私で本当に良かったのかな?
昨日の晩、明日が『春分の日』で『お彼岸』であることにハタと気づき、「お墓参りしなきゃ…」と思い出した。
今朝、慌てて近くのスーパーへ行き、仏花を2つ買う。
家で、水と箒、線香と蝋燭と念珠を準備し、買ったばかりの仏花も持って、我が家のお墓へと出かけた。
うちの墓は、自宅から徒歩で行ける場所にあるので、もちろん歩いて行く。万歩計代わりにしているスマホをコサッシュに入れてきた。これで歩数をカウントするつもり。
今日のお散歩は、墓掃除&墓参り。これで良しとしよう。
◇
さて、墓に着くと、昨年の晩秋に行ったっきりだから、案の定、墓の周りには落ち葉がたくさん積もっていて、墓石にも松葉や蜘蛛の巣があちこちにくっついていた。
ここは、山裾にある墓所なので、里山の木々の葉っぱの吹き溜まりみたいになっている。
私は、持ってきた箒で、墓石にくっついている松葉や虫の死骸や蜘蛛の巣などを払い、更に、いっぱい積もっている落ち葉を掃き出した。
でも、この落ち葉がすごい量で、なかには濡れ落ち葉となって縁石にベッタリ貼りついていたりする。私が持参した小さな箒では、全てをきれいに掃くことは不可能。
これは箒より熊手の方が良かったかも。
◇
…と、墓周りの落ち葉と悪戦苦闘してい時、お墓参りに訪れた他のご家族が、我が家の墓の前を通っていかれた。
見ると80代と思われるご高齢のお父さまとお母さま、そして、その娘さんと思われる私と同世代らしき女性2人の計四人。
どうも、お母さまは足がお悪いようで、通路の段差を娘さんの介助でようやく乗り越えて、なんとか歩けている…という感じ。うちの墓より更に奥にあるそのご家族のお墓へは、まだ少し歩かなきゃいけない。
どうぞ、お気をつけて…。
この母娘と挨拶を交わした時、お母さまは、私を見て、
「この道を通りやすくきれいにしてくださって、ありがとうございます」
と丁寧に声をかけてくださった。
とても品の良いお母さまで、お召し物も素敵で、白髪を水色に染めていらっしゃる。
こんな時、気の利いた応えができると良いんだけど。うまく言葉が見つからない私は「いえいえ…」とあいまいな返事をしつつ、でも、敬愛の気持ちを込めて、「ご苦労さまです」と笑顔で応えた。
◇
自然に埋もれていた墓が、ようやくきれいになった。
花立てに水を入れて花を飾り、蝋燭を立てて火を灯す。
でも、風が強くて、火はすぐに消えてしまった。仕方がないから、お線香だけにしておこう。
お水も供えて、お墓に手を合わせる。
今日は祝日だけど、普通出勤の夫は仕事に行ってしまった。義母は足が悪くて、こんな山裾にあるお墓へはとても行けない。息子は引っ越して遠方にいるし、今日は私一人でのお参りだ。
でも、よくよく考えたら、ここに眠っている義父と義父の両親は、私とは血の繋がりがない人たちなんだよなぁ…。
私は「嫁」だ。この家に嫁いだ…という縁で、今こうしてお参りしてるけど、故人と本当に繋がりのある人たちは、ここには居ない。
◇
そういえば義父が緩和ケア病棟に入った時も、義父に近い人は皆、仕事が忙しかったり、健康面で事情があったりして、そばにずっと居ることが無理だった。
そのため、義父から見たら、縁も馴染みも一番浅い「嫁」の私が、毎日義父の病室に詰めて、ずっと義父に付き添っていたのだった。
なんなんだろうね、これ。
長かった義父の人生の最期に、最も長い時間、義父の近くにいたのが、「長男の嫁」という微妙な立場の「私」だったっていうのは…、ねぇ。
「本当に私でいいのかしら?」と、当時は、何だか申し訳ない気持ちになったものだけど、これも縁なのだろうか。
今日も一人で墓を掃除し、義父が眠る墓に手を合わせて、「本当に私で良かったのかしら?」と思う。
嫁という立場がしっくりこない私は、いつまで経っても、アウェー気分が抜けない。きっといつか、私もこの墓の中に収まる時が来るだろうけど、それでもやっぱりアウェーな気分のままなんだろうか。
それとも、このザラザラした気持ちは、いつかどこかできれいさっぱり解消して、晴れて私のホームとなるのだろうか。
どうなんだろうね…。
いろんなことを思いながら、墓に手を合わせる。
払ったはずの落ち葉がまた吹いてきて、私の足元でカサカサと鳴った。
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