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「素直な良い子」をやめて、自分の人生を取り戻す

こんな時だからこそ、そんなに周囲に気を遣わなくてもいいから、とにかく「自分の人生」を自由に自分らしく生きてほしいなぁ・・・と思うことがある。

というのも、私の周りには、もう50代・60代なのに、今もずっと「素直な良い子」をしている人がいて、それがとても不自然に感じられるのだ。

そして、彼らは、私たちに対しても、いつも素直で明るくて感じのいい人なのだけど、その素直さと明るさが、大人のものではなく、幼い子供のような純真無垢な素直さと明るさなのだ。

彼らと話していると、いい年の大人を相手にしているにも関わらず、子供とお話しているような気分になる。
彼らは常に人目を気にして、いつも相手のご機嫌を損ねないよう振る舞っているのを感じる。

とにかく、自分の気持ちはどこか他のところに置き忘れているみたいで、この人の本心は何なんだろう?といつも不思議に思うのだ。

そして、私は居心地の悪さを感じてしまう。

◇◇◇

この、いい年なのに「素直な良い子」をしている人たちは、だいたいが親と同居していて、端から見ると「理想的な家族」であり「仲の良い親子」のように見える。

彼らは、実親に対して非常に従順で、親の意見を素直に聞き、親を立てて、親を困らせないように気を遣い、親をとても大事にしている様子だし、また、彼らは親御さんにとっても自慢の息子や娘であり、問題が全くなさそうに見える。

しかし、本人と深くしんみり話してみると、家庭という密室の中で「外部に漏らしてはいけない家族の秘密」があり、それを家族総動員で隠している・・・という現実があるらしい。

その秘密とは、暴力や虐待であったり、精神的支配であったり・・・等。昔の横溝正史の映画に出てくるような、日本特有のしっとりと湿り気を帯びた陰湿な感情のもつれ・・・みたいなものが鎖状に絡みついていて、それが祖父母の代から脈々とその家庭の中にドロドロと重々しく横たわっているようなのだ。

つまり、彼らの天然キャラが「素直な良い子」なのではなく、その家の大人達がずっと「素直な良い子」を求めていて、その家で子供として生きていくために、自然な流れで「素直な良い子」の自分を作り上げてきた・・・そんな感じなんだと思う。

それが、その子供が成人し、50代・60代になっても、老親の期待に応える形で、無意識に「素直な良い子」になっている・・・ということらしい。

ある意味、「素直な良い子」になるように育てられてきたわけで、彼らも彼らの親も皆が、それが自分のキャラであり、これが本当の自分だと思い込んでいるのかもしれない。

でも、私から見ると、その「素直な良い子」は、その人の本当の姿ではなく、無理やり外部から強い力を加えられ、人工的に作られた性格だ。

本当は、もっと暴れん坊で声が大きい人だったり、自由奔放で気が強い人だったり、あまり勉強が得意ではなくのんびり屋だったり、繊細でデリケートで芸術的な感性の持ち主だったり、いろんな場面でキチンと自分の意思を主張できる人だったのかもしれない。

でも、親と一緒に暮らしていくために、「素直な良い子」に自分を作り替えてしまった結果、自分は何が好きで、何をしたくて、何を感じていて、何をして生きて行きたいのか?・・・ということを忘れてしまったように感じる。

本当は自分はどういう人間だったのか?

何をしたくてこの世界に生まれてきたのか?

それを人生のどこかで手放し、すっかり忘れてまい、今の「素直な良い子」で生きていくことにすり替えてしまったのだろう。

でもなぁ・・・。

こんな混沌とした時代だからこそ、もう「素直な良い子」の着ぐるみは脱いで、本当の自分で生きて欲しい・・・と私は思う。

若い人達はビックリするかもしれないけど、「親が怖くて、自分が出せない」という人は、50代60代でも意外と居るのだよ。

今は高齢化社会だから、80代90代でもピンシャンしている老人は多い。家庭という密室の中で絶大な権力を誇り、子供に罪悪感を抱かせることで子を精神的に縛り付ける老親もいる。

こうなると、どんなに年齢を重ねても、状況は一向に変わらない。

若いときに、自分たちの親子関係について真剣に考え、自分の本心と真摯に向き合い、「自分」を取り戻すための努力をどこかでしなければ、50代60代になっても、いつまでも親の安心と満足を叶えるために「素直な良い子」を演じ続けなければならない人生となる。

後悔しないために・・・。

早く、自分自身のために、自分の人生のために、勇気を出して立ち上がってほしいな・・・と思う。

どこかに置き忘れた「自分」を、早く取り戻してほしい…と切に思う。

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