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【散歩の裏話】名古屋の都市伝説になった「ジャンピングばばあ」の思い出と散歩の雑感

先月、名古屋を散策したお話をサンポーさんで公開していただいたのだけど、

実はこの記事の執筆中、これ以上書き込むと字数が膨らんじゃうから…と遠慮して、あえて書かなかったことがある。

それは、やはり名古屋で大学生をしていた時の思い出の一つなんだけど、大学の近くにある八事霊園には夜な夜な変なお婆さんが出てくる…という怪談系の噂話だ。
この話は、当時、私が所属していた部の先輩に教えてもらったネタで、話の概要は以下のものであった。

ある真夏の深夜、先輩の先輩が、蒸し暑くて眠れなかったため、涼みにアパートの近くの八事霊園をうちわを片手に散策した。すると、広大な霊園の彼方から、誰かがこちらに向かって跳んでくるのが見えた。源平合戦の源義経の八艘飛はっそうとびのごとく、墓石と墓石をピョンピョンと跳び越えながらやってくるその人物は、よく見ると老婆だった。老婆は奇声を発しながら、そのまま跳びながらどこかへ去っていった。

先輩はこの話の最後に「このお婆さんは、ジャンピングばばあと言われているらしい。」と言った。

この小話のオチは「跳躍するお婆さん=ジャンピングばばあ」だったみたいで、私も含めた後輩集団は、意外ところを突いたヤングでナウいこのネーミングがツボにはまって、皆で笑ったのだった。

そして、このお婆さんと遭遇したという先輩の先輩(=部のOB)という人物とは、OBも参加する部の宴会でお会いし、ご本人から「おっおう!いた!確かに見た!」と直接お聞きしたような気がする。(もう30年以上昔の話だから、ちょっと記憶があいまいな部分もあるけど…)

しかし、本当にそんなお婆さんは存在したのだろうか?

最初、私はこれって作り話だよね…と思った。
でも、遥か昔、私がまだ幼かった昭和40年代頃、春の木の芽時になると出没する奇人のなかに「お婆さん」がいて、赤い肌襦袢を着たお婆さんが、実家近くの空き地や田植え前の田んぼの中を走り回っていたそうな。
この赤い着物のお婆さんの話は、後々母から聞いた。
母曰く、毎年春になると、そのお婆さんが赤いべべ(着物)を来て疾走している姿が、家からよく見えたそうな。「どこの人か知らないけど、あのお婆さんが出てくると春が来たんだなぁと思ったよ」とのこと。昔は今より寛容な社会だったから、その人の事情をなんとなく汲み取って、みんなそっと見て見ぬふりをしていたのだと思う。

そんな昔の事情を思うと、「ジャンピングばばあ」という奇人は、もしかしたら実在していたかもしれない。私が八事霊園の奇人の噂話を聞いた当時は、まだ年号が昭和だったから、可能性としてはありうる。昭和時代は、この手の話に妙な説得力や納得感が漂う何かがあった。

…とまぁ、こんなレアな話もサンポーさんのこの記事に盛り込もうかしらとちょっと考えたんだけど、これはこれでかなり濃い話なので、収拾がつかなくなる恐れがあり、やめることにしたのだった。その代わりに、今こうしてnoteでご紹介している。

ちなみに今、ネットで「ジャンピングばばあ」を検索すると出てくる出てくる…。今では「名古屋の都市伝説」として語り継がれているらしい。
そして調べてみてビックリしたのだけど、現代の出没場所は八事霊園じゃなくて千種区の平和公園になっていた。あと「ターボじじい」というのも最近出てきたみたいで、バラエティーに富んでるなぁ…と感心したのだった。

そしてもう一つ。
このサンポーの記事に出てくる「大家さんが管理室で犬を飼っていたボロボロのDIYアパート」だけど、このアパート名は「第一清藤ビル」である。今はもう跡形も無くなっていて、違う建物が建っている。
もしもこの記事を読まれた方で「私もそこに住んでいました!」という方がいらっしゃったら、当時のこと(昔話)をちょっと語り合ってみたい気分だ。

最後に、これは今回の散歩で得た「気づき」なんだけど…。

この記事にも書いたけど、昔の思い出の建物がなくなってしまい、全て違う建物に変わってしまうと、当時の記憶や思い出までもが、その拠り所を失ってしまうんだと初めて気づいた。つまり「かたち」(=過去の記憶や思い出を確実に呼び起こすためのスイッチ)を喪失するのだ。
すると「かたち」を失ったことで、うまく思い出せなくなり、記憶もスルッと鮮明に出てこなくなる。こうなると、記憶や思い出にベッタリこびりついていた古い感情や情念も出どころを失ってしまい、自然と剥がれ落ちて強制的に昇華していくしかない。つまり「成仏」するのだ。

「かたち」とは、記憶を確かなものとして残していくのにすごく重要なもので、みんな写真や手紙や物などを大切に保存しているし、建物もそうだ。それらを失うと、私たちは思い出にひたることが困難になる。記憶は頼りにならない「あいまいなもの」だから、時と共に記憶はどんどん風化して薄くなり最後は忘却の彼方へと消えてしまう。「かたち」を失うことで、記憶の風化のスピードが加速していくのだ。

「忘れる」ということは、ある意味、精神衛生上とても大切なことで、いつまでも鮮明に記憶が生々しく残っていると、かえってその記憶に苦しめられて息苦しくてつらくなる。だから、健康的に生きるためには、過去に執着せず、過去に依存せず、常に自分を更新し続けて、新しい記憶を上書きしていくことが大事なんだと思う。そうそう、何事もフレッシュさが大切。

今回、私はあの街を久しぶりに歩いてみて、ただでさえ時間が経ち過ぎてあいまいになっていた私の記憶が、建物や風景が変わって「かたち」も消えてしまったことより、まるで指の隙間から零れ落ちる砂のように、脳内の記憶もみるみる風化していったのだった。思い出も当時の感情もどんどん昇華し、最後はみんな綺麗さっぱり成仏した。

人が死の間際に、懐かしい思い出の地を心に浮かべたり、そこに行きたがるのは、今世の記憶を成仏させるためなのかもしれない。

あと、スクラップ・ビルドを繰り返すことで、その土地に憑いている情念や怨霊みたいなものも、よりどころの「かたち」を失い、みんな成仏してくれるんじゃないかな…と思ったりもした。

こんな感じで意外な発見がたくさんあり、面白くて楽しい散歩だった。


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