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【短編エピソード④】宇宙へ

【ロシア州(プレセツク宇宙港)】


 北極圏までわずか数百キロメートルしか離れていないプレセツク宇宙港は、北緯62度48分、東経40度6分に位置するロシア最北部の宇宙港である。

  そのルーツは20世紀半ばに当時のソビエト連邦がICBM(大陸間弾道ミサイル)の基地として建設したことにまで遡る。広大な森林地帯に囲まれた同施設は総面積が1700平方キロメートル以上という広大なもので、下手な小島よりも広い面積を有する。

「少し早すぎたかしら、ね」

  宇宙港のエントランスをくぐったミレアはシャトルの離陸時間まで如何にして時間を潰すべきか内心で首を傾げる。

  ホールは連合軍の制服を纏った者たちで混雑していた。

  なぜここに連合軍の軍人が群れているのか理解できないままミレアはチェックイン・カウンターまで足を進めていった。シャトルで宇宙に上がりワープ機関を搭載した宇宙船に乗り換え幾つかの星系を経由してラザフォードに至る…じつに簡単な旅路だ。

  ただし現行のワープ技術では星系内での移動時間を除外し経由地なしの直行で計算したとしても赴任地までは83日間を要する。しかもミレアはこれまでに太陽系外に出たことは一度としてなくワープ航法での旅はまったくの初めてであった。

「ルクレール少尉はどこにいった!」チェックイン・カウンターで手続きが終了したミレアの耳に男の怒鳴り声が響いてきた。「引率者が迷子になりやがって…」

  何気なしに声の主へと目を向けると軍服を纏った中年男が肩を怒らながら同じ軍人たちに何かを訊ねてまわっているようだった。

  コツコツ…とヒールの音を静かにたてながらミレアはラウンジへと歩いていく。すれ違う軍人の部隊章には絵柄とともに「火星駐留軍」と表示されていた。何かの訓練だろうかと思う。

『じきに私もラザフォード駐留軍の最高司令官になるのね…』

  高等弁務官は同時に駐留軍の最高司令官を兼任していることをミレアは聞かされていた。宇宙の果てに飛ばされる懲罰人事だが高等弁務官の権限は調整官とは比べものにならないほど強大なものである。

  目についたバー形式のカフェに立ち寄るとロシアンティーを注文し誰にも干渉されない隅に腰かける。

『本当に私に勤まるのかしら…』

  高等弁務官の職務にいまいち自信がもてない。都市行政、司法行政、警察行政、科学研究統括、軍の統括、大使館への支援…その職務はあまりにも広い。

  目がまわる仕事量に違いないのは容易に想像がついた。しかも都市の外では魔法というものが現実に存在し、エルフやゴブリンといった亜人が徘徊しているという。

『高等弁務官の職務量は以前に比べれば少なくなっているがね』異動を承諾したミレアに人事官はそう言ったものだ。『以前はプリメシア島内のすべてを統治する立場だったが、島が独立したことで職務はラザフォード内に限定されている。きみはいい時期に赴任することになるな』

  カウンターの正反対からクスクス…と笑い声が聞こえてきたので自然と顔がそちらに向けられた。

「私が知る限りでは撃沈は三人」連合軍の制服を身につけた女性軍人は同僚の笑い声が静まるのを待ってから口をひらいた。「三人がルクレール少尉にモーションをかけて見事撃沈」

「結婚しているわけでもないのに身持ちが固いよね。つき合ってる人がいるわけでもなさそうだし」

「同性にしか興味がなかったりして。噂では男から告白されたことがあるらしいよ」

「あの顔だと真実味があるよね」そして再びクスクスと笑う。「受け? 攻め?」

  差し出されたロシアンティーのカップを手に取るとミレアは聞き耳を中断した。

  ついていけないというのが会話に対する感想である。

『リュドミールの本心はどうだったのかしら…』

  見抜けなかった自分が馬鹿だったと思うのと同時に言いようのない寂しさが全身を包み込む。悲しみによる感覚麻痺からはようやく回復しつつあったがこの傷は一生癒えないだろう。

『私が人を愛することはもう二度とないのかも…自分の本心をさらけださなければ利用されることも傷つけられることもないから』

  砂糖の代わりにジャムを使用したロシアの紅茶を堪能しながら本場の味を次に味わうのは何年先なのだろうかと考えざるえなかった。あるいは太陽系外をたらい回しにされ生きているうちに地球の土を踏むことができない可能性だってある。

  むろん官僚という仕事を辞めれば地球に踏みとどまることはできる。

  しかしこれといって特技のない自分に何ができるというのだろうか。

「ルクレール少尉! いったいお前はどこをうろついていた!」宇宙港全体に響き渡るのではないのかと思わしき怒鳴り声にミレアはうんざりした気分に陥った。どうも軍人というのはデリカシーに欠けている。「おまえは研修参加者全員を火星行きの便に乗り遅れさせるつもりか!」

  ラザフォードに赴任すれば軍人のみならず恐るべき数の部下に指示を与え叱責しなければいけないのだろうか。デリカシーのない怒声にミレアは自分の将来像を重ね合わせた。

『宇宙の果てにだって人生はある…』

  いまだ未練を断ち切れずにいるミレアはやり直すチャンスをラザフォードに見いだそうとしていた。

  しかし人間不信の高等弁務官が人間不信の超能力者と出会うにはまだもう少し時の流れを必要としていた。


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