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9歳 何でも自分が1番な私の話

9歳、私は小学4年生になり、元いた小学校に再び転校した。
家の建て替えも完了し、
自分で選んだ壁紙や天井の、自分だけの部屋が出来た。


小学校の友達はみんな何も変わらずに私たち兄弟を迎えてくれた。

私は得意げに島での思い出話を語り、
砂浜で拾ってきた綺麗な貝殻やハカラメの葉を友達に配った。

ハカラメの葉は、その名の通り葉から芽が出てくる。
海外では"Good-luck leaf"(幸運の葉)と呼ばれているらしい。



4年生のクラスでは、SちゃんNちゃんとはクラスが離れてしまい、
私は基本的に他の友達と遊ぶことが多くなっていた。

この頃になって私はようやく
自分がNちゃんから嫌われていることを自覚した。

Nちゃんは常にSちゃんと一緒に行動していて、
廊下ですれ違う時は私のことを睨みながら、

「お前はSちゃんに話しかけるなよ?」

とでも言いたげに足をガンッと強く打ち鳴らし、
私をSちゃんに近づけないように威嚇してきていた。


それまで周囲に恵まれていた私は、
人から悪意を感じるのは生まれて初めての経験だったので
とても鮮明に記憶している。

ただ、当時の私としては、 

私は何もしていないのに何で?
どうしてそこまで理不尽に嫌われないといけないの?

としか思えなかった。

私は自分が全て正しいと思っていたし、
Nちゃんの気持ちまで考えようとはしなかった。

今思い返してみても
Nちゃんに何か嫌われるようなことをした記憶はないけれど、
きっと覚えていないだけで何かしらあったんだと思う。

典型的な、「やった側は覚えていない」というやつ。


幸い、Nちゃんの目の前でSちゃんに関わらなければ
それ以上に害を加えてくることはなかったし、
私はSちゃんとNちゃんがいないことで
クラス内で他に仲の良い友達を作ることが出来た。


また、転校前に習っていたピアノ教室や学習塾にも変化があった。


その頃、母親の友達が自宅でピアノの先生をしていると聞いた私は
それまで通っていたピアノ教室をやめてそっちに通うことにした。

新しい先生は、先生の子供もピアノコンクールで何度も入賞していて、
実績のある頼もしい先生だったし、
負けず嫌いな私は誰よりもピアノが上手くなりたかった。


ピアノの教本はたくさんあるものの、
難易度によってある程度習う順番が決まっている。

新しい先生はそれまで私が使っていた教本を全て飛ばして
一気に難易度をあげた曲を練習させてくれたし、
教本の曲を順番に教えるのではなく、先生が選んだ曲だけを教えて貰った。

私は自分のピアノがどんどん上達していくのが分かり、
私のピアノを褒めてくれる先生にとても懐いていた。


誰が何と言おうと、私はとても真面目で優秀な子どもだった。

学習塾では、国語をやめてからは算数を学んでいたものの、
算数も中学校レベルの教材まで進んでしまい、
やりがいがなくなってきていた。

島での100マス計算の成果なのか、計算が得意で、
小学校の授業中の課題や宿題で出される算数ドリルなどは
誰よりも早く先に進めて終わってしまい、
やることが無くなった私は先生から高学年の教材を渡されて
一人だけ他の問題を解いていたほどだった。

小学校で簡単な英会話の授業があったこともあり、
私は学習塾でも英語の学習をすることにした。

初めて触れる英語の勉強はやりがいがありとても楽しく、
私はどんどん学習を進めていった。


当時の私は勉強が苦ではないどころか、どちらかと言うと好きだった。
勉強すればするほど、褒めて貰えるからだ。

私は何についても親に褒めて貰えることが何よりも嬉しかった。


私は毎朝6時に起きて、1時間ほど英語の勉強をするのが習慣だった。
最初の30分でリスニングや長文読解に取り組み、
後の30分は好きなアニメを見ながら簡単な問題を解いていった。

7時には家族を起こして学校に行く支度をする。
学校から帰って来たら宿題を終わらせ、それから遊びに行った。

そして週に2日は、遊びから早めに帰ってきて学習塾に通っていた。


誰かに強制されたわけではなく、
学習塾の宿題を終わらせつつ放課後に友達とも遊びたい一心で
考えた結果いつの間にか上記の習慣が出来上がっていて、
中学校に上がるまで毎日欠かさず続けていた。


この頃のように朝夜で勉強する習慣をその先もずっと続けていたら
今頃私はもっと違った人生を歩んでいたかもしれないなあ
と、思い返すたびに少しだけ後悔してしまう。

小学生の頃が一番、何でも出来ていた気がする。

当時の私は、無敵だった。

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