マレコン通りの潮風を浴びてから三年

エスカレーターで順調に上がっていく。

僕は3年前のその日、別に用もないのにでっかいデパートにいた。何を買うわけでもなく、ただでっかいデパートの空気を吸って、小金持ちの姿をひと目見て、何かを感じたかったんだと思う。

各フロアをふらっと見る。別に欲しいと思うものはない。なぜなら50代のガハハと笑うおじさん用の紳士服や、やけに高級な食器が売られているからだ。ここは大学生にとって楽しいフロアじゃないな、と思う。

エスカレーターに乗る。次の階は子ども服売り場だった。そこにも興味はないなと思ったが、小学生くらいの子どもがモンクレールでアウターを物色し、親を呼んでくる姿を見て参ってしまった。こういうのが見たかったんだよ。

僕が小学生の頃は、みんなユニクロの青いフリースやオレンジのパーカー、大人になってからはお目にかからないキャラクターのワッペンが貼られたスウェットを着ていた。けれど、そのでっかいデパートで見た子どもたちは落ち着いた色味のセーターやチノパン、グレーの上質なダウンを着ていたりした。時代が違うのか、社会階層が違うのか、よく分からなかったが、こことそこには大きなギャップがあるような気がした。

それは硬い言葉で言うと経済格差なんだろうと思う。"そこ"にいた子どもたちの親は結構なお金を稼いでいて、平日の夕方から子どもを連れてでっかいデパートに行く。

日本では幸いまだアメリカほど経済格差が広がっていない。とはいえ資本主義のシステムに乗っかって色々なものが忙しなく動いている。だいたいやり玉に挙げられるのは広告だ。脱毛しろ!英会話をしろ!育毛しろ!転職しろ!といったメッセージがばんばんばんと胸を突く。

とはいえ、あの人に送る花束も親にあげる日本酒も昨日アマゾンで注文したエッセイも全部、資本主義のシステムによって僕らの間を巡り巡る。

ここでまた同じ結論にたどり着く。

血の通った関係だ。

外側のシステムは生き物のように変化する。政治的な状況もいっぺんに変わる。自然災害は変えられない爪痕を残す。そんな世界で大切にしたいのは小さくてほんのちょっとした刺激で崩れてしまう血の通った関係だ。

資本主義は誰も資本主義とは何かよくわからないくらいに拡大し、複雑化している。自分の執着心を広告のせいにして、資本主義のせいにすることなんて簡単だ。だから、もはやそんなものに善悪を求めない。ただそこにあるだけのものだ。

それより血の通った関係、相容れないかもしれない他人との関係。一番頼りなくて一番頼れるものに目を向ける。

きっともうマレコン通りにはダンスをしてTikTokにアップロードする10代やインスタ映えのために夕日を撮影する人がいっぱいなんだと思う。とはいえ、それでも消えない人間の泥臭さがまだキューバには充満しているだろうし、日本のデパートの全フロアにも充満している。

今日もその臭いを肺いっぱいに吸う。

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