高齢になるということ②
慌ただしいまま7月が終わり、今は酷暑の8月。相変わらずバタバタと忙しい日々を送っている。
ちなみに先月、一番読まれていたのが、この記事だった。
今回は、この続きを書いてみようと思う。
7月中、みるみる脚力が落ちて、歩くことが困難になった義母。
本人は「リハビリを頑張れば、また歩けるようになる」と信じて頑張っていたけれど、私も夫も「これが限界ではないか…」と察するようになった。そこで、いつも義母がお世話になっている訪問リハビリの先生にお聞きしたところ、「実は自力歩行ができる段階は終わっています。この2年間は(義母が)ものすごく努力されて何とか歩けていました。しかし、もうこれ以上『歩く』ための訓練はできないフェーズに入ってきました。これからは『寝たきり』になるのを少しでも先送りできるような訓練に移行します」とのことだった。(このことは、リハビリ時に先生から義母に少しずつお話くださっていたようだ。)
この話を聞いて、私も夫も「やっぱり…。とうとう来たか」と顔を見合わせた。
ちょうどその頃、近くの小規模多機能ホームで「通い」に空きが出たとの情報が入った。このホームのお世話になるということは、今までの「自立した生活」を手放し、家の女主という立場を卒業して、看取りへと一歩近づくことを意味している。頭がしっかりしている義母には、自分の人生に関わる非常に大きくて厳しい選択だと思う。そこは慎重に…と、夫と私、義母と夫とで話し合い、その結果、このホームと契約を結ぶことに決めた。
そうなると、今まで担当してくださったケアマネさんから、このホームの専属のケアマネさんへと変更しなくてはいけない。ケアマネさんやホームとの新規契約の手続きは夫がやってくれた。
また、これを機に今まで通っていたデイサービスは停止。さらに、義父の時からお世話になっていた介護用具レンタル業者も、他の業者に変更するこにとなり、長年借りていた介護用品(スロープ・四点杖・手押し車)も全て解約して引き取ってもらった。この辺りの手続きは、私がやった。
また義母は、夫の手を借りて、施設へもっていく荷物を準備した。衣服や下着、薬、洗面道具やその他いろいろ。
これらの作業を7月の後半にドドドー!と一気にやったのだった。
そして8月。新しいケアマネ&ホームの施設長さんが我が家に来て下さり、私と夫が立ち会う中、義母と対面した。
今はまだ「通い」なので、自宅で訪問リハビリを受けるために、週に2回は家に帰ってくる。そのたびに自宅で一泊するから、今月はしょっちゅう帰宅する予定だ。これは義母の希望を100%通したプランである。まだスタート時なので、あまり義母に我慢を強いるのではなく、義母の希望を叶える形で予定を入れた方が良いですよ…という、施設長さんのアドバイスからそうしてみたのだ。その分、自宅側の私と夫がいろいろ大変だけど、この点について私たちは「力を合わせてがんばろう」と腹をくくった。
まぁ、今は本格的に「入所」するわけじゃないし、ちょくちょく家に帰ってこれるのだから、その点は義母も安心だと思う。
さて、この面会時に「何か聞きたいことはありませんか?心配なことがありましたら、何でも遠慮なく聞いてくださいね」と施設長さんが(ご親切に…)義母に話しかけてくださった。それなら…と義母は早速いろいろ質問し始めたのだけど、それらはほぼ100%「ごはん」のことだった。自宅からホームに戻ったときの夕ごはんは用意してもらえるのか?とか、月一回の受診日は病院が混むので、そうなるとホームに帰るのが遅くなるが、ちゃんとお昼ごはんはあるのか?とか、自宅に帰っている間の朝ごはんはどうしたらいいのか?とか…云々。家に居る時のごはんのことまで施設長に質問するほど、ごはんのことを熱心に聞いていた。
施設長さんは「大丈夫ですよ。遅くなってもちゃんと置いておきますから。前もって予約されている分は、しっかり準備させていただきますね。安心してくださいね」と笑顔でハキハキと答えて下さり、義母は嬉しそうだった。御年95歳の今も、朝昼晩としっかりごはんを食べる義母。老化で手指が動かしにくくなり箸がうまく使えなくなっても、フォークとスプーンを駆使して自力でしっかり食べる義母。長生きの秘訣は「一食たりとも抜くことなく、しっかり三食食べる」だと義母の姿を見ていつも感じる。肉が好きな義母のために…と、まるで男子高校生がいる家庭みたいにガッツリ肉料理を今までどんだけ作ってきたことか…(白目)。義母が質問を繰り返すたびに、夫は「また飯のことか!」と驚いていたけど、いやはや、義母にとっては大事な問題だよね…と思った。
こうして義母は、施設長さんとの面会を終えた後、新しくお借りした新品の車いすに乗り、ホームの送迎車に乗せてもらって、家を出ていった。
義母が乗った車を見送った後、夫と私はなんだか気が抜けして脱力してしまった。この日を迎えるまでの間、事務的な手続きはもちろんもこと、几帳面な義母のメンタルが落ちないように細かいところまで気を配ってきた。あと、親戚への説明とか、詮索好きなご近所さんたちへの対処とか、いろいろ気を遣うことが多く、身体は暑さでクタクタ。気もかなり消耗してクタクタだった。
気抜けした私たちは、家に戻って冷凍庫を開き、アイスまんじゅうを2つ取り出して一緒に食べた。なんだかアイスクリームの気分だった。そのまま次の作業へと移る前に、ここでワンクッション置きたかった。アイスまんじゅうを食べながら、今までの義母がらみで大変だった日々のことを思い出し、あれこれ語らった。そして、ふと「ばあちゃん、馴染んでくれるといいね」と義母のことを案じた。お泊り保育に出かけていった幼子のことを思い出し「大丈夫かな」と心配している親のような心境だった。
こうして一息ついてから、私は「ケータイが欲しい」という義母の願いをかなえるため、地元のドコモショップに予約を入れた。今はスマホで簡単に来店予約が取れるからありがたい。この時、フォームに「どういう要件なのか」を書き込んでおいたため、翌日、折り返しでドコモショップから電話が来て、事前に諸手続きに必要な書類等を教えてもらえた。ついでに、私の質問「私が新規契約した機種を義母に持たせることは可能ですか?」に対する答えも早々にいただき(「大丈夫です。できますよ」とのこと)、とてもありがたかった。
さて、義母を見送った次の日、私は約3カ月ぶりに美容院へ行った。本当は先月のうちにカットしてもらいたかったんだけど、義母のこと&私の仕事が忙しくて、とても行ってられる状況じゃなかった。義母を送り出してから、ようやく髪を切る余裕が出てきた。
久々の美容院では、私より年上の美容師さんと「老親の介護」で大いに盛り上がった。この美容師さんは実家のお母さん&同居していた舅さんの介護を引き受けて大変苦労された方である。順番に親を看取って今は無事に介護を卒業し、今度は孫の子守りで忙しいのよ…とのこと。その美容師さん曰く、夫婦の年齢が60代~70代になると老親だけでなく夫の介護問題まで噴出してくるらしい…汗。なかには舅姑夫のトリプル介護を嫁が一人で背負っている家もあるんだとか。
「今は介護サービスが充実しているからまだいいけどね。しかし今の老親は長生きで90代でもピンピンしてて元気だから、嫁の方がストレスで先に参って逝っちゃうよね…」と話していた。これは笑えない話だわ。
そして土曜日。予約していたドコモショップへ夫と出かけた。
事前にあらかじめ要件を伝えていたので、手続きはスムーズだった。まず最初に、95歳ケータイデビューの義母でも楽に使いこなせそうな機種を担当スタッフさんと相談しながら検討し、「らくらくホン」に決定。今の義母の状態だと「電話機能」だけでも精一杯だと思うので、メールは登録せず、電話専門で使うことにした。
その後、いよいよ契約に入るのだけど、ケータイの名義は私で、利用者が他者(義母)の場合、契約者(私)の身分証明書と共に、利用者(義母)のマイナカードが必要とのこと。この辺りも、前もって用意しておいたからスムーズに事が進んだ。
さて、ドコモショップ入店からガラケーを購入して店を出るところまで、計ってみたら約2時間ほど。昔は機種変更なんかで来店すると、手続きに3時間以上、下手すると半日くらいかかったような気がする。それを思うと、ずいぶん早くなったなぁ…としみじみ。
この後、急いで自宅に戻り、らくらくホンを充電する。新しいケータイに、日頃から義母と電話でやり取りしている人たちの電話番号を新規登録した。登録したのは、夫と私、義母と血を分けた親族、親しい親戚、そして義母の友人…等々。これらの登録は、仕事でガラケーを使っている夫がやってくれた。最初は私がやろうと思ったけど、ガラケーの文字の入力の仕方をすっかり忘れてしまっていて無理だった。普段使っていないと忘れちゃうんだね。まぁ、義母と電話する人はそれほど多くないから、あっという間に登録作業は完了していた。
準備が整ったところで、夫は新品のガラケーを持って義母が居るホームへと向かった。夫が義母に使い方を教え、自宅にいる私は義母の練習相手である。少ししたら私のスマホが鳴り、出ると義母の「もしもし…」という声が聞こえた。無事貫通。電話の向こうから、おっかなびっくりな義母の様子が伝わってくる。ちょっとぎこちないけど、使い続ければそのうちに慣れてくれるだろう。義母が私にかけた電話で少し話たあと、電話を切るとき、受話器の向こうで「これでいいんやろか?」「ここを押すの?」と、近くにいる夫に話しかけている義母の声が聞こえてきた。
こうしてガラケー初日は無事に終わった…と思いきや、夜に義母のガラケーに試しに電話をしてみたら、「お客様のおかけになった電話番号は電源をお切りか、電波の届かない……」のアナウンスが流れてきた。一体どうしたんだろう?
後日、義母が自宅に帰ってきた時に、どうして電源が切れていたのか?確認してみたところ、どうも義母はガラケーのボタンを力いっぱいググーと長押ししてしまう癖があるらしい。そのため電話を切るもりで、ガラケーの電源を切ってしまったようだ。突然動かなくなってしまったガラケーを前に「こわい、わからない、難しい」と思ってしまったとのこと。
いやいや、今までだって家に居たときは、家電話の子機を使いこなしていたんだし、テレビのリモコンだって使ってきたのだから、これらと同じ力加減で押せばいいのよ…と教えて、また何度か練習してみる。
こんな調子で、数日間のホームお泊りを終えて義母は帰宅し、今日までの数日間を自宅で過ごた。その間、私と夫は交代で義母の3食の準備と片付け、その他、細々とした世話をやってきた。
義母は頭の方はかなりしっかりしているので、細かいことまですぐに気が付き「あれをしてほしい」「これをしてほしい」と注文をいろいろ付けてくる。ところが、注文通りしてあげても、それが自分の期待から1ミリでもズレていると、それが気になってイライラし始め、「やっぱり直しておいてほしい」とか「これだとダメだから違うのにしたい」とか「あれじゃなくて、あそこにあるアレを取ってほしい」とブツブツ言う癖がある。そして、どんどん命令がエスカレートしていき、私たちはいつも振り回される。このパターンを30年間繰り返してきた。正直本当に面倒くさい。
今日も、昨夜、夫が車いすの義母でも通れるように…とテーブルの配置を少し変えてくれたことに対して、義母はそれがどうも気に入らないみたいで、私に「あれだと使いにくい」とか「元の位置に戻してほしい」とブツブツ言いだした。私も疲れているから、もう愚痴も文句も身内の悪口も、そういうネガティブなことは一切聞きたくない。「あれはお義母さんが『こうしてくれ』と頼んだから、夫さんがやってくれたんじゃないですか」と私も思わず口が出る。「お義母さんの注文はその時の気分でコロコロ変わるから、それに応える私たちは、いつも振り回されて本当に大変なんですよ。夫さんに対してもうちょっと感謝してあげてくださいね」と、本音をポロリと言ってしまった。以前の義母なら、嫁に生意気なことを言われてプライドが傷つけられたとキレまくり、親戚中に私の悪口電話をかけまくるところだけど、今日の義母はしんみりして「そうやな、みんな私のためにいろいろやってくれてる。本当にありがたい。感謝しとるんやよ」と涙声になった。
しかし、数分後にはケロッとした表情で「これは洗ってたたんでおいてほしい」「あれはこの棚のこの場所にしまっておいてくれ」「あー違う違う、そこじゃなくて、あっち!」「〇〇(夫の名前)に、これをこうしてほしいと忘れずにちゃんと言っておいてくれ」…と、車いすに座った状態の義母から次から次へと注文が繰り出され、私はあちこち動き回る。やれやれ…。
この後、義母の月一回の病院の診察に付き添って行き、会計を済ませる段階で、ホームのスタッフさんに迎えに来てもらった。このまま義母はホームに戻る。でも、ホームで一泊したあと、また明日には自宅に帰ってくるのよね。なんと忙しいスケジュールよ。
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よく介護者の苦労話として語り継がれることの一つに、「余計なことを言って邪魔をする親戚」の存在がある。さて、ここから先は、私が個人的に思うこと&私の意見である。
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