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合コンで出会った人をハッピーエンドに引きずり込もうとして失敗したはなし その1



2011年、冬。 私は横浜駅にほど近い多国籍料理屋の前で立ちすくんでいました。20代半ばにもなって、生まれて初めて、合コンに参加しようと拳を握り締めていたんです。

結婚したいけど婚活はしたくない。でも結婚したいなら行動しなくては。そうやって悶々としていたところに、その合コンの誘いは舞い込んできました。それまでも何回か誘われたことはありましたが、もちろんすべて断っていきました。私なんかが恋人探しを目的とする集いに参加するなんて、場違いすぎるので。

しかしこのとき、結婚をゴールに据えた私は、勇気を振り絞って参加してみることを決めたのでした。だってほら、誘われた時点で、幹事の人には合コンに耐えうる人間だと認定されているわけだし。それにほら、一度行っておけば、友人から合コンの話題を振られても、目が泳がなくて済むだろうし。


そうして12月の冷たい夜、合コンのために存在するかのような薄暗い多国籍料理屋で、その集いは開催されたのです。

男女4対4で、男性はみんな30歳前半。女性は30代中盤。その中に25歳の私がひとり。これ、普通なら、勝算があるということになるんですよね。しかし当時の私は、「私みたいな女が参加しちゃったことで、男性陣のモチベーションが下がらないといいな」と、ずっと考えておりました。

よそよそしいドリンクの注文、乾杯までのぎこちない会話。当たり障りのない自己紹介と、笑うべき場所で発せられる正しい笑い。テレビのイメージ映像で見る合コンそのものが、目の前で繰り広げられました。うわ、これ合コンだ、間違いなく合コンだよ。私合コンに参加しちゃってるよ。いやー知り合いにバレたらどうしよう、恥ずかしい。あー顔から火が出そう。男性陣が、仕事や趣味の話を披露しているあいだ、私はそうやってひとり身悶えながら、気難しい上司に向けるような「わあすごーい」を笑顔で連発していました。

そんな中、私の正面に座っている男性は、あまり口を利かず、居心地が悪そうに笑っていました。私より50キロは重いと思われる大きな体に、中学生の男子みたいな黒いTシャツと無地のYシャツと着こんで、窮屈そうな席におさまっています。たまに口に出した言葉が、誰かの自慢話にかき消されても、ニコニコと無害な笑顔を浮かべていました。


ああ、この人、こういう場に慣れてないんだろうな。さっき合コン初めてって言ってたし。もともと人見知りなのかも。初めはそんなことを思っていましたが、あまりにも口を開かないので、次第にイライラしてきます。

えっと、あなた、なにやってるんですか。もっと話しなさいよ。自分のことを。これ合コンなんだし。なにしにきたんですかね。人の話に笑っている場合じゃないよ。ねえ。もっと自分をアピールしなさいよ、ちょっと!!

もちろん口に出しては言いません。でも、ダメ出ししたい気持ちで身体がウズウズします。それは、まるで自信のない自分を見ているようだったから…ではありません。真逆です。私が苛立っていたのは、「私と違って、あなたなら結婚できるのに」という気持ちからでした。



当時の私は、「自分なんかが結婚できるわけない」と思いながら、周りのモテない人に対して仲間意識を抱くことは皆無でした。そもそも当時から現在に至るまで、誰かに対して「この人結婚できないだろうな」と思うことはほとんどありません。

だって、モテようがモテなかろうが、性格が良かろうが悪かろうが、世の中ではあらゆる人たちが結婚しているじゃないですか。そんなこと、私だって知っています。だから合コンで目の前に座っている男性も、本気で結婚しようと思えばどこかに相手がいるだろう、と冷静に思っていました。ただ相手に出会えていないだけ、超イケメンに比べたら労力が必要だというだけで。だから、もっと頑張りなよ、と苛立っていたんです。

そのくせ、自分だけは絶対に結婚できないと思っているんだから、めちゃくちゃ勝手ですよね。世の中に、絶対に結婚できない人なんていないことも、自分もその人間の一人であることも、事実として知っているくせに。
でもね、これまで積み重ねてきた経験や思考回路が、自分に「あなたは結婚できませんよ」と訴えかけてくるんです。客観的な事実よりも、そのメッセージのほうが、ずっと強烈で説得力があって、自分を逃がしてはくれませんでした。

だから私は、「結婚なんて誰にでもできるよ」という発言を耳にするたびにはらわたが煮えくり返っていたのに、自分も全人類に対して「あなたたちは結婚できるのに」と思っていたんです。



そして、合コンで目の前に座る男性は、自分ではありません。他人です。彼の自意識なんて、私の知ったことではない。私の我慢は限界を超え、隙あらばこの人を質問攻めにするという、お節介極まりない行為をひたすら繰り出しました。

その結果、聞き取り調査と化した会話の中でわかったことは、その人が海沿いの造船所で働いているということ、高校を卒業して秋田を出てきてからずっとその仕事をしていること、だから10年以上その造船所の近くに住んでいること、竣工した船が初めて海へ出るときは計器の並んだ船室の中でじっとしているというようなことでした。

彼の仕事の話は、言葉は拙くても長年積み重ねてきた経験に裏打ちされていて、心躍らされるものばかりでした。まるで、竣工した船がドッグから海へ初めて出るときの景色が、薄暗い多国籍料理屋にぱーっと広がっていくような感じ。気が付けば私たちは二人で話し込んでいて、彼は、いつも職場の男性とおばちゃんにしか会わないから自分の仕事のことを聞かれるなんて不思議な感じだ、と笑っていました。私はそう言われて、ああこれ喜んでもらえたのかな、今日来てよかったかもしれないなと、すっかり満足してしまいました。



その日の合コンはカラオケを経て解散になり、翌日にはその人からメールが届きました。昨日はたくさんお話しできて楽しかったです、というシンプルなメッセージ。私は、こちらも楽しかったですという返信をして、数日後には、年明けに初詣に行きませんかと誘われました。

まあそうなりますよね。そうなると思っていました。知り合いに女性がほとんどいない状態で、あれだけ会話がはずんだら、私がどんな女であれ、一応メールくらいはしてみるでしょう。周りの男性陣から、デートに誘うよう、けしかけられるであろうことも目に浮かびます。

そして私も、そういう理由で誘われたとわかっていても、悪い気はしませんでした。たとえどんな動機であれ、私と付き合いたいという人がこの世に存在するなら、それはただの奇跡だと思っていたので。



その年の12月23日から25日は三連休でした。暦による、独り者へのあからさまな嫌がらせです。私は22日の夜に仕事が終わると、成城石井でターキーレッグとスモークサーモンと各種チーズを調達し、デパ地下ではホールケーキを購入して、スーパーの袋を両腕に食い込ませながら帰宅しました。そしてそこから3日間、一度も外の空気を吸わないままワンルームで過ごすことに成功しました。

学生時代のクリスマス計4回をケーキ屋のアルバイトでコンプリートしていた私は、こんな三連休にうっかり街に繰り出して、カップルや家族連れの笑顔を目にするような愚かな人間ではありません。友人からクリスマス女子会のお誘いが来たのですが、「予定が入っちゃったの、ごめん」と嘘をついて断りました。つい油断して足を運んで、モテる女性陣の「結婚とかまだいいよねー」のセリフに、「うんそうだよねー」と相槌を打って自己嫌悪に陥るのもまた億劫だったのです。

その点、一人暮らしは最高の環境です。私がクリスマスに一人で過ごしていることを、誰も知らない。目覚ましをかけずにしこたま眠って、録画したテレビ番組を見て、お腹がすいたら辛ラーメンを煮込みます。ホールケーキを23日に4分の1食べて、24日に3分の1食べると、25日にはどれだけ残っていると思いますか。そう、12分の5です。


こうして無事にクリスマスが過ぎ、仕事を納めると、大みそかがやってきました。小さなテレビに映る大トリのSMAPを見ながら、ほんの少し涙ぐみ、今年はいろんなことがあったなあとしみじみ振り返ったことを覚えています。無印良品で買ってきたスルメイカとCCレモンを交互に口にふくんで、そういえば年が明けたら初詣だなあと思いながら、なんだか悪くない気持ちでその年を越したのでした。




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