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あるブログを読んで・・・・

先日、Twitterをウロウロしていて、気になるブログにたどり着いたので、つい「それはあかんやろ」的なことを呟いたら、ステアカさんから「フォロワー数が少ないカウンセラーの癖に偉そうに書くな」というDMを頂きました。

そのブログの書き手のカウンセラーさんはテレビにも出演し、多くのファンがいらっしゃるので、そのファンの方の気に障ったのでしょう。
Twitterで呟くだけにとどめておこう、と呟いたときは思っていたのですが。
DMを頂いたことで、もう一度自分の呟きを読み、そしてそのカウンセラーさんのブログを再読してしまったために、なんだか、書かずにはいられなくなりました。
また、DMやメッセージ機能で批判の声が届いてしまうのでしょうけれど、私は、そのブログを書かれた方を否定しているのではなく、暴力問題に関わるカウンセラーのひとりとして、どうしても書いておきたいことがあっただけなので、その点ご理解頂けたらと思います。
何を言ってんだ、と思われた方(特にカウンセラーを称して人に関わっておられる方)は、そもそも考え方が違うもの同士ということで、おそらく理解し合えないと思いますので、意見の交換は水掛け論になるでしょう。

そっと私のnoteを閉じて頂けたら幸いです。
まず、私の呟きから転載させて頂きます。

叩いていい
あなたの娘さんは叩かれるために生まれてきた
あなたの娘さんも、また大人になったら(そのカウンセラーさんのような)場所を見つけて自分で解決していく・・・・。
私がたどり着いたブログにはそんなことが書かれていました。

2年以上前のブログでしたが、そのカウンセラーさんの名前こそ知ってはいましたが、ブログなどを読みに行ったことはなく、2年以上経ってから初めてそのブログを見て、その文章を読んで、モラハラやいじめ、虐待の問題に関わるカウンセラーのひとりとして、心がザワザワしました。そしてTwitterに思わず呟いていました。
私なんかと違って、多くのファンの方がいて、多くの人が読むブログ。私のブログやTwitterが読まれる数なんか何十倍も遙かにしのいでいて、叩く人も、叩かれる人も読むブログ。
そして、そこで排出され、カウンセラーと名乗る人たちを含む多くの方が、そのブログに賛同して1000近い〝いいね〟が寄せられていました。

「叩く人へのアドバイス」として、どんな意図があったとしてもいただけない、と強く思いました。
そして、叩いてしまう人、叩かれた人と関わるであろうカウンセラーと称する人たちがこの言葉にたくさんいいねをし、その考えをカウンセリング時に使う言葉としておさめてしまっているらしいことに心が締め付けられる思いがしました。

叩いてしまう気持ちに寄り添うことと、叩いていいと言ってしまうことはまったく違いますし、ましてや叩かれるために生まれてきた子どもなんていません。叩かれ続けてきた子どもが、自分は親に叩かれるために生まれてきたという言葉を見たとき、どう感じるでしょう。
絶望する子も出てくるのではないでしょうか。

拙著のモラハラについての本の中で、「被害者の加害者化」という言葉を書きました。
モラハラを受けた被害者は、自分のイメージ通りに相手に動いてもらう方法として、自分がモラハラを受けてきたことで学習してしまっています。そして、それを自分でも使ってしまうことがある。
自分のイライラを発散する方法として、学習したモラハラという方法で発散してしまうことがある。知った方法を使ってしまうことがある。

暴力で苦しんだ人は、そのことに気づいたとき、とても苦しむでしょう。
親と、夫と、あの人と同じことをしている、そのことに気づいて震えるほどに苦しみます。

使ってしまっている自分にまず気づき、そして、気づいたらそれを二度としない、してはいけないと心に誓うことが大事だと思っています。

そのときにカウンセラーとしてするべきことは、気づいて苦しんでいるその苦しみに寄り添い、その気づきと苦しみを明日に活かしていくこと、自分に暴力を振るった人のようなことは二度としないと思うその気持ちにサポートしていくこと。
虐待の連鎖を断ち切る努力に手助けをすることです。

「また大人になったらそのカウンセラーさんのような場所を見つけて自分で解決していく・・・・」
暴力の問題に関わっていく中で、大切なことはいかに連鎖をなくし、先の未来で暴力をなくしていくか。そのために皆、言葉を発したり本を書いたりしているのに、とても看過できない言葉でした。
その方の論理で言えば、叩かれる子ども、モラハラを元被害者から受ける人は、自分のしていることに気づかせるためにその人の前に現れたことになります。そして、その人を許してあげることで、その人を救うためにその人の前に現れたことになります。
そんなことは、人間には課されてはいません。
そんなことをできるのは、仏くらいのものでしょう。

そして、確かに大人になったら、あるいはモラハラを受けて苦しんだら、その苦しみをなんとかしようとカウンセリングという道具を使うかもしれません。

叩いたお母さんは、それでも子どもが自分を愛してくれる、子どもが許してくれる。叩いても私は母親であり続けることができ、愛される存在だ、と心が満たされるのかもしれませんが、叩かれてきた子どもに、また同じことをさせて、同じ苦しみを抱かせて、そして同じようなカウンセリングを受けて、心が満たされて・・・・。
誰得? その論理を指示するカウンセラーだけですよね。

それって、「連鎖の勧め」としか、私には受け取れなかった。

お願いです。
虐待やモラハラを受けると大人同士でも心に深い傷を残します。
苦しみます。
親から子どもなら、その子どもの傷はなおさら深いものとなるでしょう。
そんな深い傷を負った子ども、元子どもに、「叩かれるために生まれてきた」なんて言葉を安易に使わないで下さい。
私たちは連鎖を断ち切っていくことを手助けする役割であるべきです。
やってしまわないように文章を書き、やってしまったことに気づいた人には、その気づきをしっかり活かしていってもらうためにサポートする。
その連鎖をどう断ち切っていくか、どう気づいてもらうべきかと、カウンセラーも日々苦しみ学び続けているのです。

と書いていて、勝手にファンになって、フォローして、noteを開いたときに読みに行くある脳科学者の先生のnoteにちょうど、こんな記事が書かれていましたので、是非読んでみて下さい。(さかい先生、勝手にシェアしてごめんなさい)

私は、今回のこのnoteで決して、ブログを書かれたカウンセラーさんを個人的に否定しているわけではありません。
暴力問題(特にモラハラ)問題に関わるひとりとしての一意見として読み飛ばして頂ければと思います。


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サポートありがとうございます。自営業で、人と接する仕事をしており、コロナの影響でダメージを受けている中、本当にありがたいです。

とってもうれしいです♡ 書く意欲につながります。
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カウンセラー・作家。カウンセリングルーム「おーぷんざはーと」(大阪)1991年設立(https://othpage.com/)。 著書「モラハラ環境を生きた人たち」(而立書房)「カウンセラーが語るモラルハラスメント」(晶文社刊 現在9刷)他 共著あり。執筆依頼、お待ちしています。
コメント (2)
谷本様、

私の記事を読んでいただいてどうもありがとうございます。

虐待の連鎖を止めることは、私たち大人の責任だと信じています。

さまざまな意見があるなか、問題を考える上で、まず社会における子供たちの安全を最優先に考えていくことが私の強い願いです。

さかい
さかい先生
コメントありがとうございます。いつも記事を読ませて頂いています。

〝虐待の連鎖を止めることは、私たち大人の責任〟

本当にその通りだと思います。
暴力はいけない、叩くことは良くない。
そんな当たり前のことをnoteや書籍に書かなくていい日が来てほしいものです。

谷本惠美
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