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これは”差別”ですか。




 勇気ある人たちが上げたひとことをきっかけに社会が動き出すことがある。良い方にも、悪い方にも。良い方向へ動き出せたならいいのだけど、炎上や、誹謗・中傷など、声を上げた本人やその意見を支持する人たちに、刃が向いてしまうと問題は最初よりも大きくなることがある。

 平等って、なんだろう。”差別”と、”区別”は違うものなんだろうけど、自分と違うことを見つけて手を差し伸べる、その行動は支援の手ではあるけれど、相手を弱者として”差別”していることにはならないだろうか。相手を対等な人間というくくりで見ていたら、声を上げるまで待つものなのでは。だけど、それでは相手の不自由さに気づくことのできない、思いやりのない、心の不自由な人間になってしまうだろうか。なんて、そんなことを永遠にぐるぐる考えてしまうので、この記事を。



『37セカンズ』

 「37秒だったんです。わたしが生まれてきた時、息をしていなかった時間。」
 生まれたときに37秒息をしていなかったことで、身体に障がいを抱えてしまった主人公のユマ。親友の漫画家のゴーストライターをしながら生活している。母親は超がつく過保護。ユマは、独り立ちするために、出版社へ自作の漫画を持ち込むが、編集長に「経験が少ない作家に良い作品は描けない」と一蹴されてしまう。その出来事をきっかけに、自ら世界を切り拓いていく。

 障がいがあるというだけで、社会から切り離されてしまう人はけっこう多いと思うのだけど、それが自分の意思に反したもので、周囲の人が影響している場合はかなり厄介だと思う。このお話の中だったら、過保護な母親と、「親友でしょ」とユマを縛る親友の存在。ユマを縛っていたふたりは、彼女を”ひとりでは何もできない”と思い込んでしまっていた。身体障がいのある人と関わるとき、その人の持てる力を生かすことはとても大切なこと(医療現場では時間に追われていること、患者さん自身が手伝ってもらった方が楽だからと放棄してしまうことで、力が失われてしまうこともありますが…)。相手の持てる力を見くびってはいけない。
 ユマを縛る2人を振り切って、信頼できる人を見つけて、彼女は海をも渡った。その人の本当の想い、聞かないことには始まらないけど、制限するのはいつも障がいのない人だということを忘れてはいけない。


『最強のふたり』

 車椅子の富豪フィリップと、その介護者になったスラム街出身の黒人青年ドリス。2人は性格も、生活も真逆。ぶつかり合いながらも、互いに歩み寄り、よき友人になっていく。

 これは、ほんとに見てよかった。全人類におすすめさせてもらってもいいですか。雇い・雇われの関係を超えた友情。入りから、エンディングまで何もかもが最高すぎたんだ。
 無遠慮に抱き上げて移動させたり、麻痺のある足に熱い湯をかけてみたり、無配慮ジョークを言って場を凍らせたり、映画の中では信じられない場面たくさんあるのだけど、フィリップにとってはそういう無遠慮さや、良くも悪くもすべての人に平等に接するドリスの存在は心地の良かったのかも。きっとわたしは、ドリスと同じように本当の意味ですべての人に平等になんてできないのかもしれないけれど、彼の人間性はかなり興味を引くものだった。


『こんな夜更けにバナナかよ』

 体が不自由な鹿野さんは、病院を飛び出して自分で集めたボランティアや、両親に支えられながら、風変りな自立生活を送っていた。夜中に突然「バナナが食べたい!」と言い出すなど、いつも王様のような超わがままぶり。しかし、自分自身に素直に生きる彼はどこか憎めない愛される存在だった。

 「なんて人だ!とんでもない!」と思う人もいるだろうけれど、実際にこういう人も多いんですよ、この病気の人たち。自分のもともとの生活リズムがあって、ある日発症した人も、小さい頃から病気を抱えていて、両親が家でなんでもお世話をしてくれていた場合も。”自分ひとりでは生活できない、でも、それを崩すのは嫌だ”というような。きっとその人も、ここへたどり着くまでに、いろんなジレンマを抱えてやっとたどり着いたとのだろうとは思う。療養環境が自宅以外の場合、集団生活の場にもなるので、希望は叶えたいけれど、少しくらい譲歩してほしいという思いもある。理不尽にキレられることだってあるし、暴言や暴力を受けることだってあるけれど、医療者・介助者はそれをすることは許されない。ただ耐えるのです。でも、この映画の中でボランティアの美咲ちゃんは「障がいがあったらそんなにエラいの?」みたいなことを言ってくれるんです。気持ちよかった。笑いあり、涙ありの120分になること間違いなしです。



 結局、今回の記事でわたしが伝えたかったのは何だったのか、自分でもちょっとわからなくなってしまいました。けど、この記事を読んだ、どこかのあなたが、自分と違う人少し寛容な心を持って接することができるようになって、自分の存在が尊いものだと気づくことができるようになったら嬉しいです。

 最後の映画に関して、現場にいる者の愚痴めいたものが混ざっていますし、語るにはもう少し時間が必要になってしまうので、優しくスルーしてくいただけると幸いです。1年くらい前の記事になりますが、看護学生~看護師のわたしの一部を除ける記事を引用しておきます。

 きょうも読んでくれてありがとうございます。またね。





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