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私の友達の作り方

 私は1人行動が多い。

 今でこそ「お一人様」が普通になっているが、その以前から私は一人でどこへでも出かけていた。高校の制服を来て平然と一人で吉野家で牛丼を食べていた。旅行もディズニーも一人で行く。どこか行きたいところがあるときに「誰かを誘おう」という発想がない。だからといって「一人がラク」という考えもない。一人でも誰かと一緒でも、「どっちも同じ」と思っている。

 つまりは友達がいないのだ。学生時代の友達はほとんどいないし、仲間のような所属先もない。ハッキリ言って、友達とはどうやってできるのか、未だによくわからない。

 そんな私ではあるが、一応親友がいる。この親友のことを私がいかに慕い申しているか。語ってもいいと言われれば延々と親友の良さを語り続けたくなるほど首ったけの親友である。

 以前、成田にある書道美術館に行こうと思ったときに、普段はもちろん一人で行っているのであるが、企画展の会期中に行けそうな日と親友と遊ぶ日が重なってしまったのだ。どちらか選べない。企画展は見たいが親友とも会いたい。迷った私は思い切って一緒に行かないかと誘った。誘ったのはいいが、私達が住む場所からは片道約1時間半。さらにそこから歩いて30分かかる。

「とんでもないところに誘ってしまった。断ってくれて全然いい!」

と思っていたら、すぐに返事がきた。

「一緒に行きます! 誘ってくれてありがとう」

清々しいほどの快諾であった。

 書道美術館に行く電車の中も、歩いているときも、私は何度も何度も「こんな遠いところに一緒に来てくれて本当にありがとう」と言った。ありがたさと申し訳無さでいっぱいだった。参道で食べた鰻をお礼に奢ろうとしたら断られた。

「えみさんの大好きな場所に誘ってもらえるなんてすごく嬉しいよ! 日帰り旅行みたいで楽しいね」

 私が謝るたびに彼女はそう言って喜んでくれていた。もう、感無量である。

 親友と私の出会いは大学2年生のときだった。

 同学年、同学部、同学科にもかかわらず、1年生のときに必修がかぶったことがなかったため私は彼女の存在を全く知らなかった。

 2年生の必修になって、はじめて私は彼女と同じ授業を受けることになった。彼女は常に一番前の席に座り、先生の話をじっと聞き、必要があれば挙手をし、その姿を私は後ろの方で「ずいぶん真面目な子がいるんだなぁ」と見ていた。ブランドロゴのはいった大きな皮のトートバッグにいつも重そうな本が入っていて、CanCamやSweetのような服を着ていて、私は「バリキャリみたいな子だなぁ」と思った。

 私はいつも彼女よりも後ろの席に座っていたので、梅雨時期に入るまで顔をはっきりと見たことがなかった。前にまわりこんで見ようとしたら不審者だ。なんとなくこういう顔なのかなぁという想像はあったが、今思うと想像しているだけでも犯罪な気がしてくる。

 必修はゼミの予行練習のような授業だったので、発表がメインだった。各々調べたことを順に誰かが発表し、先生と討論するのであるが、私は何を発表したのか今では全く覚えていない。

 しかし彼女が発表した内容については今もはっきり覚えている。太宰治についてだ。

 その発表は私にとって色んな意味で衝撃だった。これほど感情が混沌とすることは今まで体験したことがない。

 前に出てきて発表する彼女。その顔をはじめて見た。はじめて見る彼女は、とても可愛かった。そりゃあもう、とても。びっくりするくらいに可愛かったのだ。

 当時の私の偏見で、失礼極まりないのを承知で書くと、「真面目な子に可愛い子はそうそういない」と思っていた。(今は一切そう思っていないので、若気の至りとして許してほしい)だからとにかく驚いた。真面目で、勉強ができて、こんなにハキハキ発言して、発表内容も素晴らしい。そして可愛い。こんな子がこの世に存在するなんて!!

 しかも、キモいことを言うが、声も仕草も可愛かった。もうビックリした。服装も似合っていて可愛かった。おしゃれだった。そして発表内容について教授と討論になった際の彼女の受け答えは凛としていて、物怖じせずに話す彼女の知識と考察力はこの学年の誰よりも深かった。リアルハーマイオニーとはこのことだ。私は彼女から目が離せなかった。

「あの子と友達になりたい!!!」

 太宰治の発表を聞いた感想はその一文に尽きた。大学生失格だろうと構わない。女生徒をどういう目で見てるのかという叱責も甘んじて受け入れよう。もしも彼女がメロスならば私はセリヌンティウスになりたいのだ!

 彼女と友達になりたい。

 そう心で念じながら過ごしていると、人間は不気味な力を発揮するようで、学内でしょっちゅう彼女を見かけるようになった。実は彼女と同じ授業を他にもいくつか取っていたことも判明した。200人教室でも、彼女の姿は一瞬で見つけられるくらい視力が上がった。

 こんな気持ち悪い学内ストーカー行為を行っていてだんだんわかったのは、彼女は多くの人と親しげに挨拶をすることはあるが、いつも一人で授業を受けていること。そして取っている授業が多く、空き時間があまりないこと。その空き時間の多くは図書館にこもっているということだった。ますますハーマイオニーである。

 こんなに彼女のことを目で追っているにもかかわらず、少人数の必修のときでさえ彼女に話しかけることのできないチキンな私。「おはよう。この前の太宰治の発表、すごく良かったね」たったそれだけが言えないまま1週間が過ぎ、2週間が過ぎ、今更言ってもキモいだけじゃん……と諦め始めた頃、私はついに友達に相談してみることにした。

 50人ほどの授業前、テキストを準備しながら友達に「好きな子がいるんだけどさ」と切り出すと、友達は慌てふためいた。

「え、待って。えみ彼氏いるんでしょ」

「あ、違う違う。男じゃなくて、女の子」

「えー? ちょっと何言ってるかわかんないんだけど……」

 そこで私は周囲を見回した。一瞬で遠方に彼女を確認できた。

「いた! あの子! あの可愛い子! あの子と友達になりたいの!!!」

 もうプライバシーどころではない。彼女を指さして堂々たる宣言である。

「あ、あの子? なぁんだ。私サークル同じだよ! 紹介してあげるからおいでよ」

 まさかの急展開である。

 私の動揺をよそに、スタスタと彼女に向かっていく友達。あ、あぁ、ぁぁ……と声にならない声を口から漏らしながら後を追うキモい私。50人の学生中どれくらいの人がこの惨劇に気づいていただろう。

 そして彼女の前に来ると、友達はさくっと私を紹介しはじめた。

「この子、えみちゃん。紹介してって頼まれたの」

 顔を上げた彼女はぱっと立ち上がって言った。

「えみさん! はじめまして!」

 彼女はニコッと笑って私を見てくれた。

 一方の私はそれどころではない。だってこんなに近くで見るのははじめてなのだ。遠くからは視力が向上するくらい凝視していたのに、いざ近くに来たら目どころか顔も見られない。彼女の身長はちょうど私と同じくらいなので顔を上げると必然的に目があってしまう。

 いやしかし、これは一生に一度の、千載一遇のチャンスなのではないか。こんなに素敵な子と友達になれるチャンスなんて宝くじが当たる確率より低い。運をここで使い果たしても構わない。この運をしっかりと握りしめ、ものにするのだ!

「はじめまして! あっ、あのっ……」

 私は無意識に彼女に手を差し出していた。

「私と友達になってください!!!」

 恋愛バラエティショーの告白シーンそのままである。

 今振り返ると、こんな友達のなり方は絶対に不審である。胸を張って言うが、絶対に人には勧められない。

 なんでこんなことを突然言ってしまったのか。後悔と動悸に混乱している私の手を、彼女は自然な仕草で取った。

「こちらこそ! よろしくお願いします」

 告白成功! 結婚します! 彼女を一生幸せにします!

 テレビならばくす玉が割られ、クラッカーのイラストが画面を飛び交い、モニターしている芸能人が「感動したー」と涙を流し、お茶の間では「よかったねぇ」とほのぼのし、明日の学校の話題になる瞬間である。

 私はというと、言うまでもないが舞い上がっている。

「ありがとう。よろしくお願いします」

 それ以上の言葉が続かない。

 なんと言えばいいのかわからないまま、チャイムが鳴り、授業が始まった。当然だが、授業の内容なんてこれっぽっちも覚えていない。1時間半じっくり、友達になった彼女との今後の日々の妄想の限りを尽くした。一緒に学食にも行こう。カフェにも行こう。空き時間が被っている日はあるだろうか。図書館で一緒に勉強して、わからないところを聞いたりしたい。一緒に調べ物をしたい。グループワークも一緒にやりたい。まさにバラ色の学生生活のはじまりであった。

 しかし1時間半も妄想していると、後半には我に返るものである。

 あんなにいい子なのに私と友達になって大丈夫だろうか。あの子初の嫌いな人間になったりしないだろうか。私と一緒にいることであの子の株が下がったりしないだろうか。考えれば考えるほど、私はあの子と友達になってはいけないような気がしてくる。もう勉強どころではない。

 彼女と友達になりたい、でも彼女に私はふさわしくない、という葛藤が胸の中でシーソーゲームしながら私の情緒を乱していく。授業が終わる頃には私の心は夏の積乱雲のように雷雨をまといつつ青空に浮かんでいた。

 結論が出ないまま席を立つと、聞き覚えのある声に呼び止められた。

「えみさん。あの、さっき、連絡先を聞く時間がなくて……。連絡先、教えてくれますか?」

 なんと、嘘みたいなことだが、彼女だった。

 私は彼女の次の授業の迷惑にならないように、早口になりながら連絡先を交換した。彼女は重そうな皮のバッグを軽快に肩にかけると「ありがとう! またねっ!」と笑顔で去っていった。私も「またね」とこたえた。

 この「またね」が彼女と会うたび会うたびにつながっていき、気づけば15年がたった。「またね」が社交辞令で済んでしまう世界で、彼女の「またね」ほど信用に足るものはない。そう思っている。

 我ながらになかなかキモい話だと思っているが、彼女がたまにこのことを話題にしてくれる。

「あのとき、えみさんが私を見つけてくれて「友達になってください」って言ってくれたの、本当に嬉しかったよ」

 そう言ってくれるのを聞くと、私の道化師のような挙動も無駄ではなかったと、「いい思い出ボックス」に分別できる。

 友達の作り方は未だによくわかっていないが、私はこのときのことを思い出して、「この人の友達になりたいな」と思ったら、「大好き」としっかり伝えることを心がけている。

 好意の表現がワールドワイド感があって、大げさかもしれないが、自分にとって本当に素敵な人、素晴らしい人、大好きな人との出会いは宝くじが当たることよりも確率が低いし、宝くじ当選よりも価値がある。

 そして親友の彼女含め、大好きな人には大好きという。多少しつこくても言う。思ったときに言う。

 私が一人でどこにでも行けるのは、大好きな人がいつも心にいるからだ。



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