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無理に合わせる必要はないし、無理して群れる必要もない

私は既婚者だけど、あまり「奥様」とか「妻」「嫁」というガラではなく、また、子供が小さかった頃も、「母親」とか「ママ」とかいう感じではなかった。

ところが、世間の人は、私に対して勝手に「舅姑と同居=素晴らしいお嫁さん」だの「子供と一緒にいる=良いお母さん」というイメージをもっていたみたいで、よくいろんな人から「頑張っているね」と褒められた。

しかし、私は決して「良妻賢母」でも「聖母」でも何でもない。

結構、腹黒いところもあるし、意地悪なところもあるし、未完成で足りないところも一杯あるし、おっちょこちょいだし、時には子供の前でもブチ切れて怒るし、ある時には馬鹿みたいに大騒ぎもする。どうしようもないオバサン、それは今も昔と変わりがない。

それに、昔は「義親との同居」しか選択肢がなかったから、その慣例に従ってそうしていただけだし、介助が必要な子供だったから「やってあげなくてはいけないこと」がたくさんあり、それらを淡々とこなしていただけである。

それなのに、世間の人たちは、私たちが家の外でちらりと見せる一片の姿だけを見て、愛情いっぱいの親子だとか、仲がいい家族だとか…云々、よく褒めて下さった。

なかにはリップサービスや褒め殺しもあったかもしれないけど(汗)、でも、寄り添い合っている私たちの姿を見て、素晴らしいとか、幸せそうだとか、いろいろ言って下さっていた。

陰で「悪く」言われるのは嫌だけど、その逆で「良い」と思われているのだから、今振り返ると、とってもありがたかったなぁ、得していたなぁ…と思う。

皆さん、あまりに私たちのことを美化しすぎて(本当の実態から、かなりかけ離れていることに)くすぐったいというか、何とも居心地の悪さを感じたけど、そうやって言葉にしてくださる気持ちを素直に受け止め、そのまま感謝してありがたく受け取っていた。

◇◇◇

でも、本当の私は、何度も言うけど「良妻賢母」でも「聖母」でも何でもなかった。

どちらかといえば、キャラは「おっさん」に近いかもしれない。

家族という形で見られたとき、私は「良い嫁」「良い母親」というポジションで受け止められてラッキーだったけど、私個人になったとき、私は(田舎特有の)性別で分けられた組織&集合体に適応できなくて本当にしんどかった。

私は昔から「型」にはまるのが嫌で、結婚後も「嫁」「母親」「妻」「主婦」っぽく染まらないように、ずっと気を付けていた。

というのも、そういうカテゴリーに属する人たちとは、私は全く価値観も話も合わなくて、一緒にいるのが正直苦痛だったからだ。

近所のおばちゃんたちと話していても、「家事の完璧さの競い合い」みたいな話にはついていけないし、自分以外の他人の噂話(ゴシップ)なんて全然興味ないし、そんなことを話している暇があったら、私は自分のために自分の時間をたっぷり使って、もっと建設的でクリエイティブなことをしたかった。

私自身、あまり「女性」という意識がないのかもしれない(汗)。女性に与えられる社会的役割…というもの自体が、私の性に合っていなくて、それより「性差に関係なく、自分の能力を自由に発揮していけば、とても効率が良く社会が回っていくのになぁ…」と、ずっと思っていた。

だから、「女はこれをすべき」「女の役割はこれ」という枠に収まるのが嫌で、それよりも、自分が知らない世界や興味がある分野のことを深く勉強したり、面白そうな話を聞きに行ったり、会ってみたい人に会いに行ったり…等、そうやって自由にやりたいことをしているほうが、とても楽しいと感じていた。

でも、こうして自分らしく自由に過ごすことが、「既婚の女の世界」に属すると、自由にできなくなる。特に「結婚が女性の生きる道だ」と心から信じている古い世代の人たち(私たちアラフィフ世代も含む)は、年を重ねるごとに、どんどん世界観も視野も狭まっていく。もともと「女は、自分の時間とエネルギーを全て家族のために捧げることが【善】だ。」と刷り込まれているため、結婚と同時に、自分を家庭に無理やり押し込み、家庭や家族しか見なくなっていく。視野が極端に狭まってしまうのだ。

そのため「家庭・家族・子供・親」のことしか頭にない。

会話の内容も、「今日の晩ごはんのメニュー」「子供のこと」「親のこと」「夫のこと」「家の中のこと」…しか出てこない。自分のことは一切出てこなくて、全て自分以外の家族のこと、家のこと。あるいは他人の噂。

これ以外のことを話すと、「既婚の女の世界」の中ではものすごく浮いてしまう。また、ちょっと違ったことや突出したことをしても、やっぱり浮いてしまう。話がかみ合わなくて、とてもつらくなる。

だから、着る服も、髪型も、話題も、趣味も、仕事も、自分が属している「既婚女の群れ」の許容範囲の枠内に抑えておかなくてはいけない。飾りっけなく、泥臭く、生活臭と少しの不幸臭を漂わせて、健気に頑張る人を装いつつ…。

こんな感じで、自分の個性や思考や気持ちや人生まで、「既婚女の群れ社会」の規格に合うよう、グッと小さく丸めて収めてなくてはいけないことが、私にはすごく面倒で苦痛だった。それで私は最初から群れには入らず、群れから少し離れたところにいたのだった。ずっと一匹狼みたいな感じだった。

当時は、少し寂しかったけど、今はこれで良かったと思っている。

この周囲とは一線を引いた距離感が、子育てがひとまず終わった今現在、とっても心地がいい。

何にも属していないから、誰かに気を使うこともなく、自分のペースで一日を過ごし、自分の意志でやりたいことをしていられる。

自分の着たい服を着て、行きたいところに行き、会いたい人に会い、聴きたい音楽を聴いて、人のゴシップに触れることもなく、自分らしく毎日を送ることが普通にできる。

今では、私のこのスタイルは、すっかり市民権を得て認知されるようになったけど、以前は、髪を明るく染めたり、趣味を持っていたり、明るくてお洒落な服を着ているだけでも、陰でコソコソされたのだ。ましてや家庭を持つ身で女の一人旅なんて、昔は村八分ものだった。

少しでも目立つと、陰で噂話のターゲットにされるから、それが結構辛かったのだけど、「別に何を言われてもいいや~」と開き直って自由にやっていたら、じわじわと周囲が変わっていき、だんだん私に似たエネルギーの人が増えてきた。

今思えば、もしかしたら、私はパイオニアだったのかもしれない。

最近では、とてもお洒落な人が増えてきたし、私より年上の素敵な人も増えてきた。老若男女問わず自由で明るい人も増えてきて、なんだか良い感じだ。この変化はとても嬉しい。

(以前は、東京に行った時のみ、唯一、全然浮かずにしっくり馴染んで居られたので、すごく嬉しくて東京が大好きになったんだけど、今はここに居ても、もう浮かなくなった。笑)

きっと、私は、この地の平均的なアラフィフ世代のおばさんとは違う道を歩いていると思う。(そのため、今も昔の感覚で群れている人たちとは、ますます価値観が合わなくなっているのだけど…汗)

でも、それで良いんだと今は思っている。

無理して合わせる必要はない。

自分にとって居心地のいい場所を作ればいいのだ。

そのために、自分らしく居ることを尊重していこう。

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