あなたは月が好きだろうか。
薄雲のかかった空に、いつもより明るめのお月さんが浮かんでいて、その光は海にまで届いて、遠くに見える船の明かりよりも強く海を照らしていた。
夏目漱石さんへ。
あなたのおかげで、月が綺麗であることを人に伝えることをためらってしまうようになりました。
でも、考えてみたところ、月が綺麗だと伝えたい相手は、自分にとってどうでもいい相手なわけないのだから、恋愛マスターだったのかもしれませんね。
わたしの場合、恋人には「(恋人)!ちょっと、お外出てみなさいよ。きょう、お月さんきれいよ!」とちょけて、「おかんみたいなこと、言ってくんなよ」とツッコまれておしまいなんですけどね。(「月なんて見えないわ!」なんて、返されないだけマシなのかもしれない)
ところで、
みなさんは、自分の好きなもの、こと、人について、好きな相手と共有したい派ですか?
わたしはしたい派。ただし、そこには理解されなくてもいいから、否定しないでほしいという思いはあります。
あるとき、「わたしは共有したくないです。自分がすごく好きな物を、相手が同じように好きと思ってくれなかったとき、自分がとても悲しいと思うから。だから、本当に好きな物は相手とは共有しません」と言っている人がいて、そういう考えの人もいるのかと、納得。
でも、やっぱり自分の好きを自分だけで完結させてしまうのって、なんだかどうしても寂しく感じてしまうの。
なんで、こう思うんだろうなって、考えたんですけど…
小学生の頃、字を覚えたてのわたしは、文字を書くことが楽しくて楽しくて、仕方なかったわけです。そんなわけで、毎日無地の自由帳に「きょうのきゅうしょくお(を)いいます。」から始まる日記をつけていたんですよね。学校に行っている間に、お母さんがそれを読んで返事をくれて、それがすごく好きだったんです。
完全にこれだね。
「そうだったんだね」ただそれだけでいいから、わたしの話を聞いてほしくてたまらないのです。(でもさ、そのただ相槌を打つだけってのが難しいんだよね)
でもね、わたしは「そうだったんだね」にとどまらず、余計に何でもかんでもたくさん話過ぎてしまう派なので、自分ができないことを相手に求めるのもどうなのかというところではありますけどね。どうぞ、お許しください。
結局、わたしは何が言いたかったのかな。わたしの見た景色、感じたこと、好きな人ともっと共有したいし、もっとたくさんはなしたいなって、そういうことだったかも。
みんなも、好きな人とたくさんおはなししようね。
終着点を見失った私の話は長引きますので、きょうはこの辺で。
きょうも、読んでくれてありがとうございます。またね。
わたしのペースで、のんびり頑張ります。よかったら応援もよろしくお願いします。