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10歳、後悔と挑戦の私の話

10歳、私は小学校5年生になった。
その頃、私には好きな男の子がいた。

5年生になってクラス替えで私は再びSちゃんと同じクラスになり、
私のことを嫌いなNちゃんとはクラスが離れてほっとした。


小学校も高学年にもなると、
周囲の子もみんなそれぞれ好きな子の話を囁き始める。

大抵、運動が得意な男の子が人気だった。
特に、足の速い子。

私もSちゃんも例に漏れず運動が得意で活発な男の子のことが好きだった。


いつ頃からかは覚えていないけれど私はSちゃんと交換日記をしていて、
そこではそれぞれが好きな男の子にあだ名をつけて
誰かに見られても大丈夫なように暗号のような形でやり取りをしていた。


Sちゃんは優しくて明るい子だったので男の子からも人気があったので、
Sちゃんと一緒にいる私も男の子と一緒に遊ぶ機会が多くあった。


そのため、Sちゃんの好きな男の子は誰なのか?
という話になったときに他の子から問い詰められるのは私だった。


私は秘密を守って自分が非難されることに耐えられず、
Sちゃんの秘密を他の友達に話してしまったことがある。

私は結局、自分のことしか考えられない子だった。

私のことを信じて話してくれているSちゃんとの約束を守れずに
他の友達への体裁を気にして秘密を話してしまう、口の軽い子だった。


当然、Sちゃんはそのたびに傷ついて時には泣いていたけれど、
私はSちゃんに対して謝りつつも、何度か同じことを繰り返した。

Sちゃんが許してくれるから、優しさに甘えてしまっていた。
今考えると、とても酷いことをしていたと思う。



私は自分に自信を持っている自意識過剰な子だった。


学習塾では英語の成績がとても良く、
全国でも上位者として毎年表彰されていた。

調子に乗せられるがままに英語検定4級を受験する運びになった。

中学校2年生程度のレベルなので別にたいしてすごくはないけれど、
周囲の友達で英検を持っている子はいなかったし
特に勉強せずに余裕を持って合格してしまったので
私の自意識過度合いに拍車をかけてしまった。


また、ピアノの先生からはコンクールを薦められ、
ピアノコンクールにも出場した。

私はピアノ自体は好きだったが細かい練習はあまり乗り気になれず、
ピアノの先生から度々指摘されてもペダルの使い方が上手になれなかった。

そのため、コンクールの批評でもペダルについての指摘ばかりで、
結局良い成績を残すことは出来なかった。


ただ、当時、私の家のピアノのペダルは壊れていたので
あまりちゃんとした練習が出来なかったということもあり、

私は
「そんなこと言われても私の家のピアノだとわからないし、
 個人の感覚の違いもあるし。」
と開き直って特に気にすることはなかった。


私は小学校では自分が1番ピアノが上手だと思っていたし、
「コンクールに出場した私」が既にすごいんだという謎の自信があった。



私の両親は私に何でも挑戦させてくれたし、
私も何でも挑戦することが好きだった。

私は自分に出来ないことはないと思っていたし、
実際基本的に何でも器用に出来た。


今になって思うこととしては、
「自分に自信を持つ」というのはとても大切なことで、
自信から挑戦に繋がり、挑戦から成功体験に繋がっている、ということだ。

そして、子どもの頃の成功体験は
大人になってからの自己肯定感に繋がっているのではないかと思う。


私は小学校の頃に両親や周囲の人から褒められ続けて育ったので
少しだけ自己肯定感が高すぎた部分はあるけれど、
それでも自信が無くて消極的になってしまうよりは
全然良かったのではないかと思う。


私自身、自分の子どもが生まれたら様々なことに挑戦して
抱えきれないほどの経験をしてほしいと思っている。



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