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親のウソで彩られた幼少期。



 ウソと聞いて、良い印象を受ける人はあまりいないと思う。

 大人になるにつれてウソをつく理由も多様化しているだろう。詐欺師だっている。どんな理由であれ、ひとつウソをつくと、さらにウソを重ねていかなければならない。ひとつでもつじつまの合わないことが見つかると、一気にれ落ちていく。
 たとえ、相手を傷つけないためにとついたウソでも、結果として相手を傷つけてしまう可能性はあるということだ。どんなときも、どんな相手とも、正直に向き合えたら。

 今回は幼少期に親がついていたウソで、わたしの日常が彩られていた話をしよう。


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 最寄り駅まで7Km、1~2時間おきに2車両のがら空きなワンマンカーがやってくる。人身事故より、動物と衝突することが多い。バスは1日数本、乗車人数は未知数。そんな、東北の小さな田舎町がわたしのふるさと。
 実家は農家わりと大きな農家だった。食べ物の好き嫌いはほとんどなく、すくすく成長した。

 母が自転車の後ろにのせて連れて行ってくれる、小さな公園が大好きだったし、近所の散歩も大好きだった。特に大好きだったのは、家の近くのT字路に立っているカーブミラー。母は、それを”魔法の鏡”と呼んで、わたしに聞かせた。

 「見て、エマ。あれは魔法の鏡だよ。こっちに立っても、こっちに立ってもエマが見えるね。すごいでしょう?」

 そりゃそうだ。見通しの悪い場所に設置されるものなのだから、あらゆる場所に存在する物も見えなければ。と、いまは思うのだけど、当時はそれだけで喜んでいた。わたしがぐずると、そこに連れて行って、機嫌が直るまで魔法の鏡と遊んでくれた。
 わたしには、2歳と3歳離れた妹がいる。ケンカも多かったけれど、妹がかわいくてよく面倒を見ていた。4歳や5歳くらいのとき、妹たちがぐずると魔法の鏡に行こうと手を引いて、母がしてくれたように泣き止むまで遊んだ。
 成人して3人でお酒を飲んだときに、この話をして3人で泣いた。チェーン居酒屋で、カーブミラーの話で泣く女たちという、異様な光景がうまれたのは言うまでもない。

 同じような話だと、風力発電は人力だと思っていた。近くに海のない環境で育ったので、1年に数回しかあの大きな風車を見る機会がなかった。おそらく、メンテナンスの時とかに開かれる小さな扉。”あの中でバイトの人が自転車をこいでる”と教えられた。風向き等で回っていない風車を見つけると、あのプロペラは休憩時間と言われた。
 海沿いの街に移り住んで8年目。風車は見慣れた。思い出は色あせないまま。

 親として、正しい知識、正しい情報を子供に与えるべきとか、そういうことは言わないでほしい。わたしは、こういう親の元で成長できてとても楽しかったから。成長に合わせて、正しい知識も自分で身につけた。
 きっと、自分が親になったとき、子供に同じことをすると思う。小さなウソをついた後は、一緒に図書館に行って、正しい知識の見つけ方を教えたい。


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 ウソの話でもうひとつ思い出すのが、小学校の道徳の時間。教材は忘れてしまった。”人はいろんな場面でウソをつきます。あなたはどんな場面でウソをつきますか?”という問いかけがあった。悪いことをしたとき、怒られたくないとき、秘密があるときなど、いかにも子供が答えそうな回答ばかりが挙げられていた。虚言癖があって少し苦手だったクラスメイトが、”親に心配をかけたくないとき”と言ったのが衝撃だったからだ。彼女はどんな大人になっているだろうか。

 きょうも読んでくれてありがとうございました。またね。



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