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人が願いから表現するのを目の当たりにしたい。

願いがあります。

ぼくには、人を人として大切にする場が世界に増えてほしい、という願いがあります。それはぼく自身が、人生のいろいろな場面で居場所を感じきれずに過ごしてきた痛みがあるからです。

さかのぼれば幼少期、学生時代の話になりますが、それは40歳を過ぎても時々顔をのぞかせます。社会人になってからは幸いなことに自分の価値を認めてくれたり、自分の意思や特性を大切にしてくれる仲間に恵まれました。けれど、ぼくはもっと、「人が自分を大切にし、お互いを大切にして、大切だと思うことに人生の焦点をあてることができるんじゃないか」とも思っていました。※詳しくはライフストーリーをご覧ください

もう少し「人を人として大切にする場」の意味合いを補足すると、

  • 人を何かを実現する道具や手段ではなく、その存在として大切にする

  • 人が自分の内に感じていることを「ある」と言える/受け取れる

  • 組織内のやりとりにエネルギーを奪われずに価値を届けたい相手に向き合える

人が自分の想いや気持ちを抑圧せずに表現しながら生きていける場が増えてほしいのです。そして、それは環境や構造が難しかったとしても、たった一人がそうあろうとすること、自分の感じていることに正直であることからはじめることはできます。その正直な自分から表現することから(もしくはすでにしちゃっている結果)発された言葉や声、振る舞いや在り方から場が生まれると考えています。「自分の願いから人が表現したらそこが場になる」と。

「願いから表現したらそこが場になる」とは

「人を手段化しない」あり方を体現する場としてのカフェを営む経営者
「自分を生きること」を体現しながら対話を広める書籍を出版し、あちこちに出没するアーティスト
「誰も犠牲にならない組織・チームづくり」を掲げて、さまざまな個人や組織の支援に奔走しているパラレルワーカー

これらは、規模、集団のかたち、関係性こそちがえど、その人の表現に周囲が共鳴して場が生まれ、時に居場所に、時にゆるやかなつながりに、時にプロジェクトや企業に、なっている。そんな風に見えています。

そしてそのような人達が、さらに人が自分の願いから表現できる場をつくっていく景色が見たいのです。

ぽっと小さく湧き出た水が、森の中にぽっかり空いた池のようなビオトープ(生息空間)になり、そこで育まれた生き物たちのいまとこれからをつくっていくような。そして、場を生んだ人にも恩恵が返ってきて有機的につながっていくような。

地域固有のビオトープがあるように、その人固有の場があっていい

「願いからの表現」を見えるように

今回関わらせていただいたスケさんの経営するミライフも、ご自身の願いから表現したことで場が生まれ、共鳴した人が集ってきた会社です。

上で挙げたような書き方をするならば、「働く、生きるを、HAPPYに」のミッションから、業界の定石を覆すビジネスの生態系を育んでいる方です。
そして、そこに関わる人たちが願っていることと組織のつながるところを探索しながら、まだみぬ・みたい景色に向けて拡がっていく場でもあります。

ミライフの事業と組織のつながりを絵にさせてもらいました。「なぜ、ビジョンを絵にしたの?」ということ、そして「絵で何を表現しているのか?」はぜひ代表のスケさんのブログを。「言葉ではなく絵でビジョンを表現することの意味」はぜひ役員のみほさんのブログを読んでみてください。

表向き、方便、手段としてではなく、心から「人を人として大切にする」
と言える場をつくりたい。そう願っている人と共にその景色を描くこと、
目の当たりにすること、そのことが自分にとって本当に大切なのだとあらゆる接点から感じたのが今回の機会でした。※絵にする過程で感じたことをインタビュー記事にして頂きました。

ぼくは自分の役割を「見えないものを見えるように」と置いています。ただ、そのときの関わり方はその方の見たい世界とご自身でできることによって変わります。

お話を聞かせてくださった方にとってもわたしにとっても、すこやかで自然な協働の仕方を模索したいです。まずはお話を聞かせてください。

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