見出し画像

日記:2024年6月7日 晴れ

・通院日につきお休み。本当に偶然(忘れていたため)だったが、「ぼっち・ざ・ろっく!」の劇場再編集版の公開日と重なっていたので、先にそちらを拝見する事とした。当代きってのバンドアニメとして一世を風靡しただけの事はあり、平日午前にも関わらず劇場は盛況だ。こうなると直近ではウマ娘が「4DX厩舎」などと揶揄されていただけにオタクの臭害が懸念されたが、幸運にも俺の両隣は空席だったのでストレスフリーでの鑑賞が叶った。

・今回はセリフの全編新録や新規カット(というよりは再編集にあたっての描き直しみたいな感じだが)などの変更点は見られつつも、内容そのものには大きな改変も見られなかったため、ネタバレの配慮は特になくそのまま感想に入ろうと思う。気になる人はブラウザバック推奨。

・結論から述べると、まず今回は誰がメガホンを取ったとしても大同小異で、同じような構成になるだろうとの身も蓋もない感想に終始する。シーンの取捨選択やら何やら、とにかく「無難」のひと言だ。それは即ち非の打ち所がないと評価出来るのだが、その事に関して個人的にはよく出来た映画である事への感心より、むしろ「ぼっち・ざ・ろっく!」という作品が凡庸なまでに真面目なバンドアニメになってしまった事への悲嘆の方が勝ってしまった。

・音楽シーンに明るいフォロワーは昨今の「結束バンド」のムーブメントに対する評価として、劇中では発展途上のロックバンドであるにも関わらず、投下される資本が巨大になりすぎるあまり、実像と反するものだけが独り歩きしている事への憂いを漏らしていた。言わんとしていることには概ね納得出来る。もとよりロックンロールと資本主義の咬み合わせの悪さなどは改めて説くまでもない事だろう。俺だって結束バンドの面々がバイトルの宣伝動画など出した時は内心、血反吐を吐く思いであった。

・ただ一方で、アイマスを始めとしていわゆる「2次元アイドル」のライブを少なからず嗜んでいる身としては、あくまで作品と現実世界の間の乖離はさほど気にならない。むしろ離れているがゆえに寄り添おうとする事で、新たに生まれる感動も少なからずあるという事を知っている。ゆえに「結束バンド」の実態がたとえ長谷川育美のワンマンライブであったとしても、それで盛り上がる事自体にはまだしも好意的である。(もっとも音楽ファンにとってその光景がどのように映るかは想像も及ばないが)

・その上で、今回の劇場再編集が、ただでさえ原作からマイルド気味の尖った日常パートをほぼほぼ圧縮または割愛し、純度の高いガールズバンドアニメの方角に舵を切ったという事実に対しては、かなり堪え難いものがあった。全12話の前後編なのだから、どの辺りで区切りがつくかなど素人にでも容易に予想できるため言ってしまうが、今回は8話の台風ライブまで進行した。が、そこに至るまでの日常パートの多くは、挿入歌としてシングルのB面だった「ひとりぼっち東京」などをバックにダイジェストで適宜省略しつつ、メンバーが後藤家を訪れる第7話に至っては、丸々1話分ばっさりカットの憂き目に遭っていた。

・冒頭にも述べたが、あくまで取捨選択としては極めて合理的であると思う。極端な話、俺がこの作品に対して責任ある立場だったとしても、そのような方向で進めていただろう。どうしても尺の都合というものがあるし、その方がより需要にも即している。しかし、俺が真にこのアニメーションに見出した良さは、単に出来が良いだけの演奏パートではなく、むしろ後藤ひとりを筆頭としたバンドメンバーの奇行と妄想・妄言を描くにあたって凝らされる、前衛的な創意工夫の数々にあるのではなかったか。その意味で今回の映画はどうにも綺麗すぎるというか、尖った部分が軒並み漂白されているせいで、資本におもねったとまで言わずとも、肝心のロックである必要性はまったく伝わってこなかったと評せざるを得ない。そしてその事は俺にとって、現実における熱狂との乖離以上に、原作との深刻な断絶に思えてならなかった。面白いとか出来が良いとか以前に、「これでいいのか?」という感じである。きっと多くの人にとっては、それでいいのだろうけれど。

打ち上げ全カットは流石に効いたぜ…(残当)

・感想書いたら満足してしまったので、本日残りの出来事は割愛。日記なのにそれでいいのかって思いませんか? 俺もほとんど同じ気持ちでした。



この記事が参加している募集

#振り返りnote

84,835件

#映画感想文

66,844件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?