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アロイス君との出会い

2018年12月のウィーン旅行では、シューベルトの最後の家に行ってみたいと思っていました。シューベルトはウィーンで生まれ、生涯のほとんどをウィーンで過ごし、31歳の時にウィーンでその短い生涯を終えました。彼の生家と最後の家は博物館となっていますが、生家に行くことは全く考えず、なぜか最後の家に行かなくては、と思っていました。

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1828年9月1日、体調が悪化したシューベルトはお兄さんのアパートに引っ越します。3部屋の小さなアパートで、最初の部屋にはシューベルトが使っていた棚やシューベルトの葬式のレシート等があり、真ん中の部屋にはピアノが置いてありました。一番奥の部屋がシューベルトが亡くなった部屋でした。ほかのアパートの部屋は一般の住居やオフィスとして現在でも使われています。

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最初の部屋に入っていろいろ見ていると、真ん中の部屋でピアノを弾いている人がいる。なんだろうと思っていると、きれいな声でシューベルトの「野ばら」を歌う人がいたのです。

薄暗い部屋の中に立つその人を見て、人間ではないみたい、と思ってしまいました。圧倒的な透明感にやさしい歌声。髪の毛は短いけど、男の人か女の人かわからない。とても不思議な人でした。

レフ板を持っている女性が私に気づき、「遠慮せず、いろいろ見て構わないわよ」と言ってくれたのですが、その歌声に心を奪われて動けなくなってしまいました。

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レフ板の女性は「Alois Mühlbacher」という名前を紙に書いてくれました。彼はザンクトフローリアン少年合唱団でボーイソプラノとして活躍し、現在は大学生でカウンタテナーとして活躍の場を広げているとのこと。この日はシューベルトの歌曲をレコーディングしている等、教えてくれました。ピアノを弾いていたのは、ザンクトフローリアン少年合唱団の音楽監督Franz Farnberger先生でした。なお、この女性は、このレコーディングのプロデューサーだったようです。

あとで調べたところ、アロイス・ミュールバッハー(ミュールバッヒャー)さんは、世界的指揮者のフランツ=ウェルザー・メストに「自分の人生の中でこんなボーイソプラノは聞いたことがない」と言わしめ、新日本フィルと「ペレアスとメリザンド」のイニョルド役で共演したこともありました。

この時、私の他に訪問していたご家族がいたのですが、すぐに帰ってしまい、しばらく私一人でそのレコーディングを見ていました。その後2回ほどシューベルトの最後の家に行ったのですが、開館日が水曜と木曜だけということもあって、訪問者は結構あったのです。神様が私のために用意してくださった特別な時間のように思いました。あまりの偶然に心が震えました。神様はこれを通して何を私に伝えたいのか。。。

アロイス君が歌うAve Mariaは、純粋で慈愛に富み、今まで聞いた中で一番美しいAve Mariaだと思いました。

さて、アロイス君はザンクトフローリアン少年合唱団のメンバーですが(boy's choirとman choirがあります)、ザンクトフローリアンといえば、音楽好きなら「ブルックナーの墓がある場所」「ブルックナーオルガン」で有名な修道院としてご存じの方も多いと思います。アロイス君に会った時には、ブルックナーもザンクトフローリアンもよく知らなかった私ですが、その後、半年のうちにザンクトフローリアン修道院に5回行き、修道院に5泊もすることになるとは、夢にも思っていませんでした。