さだらけだと、ぼくは思ってます。」
「書く人の感情とか、身体の動きのムダとか‥‥いろんなノイズが混じってるわけ。」
「書いたときの精神状態、悩みや迷い、葛藤とかも入り込んじゃうし。なんというか‥‥もろいんですよね。」
(だから、それだけに、読む人を揺さぶるちからを持ってるんだ。)

「そうそう、そうなんです。」
「つまり、活字の、あの無味無臭さ、絶対的な揺らぎのなさ、傷つかなさと比べたら‥‥。」 

双雲氏が言うところの「活字の無味無臭さ」について、この後、糸井氏は「清潔感」と表現したのですが(これも絶妙!)、活字と書字との違い、その間にある埋められない溝みたいなものを、双雲氏が語っているのを読んで、私は深く共感したのでした。

◇◇◇

30年ほどの前の私も、実は、全く同じことを感じてしました。

ただ私の場合は、「活字」を相手にそう感じたのではなく、恐れ多くも、中国の書の古典に出てくる書の大家や日本の書道界の大御所の先生方が書かれる作品を相手に、同じことを感じていたのです。

私の場合は、自分の作品と大御所の先生方の作品の間に「絶対に越えられない深い溝」を感じていて、「大先生の作品は人間臭さが全くなく、崇高で高貴な世界」であり、私が書くものは「人間の未熟さと弱さをたっぷり含んだ、脆くて臭い世界」だというふうに思っていました。

要は、腕前もだけど、私は人間としてすごく未熟で、まだまだ神の域に達していないから、だから線に未熟さが出るのだ、気を抜いて油断するとすぐにボロが出てしまう、そこが自分のダメなところだ・・・と。そう真剣に信じていたのです。

まだ20歳そこそこのペーペーの女子大生なんだから、下手っピーで未熟者で弱々しくて当然!当たり前だと今なら思うのですが(・・・この年で達観して老練してたら逆に怖いよね・汗)、あの頃の私は、若さ故、真剣に「神の域」に達する作品を自分も書いてみたくて、夢中になって書道に打ち込んでいたのです。

この時、目指していたのが、私の変な臭い(汗)など全くしない、無味無臭の、絶対的に揺らぎのない完璧な作品でした。

そんなもの無理だと今の私なら笑い飛ばせるのですが、当時の私は若さからくる純真さから、毎回、毛氈(もうせん)に紙を置く度に、命を削るような覚悟で真剣に書いていました。

でも、書いても書いてもなかなか到達できず、ただ苦しくて、自分の無力さばかりが残っていくのでした。

作品展に出せば、入賞することもあったのに、自分の中は全然満たされなくて、いつも喉が渇いた獣のように目をギラつかせながら、作品作りに没頭していました。

だから、この上記の双雲君の言葉に、ハッとしたのです。

昔の自分をふと思い出しました。

作品を書く度に、自分の中にある「不要なもの」を全て削ぎ落とそう・・・と必死に取り組んでいたあの頃。

美しい作品は、余分なものが一切なく、凜とした強さを放っています。

それを「完璧さ」と私は捉えました。

だから、完璧を目指したのです。

でも、書から離れて25年の間に、私は人生の酸いも甘いも体験し、人としていろんなことを学びました。

その中で、最近になって分かったことは、目指すのは、無駄を全て削ぎ落とした完璧さではなく、無駄なものも余分なもの全てを「ありのまま自分」として温かく受け入れ、全てに愛着を持ち慈しむ。そんな心の器の大きさである・・・。それが人として目指す姿なのだ・・・と。

それを悟りました。

そんななか、ふとしたご縁で、また書道を復活させることなり、不思議なものを感じています。

神の域に達することは難しくても、その域を目指して精進することが大切なのですよ。自分を諦めず、自分を励ましながら、コツコツと・・・。

到達することが目的ではなく、その過程を体験し、経験から学んで人としての器を大きく広げ、心を成長させていくことが、生きる目的なのです。

それが分かったら、心が軽くなり、書くことが楽しみになりました。

◇◇◇

双雲くんも語っているけど、「書は弱さだらけ」。ホントその通りなんです(笑)。でも、大御所の先生の書には「弱さ」が感じられず、とても美しく強いです。その強さを私は「神の域」だと感じたのかもしれません。

ああ、私も強くなりたい。50年生きて「図太さ」は身についたので(笑)、今度は「真の強さ」を身につけていきたい・・・。そう強く思います。

しなやかで優しく、たくましく、儚く。力強く、美しく、光り輝く・・・。

そんな作品を死ぬまでに書いてみたい・・・。そう思うのです。

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