身体と心のつながり――「ポリヴェーガル理論」を読む、を読んだ
津田真人さんの、「ポリヴェーガル理論」を読む、を読みました。
厚い本(600P)です。
個人的理解のために、まとめておきます。
下記のポリヴェーガル理論への誘い、も読んでいます。
上記本の内容を要約した、比較的薄い本(200P)です。
最初は下記から読むのが良いです。
ポリヴェーガル理論とは
(1章、P3)
自律神経・迷走神経に関する理論
ポリ(多重)ヴェーガル(迷走神経)
ポージェス博士が1994年に提唱(Stephen W.Porges, 1945-)
トラウマを説明する理論として、最近になって注目されてきています
自律神経の3分類
(5章、P180)
自律神経は交感神経と副交感神経に分かれるとよく言われますが、副交感神経を2つに分けて合計3分類として捉えています。
自律神経
交感神経 (1)
副交感神経
腹側迷走神経複合体 (2)
背側迷走神経複合体 (3)
副交感神経というと、リラックスして動かないイメージですが、それを「守られて安全でいる状態」(2)と「生命の危機に瀕して動かない状態」(3)に分けています。
交感神経が優勢な状態
可動化
危険への反応
闘うか逃げるか(fight or flight)
要するに、危機的状況に対して動いて打開する状態
腹側迷走神経複合体が優勢な状態
社会的関与
安全への反応
社会的コミュニケーション
要するに、安全な状況でリラックスしている状態
背側迷走神経複合体が優勢な状態
不動化
生の脅威への反応
凍りつき反応(freezing)、すくみ・死んだふりや失神
要するに、危機的状況に対して動かないことでやり過ごす状態
3つのバランス
上記3つのものがバランスを取り合って人体を維持している
3つというのが重要で、2つだとバランスが崩れたときの復元力が保てないとのことでした。矢は3本まとめると折れないとも言いますよね。
また本書で強調されているのは、腹側が良い・背側は悪いというような二元的な見方に囚われないように、とのことです。
上記3つはどれも重要とのことです。背側迷走神経複合体のおかげで命拾いすることもあれば、腹側迷走神経複合体が強すぎてやる気が起こらないこともあるかもしれません。
複合的な状態
上記3つに複合パターンの2つを加えることで、5種類の状態を説明しています。
腹側迷走神経複合体が絡むことで、安全感を感じ、社会的な状態になるとされます。
したがって、いかにして心理的安全な状態に持っていき、腹側迷走神経複合体を働かせるかというのが実践でのポイントとなりそうです。
交感神経+腹側迷走神経複合体 (遊び)
(8章、P343)
あそび、スリル、自由な可動化
ドーパミンとオキシトシンの連動
安全と危険がブレンドされている状態
背側迷走神経複合体+腹側迷走神経複合体 (愛)
(7章、P307)
「恐怖による不動化」→「愛による不動化」
セロトニンとオキシトシンの連動
背側迷走神経複合体のみだと「恐怖による不動化」の状態だが、腹側迷走神経複合体が加わることで「愛による不動化」の状態になる
(P317を要約)
愛とは、
ポジティブ・充足的な内蔵の感情状態(快楽・エクスタシー)と、
愛の対象(養育者・パートナーなど)への好ましい感覚的な特徴(安全感・信頼感)が、
オキシトシンに媒介され、
学習された条件づけ連合の形成である。
つまり、愛とはいつも「条件付けによって生じた愛」である。
上記を拡張して、「社会的な絆」「親密性」「共感」も同様に説明できる。
※愛とは条件づけにすぎないってバッサリ言っちゃってるのが面白いです。
単純接触効果やミラー効果も上記で説明できると思います。
津田さんによる、その他の状態
これらはポージェス博士ではなく、津田さんの仮説です
しかし説得力を感じます
交感神経+背側迷走神経複合体
嗜癖行動(P426)
慢性的なストレスによるストレスホルモンの過剰分泌により、意思決定システムが「目標思考行動」→「習慣行動」になる
「闘うか逃げるか反応」から「凍りつき反応」の遷移の中間行動
扁桃体のバランスが悪い状態
安全の中に危険を見出したり、危険の中に安全を見出したりする
※染み付いた癖がどのように生じたのか、ということの考察ができます。
慢性的ストレスがトリガーとなっていて、
ここでも安全感や愛が解除の鍵になりそうです。
腹側迷走神経複合体+交感神経+背側迷走神経複合体
創造性(P352)
フロー状態(P487)
フローの魅力は複雑さから生じる
複雑さがフローを新鮮な状態に維持する
安心空間と複雑性の交差地点に創造性が開花するのではないか
最高に能動的な受動性であり、最高に受動的な能動性(P511)
創造性は、個人の資質というより、取り巻く社会システム全体の産物なのでは?(P488)
※創造的である状態やフロー状態を説明しているのが大変興味深いです。
たしかにフロー状態には、単に楽しい遊びというよりは、時間を忘れ没頭するような、狂気じみた使命感のような感じもあります。
そこを遊び(腹側迷走神経複合体+交感神経)+背側迷走神経複合体という枠で捉えると、夢に囚われた全力の遊びというようなニュアンスを感じます。
意識/無意識問題
10章からは、ポージェス博士以外の学説も手繰ることで、著者の津田さんによる意欲的な仮説提示がなされています。ここからが本書の面白いところです。
10章は脳の構造と意識についての話です。
意識と無意識について
13章からまず結論をもってくると、
意識と無意識を2つに分けるのではなくて、
ニューロンの繋がりから脳の働きが生み出されるが、
相互作用が深く複雑なものを意識的プロセス、
相互作用が浅く高速なものを無意識的プロセス、
と1つの体系で説明できるのではないか(P514)
とのことでした
※理性的な意識が、カオスな魔物である無意識を手懐ける、という二元的な説明はわかりやすいのですが、
そうではなく、理性的に見える意識も、ニューロンの繋がりをより複雑にしたネットワークの中の部品に過ぎない、
つまり自己感覚も、ネットワーク回路という評価関数の、時系列的な出力で
しかない、ということが言えるのではないかと思います。
幸福学研究者の前野隆司など、意識は反応にすぎないというようなことをおっしゃる方は多いです。
(では即物的に生きればいいのかというと、だからこそ形のないものを大切にしないといけないのだと思います。)
意識の3分類について
(10章、P391)
10章の展開では、神経学者のダマシオ(Antonio Damasio, 1944-)の説に触れています。
興味深いので抜き出しています。
意識を次の3つのもので説明しています。
非意識(後部島皮質、視床下部など) (1)
原意識(前帯状回など) (2)
広義の意識
哺乳類の多くに共有されている
全き意識(前部島皮質、扁桃体、海馬など) (3)
狭義の意識
霊長類以降の意識
(P319-392を要約)
私達は自身の身体を非意識(1)で「表象」し、
それを原意識(2)で「再表象」し、
さらにそれを全き意識(3)で「メタ表象」する。
その際、身体の非意識(1)的な表象をもとに、
原意識(2)に芽生え始めた1人称的視点を、
全き意識(3)の自己省察(振り返り)的な3人称的視点で捉え返して、
真に1人称が確立する。
それにより、「いま・ここ」の刹那的・局所的な自己(2)から、
過去も未来も含みこむ、拡張された<いま・ここ>の持続的・統合的な自己(3)になる
※主観的視点と客観的視点の統合というところが面白いです。
自分と一言で言っても、熱中して必死になっている自分と、それを客観的に見ている自分の両方がある、ということだと思います。
トップダウン/ボトムアップ問題
(11章、P440)
心の動きは、脳からのトップダウンなのか、神経からのボトムアップなのか、という話題だと思います。
結論としては双方向で、
辺縁系が仲介のコネクターとして、脳と神経がつながる、
つまり辺縁系をハブとして、こころとからだがつながる、ということです。
皮質ー辺縁系ー自律神経系の双方向コネクション
皮質
前頭前皮質、感覚連合野、運動連合野
辺縁系
扁桃体、全帯状回、島皮質
自律神経系
腹側迷走神経複合体、交感神経系、背側迷走神経複合体
マインドフルネス
12章はポリヴェーガル理論と脳科学・心理学との関連について考察しています。
その中からマインドフルネスが興味深かったので抜粋します。
(12章-6, P488)
マインドフルネスは、
内界に意識を向ける点で、「デフォルト・モード・ネットワーク」の「マインドワンダリング」
注意の集中である点で、「エグゼクティブ・ネットワーク」の実行機能
と共通する。
つまり「デフォルト・モード・ネットワーク」と「エグゼクティブ・ネットワーク」の両方を活性化し、相互の結合を高めている状態
→マインドフルネスには創造性の源泉となるポテンシャルがある
「デフォルト・モード・ネットワーク」の「マインドワンダリング」は創造性の種であると同時に、創造性を阻害する「自動思考」をも誘発する
→マインドフルネスは創造性の芽を摘む可能性も秘めた両義的な営みである
「マインドフルネス」はそれ自体が同時に「マインドレスネス」でもあるときにのみ、「マインドフルネス」たりうる。(P492)
→「いま・ここ」はどこにもないものであり、非在であるがゆえにリアリティの根源になる。
そこを忘れると、単なる刹那主義として「いま・ここ」に閉じ込められる(P509)
「腹側迷走神経複合体」の「社会的関与システム」による安全感はマインドフルネス成立の必要条件(P490)
マインドフルネス瞑想が、迷走神経を整える、というよりは
迷走神経の整序が、マインドフルネス瞑想を可能にする、
というボトムアップな主張が、ポージェス博士の立場(P509)
※マインドフルネスと二元論の罠に関する説明に納得感がありました。
「マインドフルネスは仕事の生産性を上げる」というような商業主義的な宣伝にはどこか違和感があったのですが、それが見事に説明されています。
身体と心の繋がりは双方向であり、それがマインドフルネスの両義性になっている、という理解がしっくり来ました。
2つの共感
13章ではポリヴェーガル理論(神経)と脳科学を繋げようとしています。
2つの共感の話が面白かったです。
(P528)
情動的共感
自他の融合を前提とする二者関係的な共感
ホットな共感
ボトムアップ的共感
情動のミラーニューロン系
腹側迷走神経複合体
これだけだと、共感として安定しない
認知的共感
自他の分離を前提とする三者関係的な共感
クールな共感
トップダウン的共感
メンタライジング・ネットワーク
腹側迷走神経複合体のもとに再編繰り入れされた背側迷走神経複合体
これだけだと、共感としての意味がない
2つの共感それぞれが対応する脳部位は、全く異なる
2つの共感は、単独では共感として成立せず、合わさって初めて共感としての成立する
※たしかに言われてみると、私が「共感する」と表現するときは、つねにクールな共感のほうで、
エモーショナルでホットな共感を求められるのに違和感がありました。
哲学者の苫野一徳さんによると、愛とは「合一感情」と「分離的尊重」の弁証法である、という話があります。
似た話だと思いますが、どうやら私には二者関係的な合一感情が抜けているようです。
まとめ
本書はポリヴェーガル理論の説明にとどまらず、10章以降の展開の読み応えがすごい本だと思います。
意識・マインドフルネス・共感の話など、具体的かつ示唆深いです。
ポリヴェーガル理論も、いかに腹側迷走神経複合体を働かせるかということで、心理的安全性の話に繋がります。
過緊張や怠惰、悪い習慣などから抜け出すための鍵になってそうです。
ご興味をもたれましたら、ぜひお読みになってください。
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