ブックレビューvol.1 深い河

●ブックレビューをはじめたきっかけ

一発目の記事なので、本題に入る前に少しだけブックレビューを始めた経緯をお話しさせてください。

先日、ある方に、

「文章を書くことや表現すること、伝えることが好きなら、まずはいろんな本を読んで、感想をブログに書いてみたら?」とアドバイスいただきました。

なんで今まで気づかなかったんだろうというくらい、目からうろこが落ちまくるアドバイスでした。

振り返れば本を読むことと感想文を書くことは学生時代の私の生きがいでした。

大人になって、やっぱり私は「書く」ことが好きなんだと再確認しました。

だからこそ、2年前にこうしてブログをはじめ、今までほぼ毎日記事を書き続けてくることができました。

私の言葉でご紹介する本に、皆さんが少しでも興味を持ってくださることを願っています。

「深い河」との出会い

さて、記念すべき第一冊目は、遠藤周作の「深い河」です。
私にとって相棒のような本なので、1冊目はこの本以外ありえないと思っていました。

この本との出会いは、大学2年生。
私の通っていた大学はキリスト教の授業が必修で、その授業で出会ったのがこの本でした。

この本の随所に、私の出身大学の様子が描かれているのも、親しみやすさを感じたきっかけだったかもしれません。

はじめて読んだときからもう6年が経とうとしていますが、今でもこの本は私にとって相棒です。

人生の節目節目に何度でも読み返そうと思える本は、この本をおいてほかにはない気がします。

こんな方におススメです

・輪廻転生に興味がある方
・インドが好き、インドに惹かれる方
・東洋と西洋の宗教観の違いに興味がある方
・白黒はっきりするのが好き、またはその傾向があるが、時々もやもやを感じる方

私の宗教観

宗教というとなじみがない方にとっては大げさに聞こえるかもしれませんが、スピに詳しい方は、「高次元」とか「神様」「ハイヤーセルフ」に置き換えて考えてもらってもいいかもしれません。

私はずっと、人智を超えた存在は確かにいる(在る?)けど、それがキリストなのかブッダなのか女神なのか守護神なのかご先祖様なのかハイヤーセルフなのかにはこだわりを持たずに生きてきました。

なんでもいいけど、確かに目に見えない力は存在する、それくらいの感覚です。

だから、特定の宗教にこだわりを持ったこともありませんでした。

中高大学はキリスト教の学校に通ったし、実家のお墓はお寺にあるし、神社参拝もする、そんな見事な日本人的な育ち方をしています。

だから、いろんな神様の考え方に親しんだし、その結果、誰でもいいじゃん!となったのかもしれません。

その話を知人にしたときに、「すごい日本人的な八百万の神信仰だね」と言われ、「あ、これって日本人的だったんだ」と目からうろこが落ちたのは、今でも記憶に新しいです。

漠然とそんな考え方を持っていた私にとって、この本は、ものの見事にそんな私の思想を言語化してくれた気がします。

この本に出てくる大津という人物は、キリスト教の神父を目指す若者で、

彼は、日本人になじむキリスト教の布教を目指して、「どんな宗教の中にも神はいて、そこには善悪の区別はない。神様の形は、キリストでも女神でも、玉ねぎでも、自分にとって親しめるならどんな形でもいい」という考えのもと生きている人。

でも、そんな彼の考え方は、イエスこそ唯一の神だとしているヨーロッパのキリスト教の教会からは、汎神論的だと言って認められない。

そんな葛藤も描かれています。

上述したように私も神様の形にはこだわらない人なので、この大津の考え方にはとても共感できるのですが、それは私が東洋人で、当たり前のように日本で育ったからなのかな?ともふと思いました。

幼いころから神様はイエスの像とともにインプットされている西洋人(や東洋人でも一神教の信者の人)にとっては、それは当然じゃないのかもしれないですよね。

一神教信者の西洋人が同じくこの本を読んだとき、どう思うのだろう?彼らはなぜ神様の形にこだわるのだろう?はたまた、こだわってはいないけどただ単に好きでイエスを選んでいるだけなのか?

などなど、深め甲斐のあるテーマを持っているな、と思います。

私個人としては、これからも神様仏様の形にはこだわらず、ただただそれらをひとまとめにして「人智を超えた存在」として信仰していくつもりですが、

昨今スピを学ぶなかで、しきりに「ワンネス」とか「宇宙」、「高次元」と言われているのは、信仰の対象を限定しない日本人的にはなじみやすいものであったとしても、一神論的な思想を持つ西洋人にはどう見えているのだろう?それってイエスを信じるのと何が違うの?西洋でもワンネス的な思想って流行り得るの?というのも個人的には気になりました。

スピを学んでない2年前は、同じ本読んでもこういう考察はできなかったですね。

これがあるから、同じ本を時を変えて読むのが好きなんです♪


●白黒思考の私にこの本が与えた衝撃

もうひとつ、この本が好きな理由。

中学生くらいの頃から、私は、自分を一言で表せない感じというか、自分のなかに相反する感情や思考がたくさんあることが気持ち悪くて、なんで私はこうも割り切れない存在なんだろう、なんで物事は白か黒かに割り切れないのだろう、ともやもやしていました。

ちょうどそれは、この本に出てくる美津子が、「わたくしだって、自分で自分がよくわからぬ混沌とした女ですもの」と言い、空虚さに耐えた人生を送っていた様子に重なります。

この漠然とした疑問は根底にずっとあって、そんな疑問に大きな衝撃を与えてくれたのも、この本でした。

この本には、インドのヒンドゥー教の女神像のひとつである、チャームンダー像というのが出て来ます。

一般的にイメージする女神像って、聖母マリアのような、微笑みを象徴とするものだとおもうんですが、

チャームンダー像は正反対で、

「…清純でも優雅でもない、美しい衣装もまとっていません。逆に醜く老い果て、苦しみに喘ぎ、それに耐えています。このつりあがった苦痛に充ちた眼を見てやってください。彼女は印度人とともに苦しんでいる。像が作られたのは十二世紀ですが、その苦しみは現在でも変わっていません。ヨーロッパの聖母マリアと違った印度の母なるチャームンダーなんです」

と描写されています。

ありのままの現実をすべて受け入れる、美化も偽善もない、そんなこの女神像の存在は、

善も悪も、相反する感情も、割り切れない何かも、全て正しく、全て存在するものなんだ

ということを私に教えてくれた気がします。

全てを受け入れる、善悪でジャッジしない。

そんなマインドを、チャームンダー女神も持っている気がして、それは、微笑みですべてを受け入れるマリア像より、よほど私たち人間に近く、親しみやすさを感じさせる女神のような気がします。

この本を読んだ頃から、美化や偽善のない世界観が私はすごく好きになった気がします。

おわりに

初めてのブックレビュー、いかがだったでしょうか。

長くなりすぎちゃったな。語りすぎてさすがに疲弊。

事前に書きたいことをメモ書きしといたおかげで、1時間くらいでこの記事を書きあげました(笑)

ちなみに、宇多田ヒカルが、この本にインスピレーションを得て、同名のアルバムを出しています。
アメリカ育ちの彼女がこの本にどういう感想を抱いたのか、私はそちらが気になります(笑)

それでは、また次回。

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