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【本当の私を生きる31日間プログラム】Day15「ジャッジ」

毎日書き続けている「本当の私を生きる31日間プログラム」の記事、今日でようやく15日目を迎えました。

私は、主催者のYumiさんや、一緒に参加していることほさんの進行ペースより、数日遅れで参加しています。ですので今日は8月19日ですが、書くのは「Day15」になります。皆さんが先に書いた記事を読ませていただいた後に、追って私が書いています。

この調子だと、私の完結は9月始めにズレ込みそうですね(汗)。でも、慌てず丁寧にコツコツ書いていこうと思います。

Day15のテーマ「嫉妬」について


主催者Yumiさんのお題noteはこちら・・・。

以下、Yumiさんの記事より抜粋。

15日目!もう折り返し地点ですね‼︎ ここまではどちらかと言うと、陰と陽で例えるならば自分の中の「陰」にフォーカスするようなお題を出してきました。今日もどちらかと言うと、そっちの方面なのですが、明日からは「陽」の方にちょっとずつシフトしていこうかと思っています。

・・・ホント、「陰」でしたねぇ(遠い目)。酷暑の中を汗だくで歩き回ったような、そんなドロドロ感をたくさん味わった前半戦でした。(汗)

(中略) 陰のテーマの(おそらく)ラスト。今回のテーマは「ジャッジ」。毎日6万回もの思考をしている私たちですが、その中でいろんな「ジャッジ」をしていることって多いですよね。選択するというのもある意味「ジャッジ」ですから、一瞬一瞬が選択の連続な日々のなかでこのジャッジは当たり前にしています。でもこれが、自分を責め批判する「ジャッジ」になっていたり、他人を批判する「ジャッジ」になっていたりすると、こころがモヤモヤすること多くなると思うのですよ。そしてその「ジャッジ」によって、自分が進みたい道に中々進めなかったりするのです。

あぁ・・・そうです、そうです。(首を縦振り)

「人生は選択の連続」だと私も思います。でも、この選択が「人や自分を裁く」ことで使われると、どんどん本来の自分から離れていく・・・と感じます。

私も、自分に対するジャッジが多くなると、手が止まってしまい、歩みも止まってしまい、いろんなことが怖くなって殻に閉じこもろうとしてしまうことがあります。「こんなことしても意味ないんじゃないの?」っていうジャッジだったり、「こんなんじゃダメだよ!なんでもっとちゃんとやってこなかったの?」というジャッジだったり・・・。そんな心の声が聞こえてくると、それだけで行動することが怖くなってしまう。この自分に対するジャッジについても、「行動することで傷つかないように」という自分を守るために起こっているのだろうな、と思うので、「悪い」ことではないのですが、「1歩」を止めてしまって、「本当の自分」を生きることをやめてしまったなら、きっと私はすんごく生きるのが苦しくなってしまう。
なので、ジャッジを理解した上で、手放していく。あるいは、ジャッジは理解した上で、横に置いて、進む。そんな風にできたら、とっても軽やかに進んでいけるのではないかと感じています。

・・・以下、Yumiさんのとても良いお話が続きます。(是非、上のnoteを読んでくださいませ♡)

今よりもっと軽やかに進むために、今日は「ジャッジ」について内観していきます。

今日の質問は以下の3つです。

① あなたが自分自身をジャッジするのはどんな時ですか?

②あなたが他人をジャッジするのはどんな時ですか?

ジャッジしていることに気づいたらまずはそれを受けとめましょう。またその「ジャッジ」をどうしていきたいか自分に問いかけてみましょう
※まだ持っていたいのなら持っていたらいいし、手放したいというのであれば、手放すと決める。とりあえず保留!ということで横に置いておきたいというのであれば一旦横に置く、など自分と心と対話してジャッジに気づいた時にどうしていくか決めていきましょう。

それでは、続けて質問に答えていきますね~。


① あなたが自分自身をジャッジするのはどんな時ですか?


他人と自分を比較して「自分が劣っている」と感じたとき、私は自分に「ダメ出し」する・・・という形でジャッジしまくります(汗)。

容姿や学歴、職歴、社会的立場・・・云々でジャッジすることはあまりなくて、やはり能力や才能、社会的影響力・・・という部分に私は反応するようです。

例えば、どんなに頑張っても叶わないとか、努力しても手に入れることはできないとか、自分には困難だということを受け入れなくてはいけない時、それを「諦める」ために、「自分は無理なんだ」と自分に判定を下して「ダメ出し」の烙印を押しておく・・・。これが、私の中では、自分なりに区切りを付けて終わらせるためのて【完結の儀式】・・・になっていました。

…とここで、「儀式」と自分で書いておいて「あっ!そうか~!流れを断ち切って無理やり諦めるために、自分の中で儀式化していたんだ~!」と気づきました。

自然の流れでそこからフェードアウトして、スーと離れていくのではなく、無理やり引き離して諦めさせて「もうダメなんだよ、叶わないんだよ!」と自分に言い聞かせるために、自分をコテンパンに叩き潰して立ち上がれなくするために、執拗に自分をジャッジしていたんだなぁ…と。

この心理↑、ちょっと複雑でわかりにくいかもしれませんが(汗)、つまり、人と自分を比較して、「お前はこの程度なんだよ。もう余計なことはするなよ!それ以上のことを望むなんて、お前は身の程知らずなんだよ!身の丈を知れ!わかるか?ボケ!」と自分で自分に圧力をかけている状態…。(セルフリンチ?自分いじめ?…汗)それが「自分へのジャッジなんだ」と思いました。

なるほどなぁ…。

うーん、自分いじめか…。

DQNな不良の自分が、大人しくていい子の自分を、フルボッコでいじめている図が頭に浮かんできました…^^;。

そう考えると、別にそこまで自分を抑え込まなくてもいいんじゃないの?自由に好きなようさせてあげればいいじゃん!…と思いました。だって、相手は「自分自身」なんだし…ね(笑)。

なんだか気持ちが明るく晴れてきました。


②あなたが他人をジャッジするのはどんな時ですか?


若い頃の私は、人をよくジャッジしていたと思います。

特に、人目を気にして自分に我慢を強いている時に、他の人を見て「なぜあの人は我慢をしないの?」と腹が立ち、ジャッジして、自分の機嫌を悪くしたり・・・なんてことが多々ありました。でも、私だけでなく周囲の人たちも同じだった様な気がします。昔から、自粛警察みたいな人、ジャッジ好きの人、たくさん居ましたもんね(汗)。私だけではなかったと思います。

だけど、社会人になり教職に就いたら、「ジャッジではなく指導」という環境になり、裁くのではなくて「成長を促す」という視点を持つようになりました。つまり、人が抱える問題点は「進化の可能性」&「成長ののりしろ」という価値観に変容したのです。ここから、私も少しずつ他人の多様性を認めて受容するようになりました。

そんな私でも、今もジャッジしたくなるのは、「能力が低くて魂的にも未熟なのに、虚栄心を剥き出して威張り散らしている人」です。

別に能力が低くても、頭が悪くても、未熟な人でも、そこは全然大丈夫なんですよ。ただ、「未熟なくせに、己の未熟さを自覚せず、やたらと上から目線で私を屈服させようとしている」を感じると、私は我慢ができなくなるのですよ~。

こういうタイプの人は、何故かむやみやたらと「人の上」に立ちたがり、場を仕切りたがるのですが、そんな彼らが、いざ人の上に立ってリーダーっぽいことをし始めると、その組織は100%パンクし、秩序も木っ端みじんに崩壊するんですよね。バランスも崩れて、どんどん人間関係も環境も組織の質自体もかなり悪化します。

そんな状態の中にいることが、私には耐えがたいので、こういう人たちに対しては、私は心の中で「ダメ出し」します。

そう考えると、まさに「ジャッジ」です(汗)。相手の状態を見て「ダメだこりゃ」と感じる部分の本質を探り当てます。裁いて、裁いて、裁きまくりながら、頭の中で冷静に「相手のどこがダメなのか?」を観察・分析するのです。

でも、これは相手を責めるためのものではなく、その人と自分の間にあるトラブルを的確に処理するための手段です。

相手にケンカをふっかけるためのジャッジではないので(ポジティブ利用している)、問題はない・・・と考えて居ます。

◇◇◇

ちなみに以前の私は、問題が多い相手に対して、「相手のどこがダメなのか?」を客観的に俯瞰して分析し「ここがダメだ」とバッサリ斬る・・・ということが全くできませんでした。

相手のダメな部分を見つけることは、「自分の心がネガティブで歪んでいるからだ」と思い込んでいたのです。だから、悪い部分を見ないように気を付け、良い部分だけを見るように・・・かなり気を付けていました。相手のことをしっかり見ようとせず、中途半端な関わり方で、相手とズルズルと繋がっていました。

でも、人間なんだから、どんな人にも「いい部分」「悪い部分」両方が存在しています。悪い部分があっても、それを見つけても、それ自体は、別に悪いことではないのですよ。しかし、昔の私は、他人の悪い部分や問題点を感じ取ってしまうこととを「悪いことだ」と自分自身に対してジャッジしていました。

他人の問題点に蓋をして(もちろん自分の問題点にも蓋をして)、「あの人は良い人なんだ」と思い込もうとしていたんですよね…。

現実と自分の期待が大きく食い違っていき、相手の本性と自分の思い込みのギャップが大きくなっていくと、自分の心も収まりきれなくなり、とても辛くなります。やがてイライラし初めて、ムッとしたり腹を立たり、そんな腹を立てている自分も嫌になり、更に自分をジャッジして責めたり…。まさにジャッジのループでした。

この時の自分は、客観性に欠けていたと思います。「人間なんだもん、みな誰しも一つや二つ、個人的な問題くらい抱えているわよ」と現実を素直に認めることができず、ずっと間違ったジャッジをしながら、迷いを起こして生きていたなぁと思います。

◇◇◇

こんな流れがあり、今の私は「正しいジャッジ」を心がけて発動させています。

私の「困っていること」の原因が相手にある場合、相手の問題点を観察・分析して「ここがダメなんだ」と認識するようにしているのです。

「あの人の問題点はこれ」…と客観的に理解しておくと、その相手との間で「新たなトラブル」が起きたとき、相手を見て感情的な反応をすることが避けられます。相手と感情論のぶつけ合いで問題が泥沼化することを避け、相手の問題点のみを注視して、問題にピンポイントに対処できます。

ということで、今は冷静に相手を観察して、相手の問題点を認知するために(広く言えば、相手を正しく理解するために)、「ジャッジ」という観点を利用しています。

理解して「変な人だなぁ」「私とは合わないな」と感じたら、それで終わり。それ以上は深追いしません。ただ相手を知る・・・それだけでいいのです。

これが出来るようになったら、人間関係が随分楽になりました。

③ ジャッジしていることに気づいたらまずはそれを受けとめましょう。またその「ジャッジ」をどうしていきたいか自分に問いかけてみましょう。


以上、①と②に答えてみて、私の場合、他人へのジャッジは、良い感じでポジティブに利用できているけど、自分へのジャッジは、モロ「自分いじめ」になっている(汗)ことがわかりました。

自分虐めのような「自分へのジャッジ」、これは早々に手放したいと思いました。

手放す方法としては、「自分を許す」。これに尽きると思います。

人と違っていても良いんだし、人より劣っていても良い。

もしかしたら、私の方が優れている部分もいっぱいあるかもしれない。

だから、自分を責めない、裁かない。

もっと自分を素直に受け止めて愛していく。

これを心がけていこうと思います。


最後に・・・


こちらは、私と同じくこのプログラムに参加していることほさんのDay15記事です。全く同じテーマで書いているのに、「ジャッジ」に対する思いや認識が本当に人それぞれ・・・。各々で違いがあってとても興味深いです。「違いを知る」ということも、大事な勉強ですね😊。

◇◇◇

ジャッジも、前回の「嫉妬」と同じくらい泥臭くて嫌な感情ですが、でも、掬い上げてじっくり観察してみたら、意外と「明るくて澄んだ世界」が広がっていました。

自分も他人も「悪い部分」を見つけて、そこをピンポイントにジャッジしてしまう・・・という心理。これ「悪い部分」を「ダメなこと」と悪く受け止め下げ評価にするのではなく、別に良いとか悪いとか関係なく、その人の癖または個性・・・と思えば良いんだなぁ~と。

そう思い直したら、ジャッジ対象となる部分は、その人の「個性」でもあるのだと思いました

この感じで、自分のことも「個性」と「癖」だと思えば良い。

また、他人に対しても、分析したあとは「この人の個性」として認知してあげる。

つまり、相手を受容して許容するのだ・・・と、そう気がつきました。

なるほどなぁ・・・。今日もたくさんの気づきを得ました。

◇ 

今日はここまでです。

また明日会いましょう。

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