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「逃げていい」の責任の所在
一度、書こうとして挫折したことがここ↑に書いてあったので、共有して記事にする。
「逃げていい」という文言に関しては「逃げることにも体力がいるから、逃げることだって楽ではない」みたいな要旨の記事を前に書いた。それは逃げた人間に集中した話だ。
この記事で書くことは「逃げていい」と言う側の人間の話だ。
「逃げていい」が流行して得するのは誰だろうか。それは鈍感でチャレンジ精神もりもりの努力野郎じゃないだろうか。積極的に逃げる人間が増え、レッドオーシャンが青々とするのを待っている人間がいるんじゃないか。まあ、きっとその考えはあまりにもネガティヴで歪んだ考え方だろうけれど、「逃げていい」と言って、僕も逃げてきたんでと言う人間には少し警戒した方がいいのではないかと思う。
逃げて逃げて、でもその人には才能があったので、新しい場所で成果を掴みました。
そんな人間の「逃げていい」に目をうるうるさせて感銘を受けて大丈夫だろうか。
逃げて結果的に南国リゾートにたどり着いたやつバイアスもあるぞ。
こんなことを前に書いた記事に書いてあった。逃げた先でどうなるかはその人の能力だけじゃなく偶然も関係してくる。だから容易に「逃げていい」を信じてはいけない。
「逃げる」は行動の一つだ。その行動をあなたは「逃げる」だと捉えているのか「戦う」だと捉えているのか、ただそれだけの違いだ。行動の一つとしての逃げなのだから、「逃げていい」ではなく、「別の行動をしてもいい」と言っても良いはずだけれど、「逃げていい」と言われる。それは僕らが普段戦っているからだ。
この「逃げていい」という文言は戦いの場を強く想定した言葉遣いだ。この世の中は戦いで、人間関係も戦いで、学校も戦いで、仕事も戦い。それはなぜなのか、それは競争そして新自由主義のせいだ、と言い切るのはあまりにも考えが浅いのでそうは言わないけれど、戦いを生活の場で繰り広げているのは実際そうなのではないかと思う。
でも別に戦わなくてもいい。ファッションセンス足立区大会で勝ったってただのお山の大将だ。僕はそんなものに興味はない。だから、ただ生活を楽しむということが良いのではないかと思う。ファッションセンスは誰かに勝つための武器じゃなくて、服を選ぶ基準だ。好きな音楽も人間関係も、誰かと張り合うための手段にする必要はない。
だから、僕的には「逃げていい」よりも「戦わなくていい」だ。あなたが戦うのをやめたとして、もちろん僕は責任を取らないけど。
正直、上で共有した記事とはあまり関係のない内容になってしまった気がするけれど、スッキリしたので良し。
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