嵐に見る去り際の美学と、送り出す側の誠意
SMAPから始まり、ジャニヲタとしてここ数年、たくさんのサヨナラを経験してしまった。
その都度(私たちの応援が負担だったのでは…?)という後悔と、(なぜ私たちの前から姿を消してしまうのだ…!)という怒りのような悲しみがごちゃごちゃに渋滞して取り乱していた。
特に自担の阿部顕嵐さんが退所した際は狼狽した。
ネット上でもたくさんクダを巻いたし、なんなら今でも喪失感を受け入れ切れていない。
しかし、嵐の活休会見を見て、これではいけない!とふと思い直している。
というのも嵐の会見があまりに完璧で、逆に私たちオタクが送る側としてもきちんと誠意を見せなければならないと思わせるものであったからだ。
完璧な去り際
私なんぞが言うまでもないが、嵐の去り際に称賛を送るべき理由を羅列する。
①1人のメンバーの意思を全員で尊重
②5人で同じ方向を向く結論を出した
⇒誰かが我慢しながら続けるのではなく、本人たちが楽しんで活動出来る環境を追及している。
アイドルに限らず、サービスの受け手はストーリーにお金を払う時代。
作り手の本心は受け手に伝わるものだ。
本人たちの気持ちがまっすぐで、5人の活動を心から楽しんでいたからこそ、20年間国民から愛されグループだったわけだ。
③5人揃った会見を行う
④噂ベースの話を一切流出させない
⑤2年前の発表
⇒ファンを置いてけぼりにしていない。
まさに「俺たちと皆で嵐」である。
話し合い期間にメディアで一切報じられることなく、余計な詮索はさせない。情報を流出させなかった関係者との信頼関係も厚いことがよくわかる。
(オタクは大して好きでもないだろう第三者からの余計な詮索が一番嫌いだ。)
嵐もファンも同じ方向を向いて、希望も見せてくれる美しすぎる休業宣言だった。
問われる送り出す側の誠意
これだけ誠意ある去り際を見せられ、送り出す側の私たちはどうするべきか。
これはもう彼らの決断を受け入れ、心から応援することに他ならない。
こんなにも全方位の受け手のことを考えて自分たちの結論を出してくれたのだ。
きっと本当にちょっと疲れたから休みたいのだろう。そりゃそうだ。ここまでトップを走り続けてくれてありがとう。
余談にはなるが、私自身も最近とある場面で大きな決断をし、送り出される側となった。
ジャニーズ達は何を思い羽ばたいていくのか、その気持ちがちょっとわかるような経験だった。
その決断を出すのに、たくさんの自問自答を繰り返し、周囲にも相談をした。
そしていざ自分の中で整理をつけていざ送り出されるタイミングで、様々な反応があった。
決断を完全に理解してくれる人はほぼいなかった。
惜しむ人や引き留める人もいれば、恩知らずと言う人もいた。小馬鹿にする人だっていた。
私の去り際が美しくなかったのかもしれないが、自分で一生懸命悩み、下した決断を真っ向から否定されてしまうのは悲しい。理解までいかなくても、せめて受け入れて欲しかった。
この私が周りの関係者から悪気なくされた決断の全否定と同じことを、私は愛するジャニーズ達にしてしまっていた。
悪気など決してない、むしろ好き故の行為だ。
でも私はただのいちファンで、彼らの人生は彼らのものだ。お金を少しばかり払ったからといって口出ししていい権利などなにもない。
大切な人が岐路に立ち、目の前から去ろうとするとき、送り出す側にできる最善の愛は、彼らの決断を応援すること。成功を信じて祈ること。決断のその先でできる支援をすること。
もう私はジャニーズの退所、休業、脱退の決断に対して否定はしない、詮索しない、たらればを語らない。(ちょっと落ち込むかもだけど…)
それが送り出す側の誠意である。
P.S.いままでゴメンネ、顕嵐チャン…
これからも頑張ります!