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合コンで出会った人をハッピーエンドに引きずり込もうとして失敗したはなし その2


25歳の冬、私は朝からどんよりと曇った横須賀駅のロータリーで、一人の男性と待ち合わせをしていました。その一か月ほど前、20代半ばにして初めて合コンに参加した私は、そこで出会った冴えない男性とデートの約束をしていたのでした。


その人は大きな紺色の車でやってきて、運転席から大きな身体を乗り出して助手席のドアを開けてくれました。青いTシャツに青いYシャツを重ねたコーディネートに、おおデートでも中学生スタイルですか、いや私とデートしてくれるだけでもありがたいんですけどね、とぶつぶつ思いながら、右足にぐっと重心をかけて車に乗り込みます。そして、小さな水族館に立ち寄ってからご当地ラーメンを食べてから、大きな神社まで初詣に向かいました。


運転席に座る彼は、遠慮がちで控えめな態度でしたが、合コンで緊張していたときに比べれば饒舌でした。
この車、一人で乗るには大きいんだけどね、どうしてもスノーボードの道具を全部乗っけられる車がほしかったんだ。毎年シーズンになると、職場の後輩や先輩を乗せて雪山に行くのが楽しみでさ。


そんな彼との会話は、知らないことの詰まった箱を一つずつ開けていくように少しずつ距離を縮めていくもので、笑い転げるようなものではなかったけれど、時間を感じさせないほどには楽しいものでした。


彼が18で秋田の高校を卒業して、すぐにひとりで横須賀までやってきたこと。それから10年以上、ずっと同じ造船所で技術職として働いていること。実家には年に1回帰れればいいほうで、姪っ子に会うのが楽しみだということ。この10年ほど、職場以外に人と知り合う機会がなく、周りは男性かおばちゃんしかいないんだということ。日が暮れるころ、私たちはずいぶんとお互いのことに詳しくなっていました。


いま、あの日のことを思い出そうとしても、小雨がパラつく中で凍えながら見たイルカも、神社の屋台で食べたものが何だったのかも、ちっとも思い出せません。ただ、あの人と話しながら、助手席から見下ろした横須賀の道路の色を、今でもよく覚えています。なんだかんだ、私はとても嬉しかったんですよ。自分のためにきちんと整理整頓された車内、飽きないよう計画された行程、こちらの様子を窺う不安そうな横顔。それらは確かに、私がずっと飢えていたものの一つだったので。



そして車を降りる前、次は二人でスノーボードに行こうと約束をしました。私が、スキーもスノーボードも一度も行ったことがない、運動音痴で足を引っ張ってしまうから友達と気軽に行けないんだと話すと、じゃあ深夜に車で向かえば日帰りで行けるし、初めてならちゃんと教えるから一緒に行こう、と誘ってくれたのでした。

私はあっさり、その誘いを承諾しました。2回目のデートにしてはがっつりすぎるかな、でも泊まりじゃなくて日帰りだし、今日楽しかったからきっとまた楽しいだろうし。ずっと誰かにスノーボード教わりたかったし。




そして、翌月の週末。深夜2時ぴったりに、当時住んでいたアパートまで迎えに来てくれた紺色の車に乗り込んで、日本海にほど近いスキー場へと向かいました。

車の中では、お互いの職場や家族の話をして、時折無言になって、ぼけっとしながら音楽を聴いて、また話して、その心地よい繰り返しが何時間もつづきました。途中で、曇ったガラス越しに、やけに眩しい明かりが見えました。あれは新幹線の駅だよと言うので、カーナビの画面を見たら、近くのスキー場とまったく同じ名前の駅が表示されています。

えーびっくり、こんな商業的な名前が新幹線の駅名だなんて。なんだか権力を感じますね、あの舞浜駅ですらディズニーランド駅じゃないのに、一体どんなからくりがあるんですかね。そんなどうでもいいことをペラペラと口に出していたら、あはは面白いね、エミコちゃんみたいな人に出会ったのは初めてだよ、と言われました。

その瞬間、妙に淋しい気持ちになりました。そんなことを言われても私はちっとも面白くないし、こんな話くらいで私を面白いと思うなんて、いったいどんな人たちに囲まれて生きているんだろう。突然ふつふつと心の中にわいてきた悪態を押し殺しながらカーナビをにらみつけても、窓に映る彼は楽しそうに笑っていました。




スキー場に到着すると、真っ青な空と、しゃきっとした空気がお腹の底まで染みわたってきて、本当に来てよかったなあという気持ちで満たされました。そこからスキーウェアに着替えて、スノーボードを抱えて、手取り足取りのレクチャーが始まります。分厚いウェア越しに何度も手を取ってもらい、身体を支えられ、この人と会うのまだ3回目なんだよなあと思いながら、私はひたすら転びまくっていました。しかし、彼の教え方や支え方は驚くほど手慣れていて、私が極度の運動音痴っぷりを発揮しても、苛立つ様子はありませんでした。

いつも後輩たちに教えてるから大丈夫、ゆっくりがんばって、と笑う彼を見て、ああ、初めて会ったときは自信のなさそうな人だと思っていたけど、きっと職場では生き生きと働いていて、同僚や後輩からとても信頼されている人なんだろうなあ、としみじみ思いました。

日が沈む前にスキー場を後にして、日帰り温泉に寄ってから、ほかほかと温まった身体を助手席に押し込みました。そのころには辺り一面真っ暗で眠気はピーク、目を開けているだけで精一杯。帰り道、彼も運転しながら寝てしまうんじゃないかとハラハラしながら、ひたすら黒いパッケージのガムの銀紙を剥いで渡しつづけました。


話のネタが尽きると、ラジオの妙に明るい音だけが車の中に響きます。まずい、このままだと、彼のまぶたが閉じてしまう。そうしたら私たちは、この高速道路の上で一緒に最期を迎えることになるかもしれない。それはさすがに嫌だ、何か話そう。そう思った私はとっさに、これまで恋愛したことはあったんですか、と口に出しました。

すると、彼はしばらく黙ったあと、ちょっと笑って、高校の時に片思いしていた女の子がいたんだけどね、それだけ、と言いました。実は、こっちに来てからもずっと好きだったけど、同窓会に行ったら別の男と結婚していたんだよね。



え。なんだそれ。私は言葉を失いました。
片思いして、会わなくなって就職してからもずっと好きでって、なにそれ。少女漫画かよ。
なんだか身体中の力が抜けてしまいました。30歳を過ぎたこの人にとって、恋愛はそれがすべてなのか。いや、うすうす気づいてはいたんだけど。それにしても。あったかい身体が冷めていって、さらに重くなるのを感じます。ああ、一日長かったな。もう疲れた。一刻も早く、あったかい布団にくるまって眠りたい。そのあとは何も言葉を発する気にならず、長い夜道の末に車がアパートの前に着いたときには、心底ほっとしました。






それから、その人には一度も会っていません。
しばらくメールが来て、何度もデートに誘われたけれど、途中からどうしても返信できなくなりました。



自分でもよくわからなかったんですよ。なんで帰り道の車中で、自分の熱が急に冷めていってしまったのか。


こんなはずじゃなかったんです。とっても恥ずかしいんですが、スノーボードに向かう前、私は部屋の中をきれいに片づけてから家を出ました。さすがに、日帰りで往復運転とスノーボードのレクチャーをさせておいて、帰りに家まで送ってもらったら、家に泊めるしかないだろうと思っていたので。私があのとき、ワンルームの部屋に掃除機を滑らせながら望んでいたのは、これまでモテなかったあの人を、これまたモテなかった自分が見出して幸せになる、超傲慢なハッピーエンドだったんです。


だって、彼はもっと報われてもいいと思いませんか。たった18歳で家族と離れてひとりで関東までやってきて、10年以上も造船所と狭いアパートを往復して、いくつもの船を海に送り出す作業の一部を担ってきたんですよ。きっと、いろんな人たちと長く働く中で、苦労とも喜びともいえない何かをたくさん積み上げてきたでしょう。私みたいな、大学で4年間遊んで社会人になったばかりの小娘よりも、ずっと報われるべき人だと思いました。

でも、彼は職場の知人以外に遊ぶ相手はおらず、おそらく給料は低く、恋愛や結婚をするきっかけすら得られない。そんなの、あまりにも不当じゃありませんか。


当時の私は、社会人になって3年目、キラキラした謳い文句にまみれた就活を経て、その裏にある現実を思い知らされたばかりの頃でした。生きがい、理想の自分、理想の人生、自己実現。あらゆる世の中の歪みを、きらめく言葉と一緒に個人に背負わせようとする社会に心底疲れ果てて、それでもその社会に振り落とされたくなくて、つま先立ちで必死にしがみついてもがいている真っ最中だったんです。


そんな、パンパンにふくれあがった社会への不満も、自分自身への苛立ちも、結婚に辿り着けない悔しさも、この人と一緒に幸せになることで、全部丸ごと帳消しにしてしまいたかったんですよ。



でも、帰り道の車中で、その乏しい恋愛経験を耳にして、やっと彼が生身の人間だったことに気づいたのかもしれません。勝手に憤っているのは私だけで、この人が報われているかどうかを決めるのはこの人自身だということも。


もし、この人とお付き合いをすることになったら。そうしたら、好きだよと言い合って、同じ部屋でコーヒーを飲んで、今日は何を食べようかと話して、いずれは一緒に家を探して家具を買うのか。そうだよな。この人は、私のふくれあがった憤りを解消する道具じゃないもんな。この人は一人の人間で、私とは別の身体で楽しいとか悔しいとか思いながらちゃんと生きていて、結婚って、そんなこの人と一緒に生きていきたいのかという、シンプルな問題だもんな。



そう思ったとき、私はこの人のことを、そういう意味では全然好きじゃないことに気が付きました。一緒に話していて楽しいけど、同じ家に住んで、最近何考えているのかなあと思い合って、年を取っていくことを楽しそうだと思えない。キスだってセックスだってできるだろうけど、お互い慣れていないなか手探りで経験を踏んでいくことを、最高に面白そうじゃんと思えない。

そんな相手と、結婚することなんてできないよな。相手の気持ちに思いを馳せることを楽しみにできないなら、一人で生活するほうが楽しいんだったら、一人でいたほうがいいもんな。



自分でも驚きました。私があんなに望んだ結婚相手の候補が、手の届く一ミリ先にいるのに。結婚がゴールのエミコなのに!!  でも、モテないからこそ、結婚したいと思えない相手に対して、「とりあえず付き合ってみる」という選択肢を取ることはできなかったんです。





しばらくすると、仕事が忙しいのかな、というメールが来ました。それから、誕生日プレゼントだけでも渡したいとか、スノーボードのお返しをしたいとか、そんな文面になりました。私は、そのメールを見るたびに、ものすごく苛立ちました。

なんなんだよ、もう。世の中のカップルや家族は、当たり前のように一つ屋根の下で暮らして、同じごはんを食べて、一緒に眠っているというのに。なんで私たちはどれだけ手を伸ばしても、その当たり前に指先すら届かないんだよ。あの人も私も、確かに存在するはずなのに、二人で車に乗って雪山にまで行ったってあちら側に行くことは出来ないのだと思うと、心底うんざりしました。




せめて、出会ったのが合コンじゃなかったら。学生時代に友人として、あるいは職場で同期として出会っていたら。たまに二人でご飯に行ったりして、少しでも楽しい時間を分け合える関係がつづけられたかもしれないのに。

だって別に、異性の友人と、あの人と、大きな違いがあるわけじゃありません。ただ、出会いの場が、合コンだっただけのこと。友人としてではなく、恋人候補として出会っただけのことなのに、お付き合いする可能性がなくなってしまったら、関係をつづける選択肢はないような気がしました。


そうか、合コンって、造船所の話を楽しむためではなく、スノーボードに行く相手を見つけるためでもなく、お付き合いをする対象を見定めるためのイベントだったのか。もしかして、合コンとか婚活とかしている人たちって、いつもこんなゼロかイチかの二択みたいなことを続けているんですか。いや、いくらなんでもしんどすぎやしませんか。就活じゃあるまいし。こんな、望み通りの関係に当てはまる人を捜索しては心をすり減らすようなこと、とてもじゃないけど気持ちが持たない。


もう絶対合コンなんて行かないぞ。そして、絶対に結婚してやる。このぐちゃぐちゃになった自意識を解消してくれる相手じゃなくて、全部ひとりで抱えたままでも一緒に生きていきたいと思える相手と結婚するんだ。

私はそうしてまた、誰にも言えない結婚への決意を一段と固くしたのでした。





しばらくすると連絡は来なくなって、気がつけばあの人のことはすっかり忘れていました。今となっては、名前も覚えていないし、顔も思い出せません。


でも、何年かに一度、テレビ番組やインターネットで造船所の映像を目にすると、必ずあの人のことを思い出します。当時の私にとって、初めての合コンやスノーボードよりも、あの人の存在そのものが、よっぽど大きな事件だったのです。








*前のエピソードはこちら/つづきもこのマガジンにアップします*




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